東京五輪スポンサーである朝日新聞が5月26日朝刊の社説で「東京五輪中止」を掲げたことに対し、Twitterでは「朝日新聞が五輪反対にカジを切った」と歓迎する声が広がった。
ところが、この社説に対し、新聞づくりの現場である編集局が猛反対している実態を週刊文春が報道。私もかつて同僚だった朝日新聞記者たちに取材すると、編集局のなかでも反対論が強いのは、五輪機運を持ち上げる報道を社会面で続けてきた社会部であることがわかった。そこで以下のツイートをした。
このツイートは大きな反響を呼んだ。リツイートは2000以上、「いいね」は3500を超えた。非常に目立った反応は「政治部だけじゃなく、社会部も取材先と一体化しているのか」「社会部がこんな状況とは知らなかった」というものだった。
出来レースの首相記者会見や首相とのパンケーキ懇談会で、政治部の評判は地に堕ちている。政治部OBとして非常に残念だ。政治部への批判の多くは的を得たものである。私は朝日新聞社内で政治報道の改革にずいぶん取り組んできたが、政治部内で抵抗も強く、記者クラブや番記者制度を中心とした閉鎖体質はなかなか改善されないのが現状である。
だが、記者クラブの閉鎖体質は政治部固有の問題ではない。私は政治部と特別報道部を行き来する27年間の記者人生で、多くの社会部記者と一緒に仕事をした。その経験からして、政治部の官邸取材以上に閉鎖的なのは、社会部の検察と警察の取材である。
社会部には朝日の本多勝一や読売の黒田清ら「権力と闘うジャーナリスト」の印象が強いが、そういう社会部記者はごく一部である。私の知る社会部記者の多くは記者クラブにどっぷり浸かっている。とくに検察や警察の担当記者は縄張り意識が強く、他の記者が検察や警察を取材しようとすると排除する。私はそうした経験も何度もした。そういう社会部記者に限って社内では官僚的で統制的だ。
社会部の検察や警察の担当記者の多くは、自分たちが直接担当しない政治家や官僚を激しく批判することはあっても、自らが担当する検察や警察にはどこまでも従順である。政治家の尻を追いかけるばかりの政治部記者のほうが、意を決して自らが直接担当している政治家を批判する記事を書くことが時折ある。そうした思いを込めて、私は以下のツイートを続けた。
このツイートに対して、ある新聞社のベテラン司法記者から「ここでいう『司法記者クラブの会見』とは『検察庁が開く会見』ということですよね」とご指摘をいただいた。
詳しく説明すると、司法記者クラブは裁判所など法曹界全般を担当しており、検察庁が開く会見を除いては司法クラブの記者以外も入るしカメラも入る。もっとも、報道各社の司法記者クラブが最重視する取材対象は「東京地検特捜部」である。私のツイートの「司法記者クラブの会見」は、正確には「検察庁が検察庁内で開く会見」のことである。
ベテラン司法記者は「理由は不明ですが、東京の検察庁には記者室や記者クラブがありません。裁判所常駐の司法記者クラブ員が検察をカバーしています」「司法記者クラブ員であっても、検察3庁出入り禁止を言い渡されることがあり、そのときは警備員によって物理的に庁舎から排除されることさえあります」「かつては毎日、昼近くになると、司法記者クラブ内で幹事社が『東京地検次席検事に記者会見開催を申し入れましたが、拒否されました」とアナウンスしていましたが、いつしか午前中の記者会見は開かないのが当たり前になりました」と内部事情を説明してくれた。
そのうえで「検察が閉鎖的なことは、司法記者クラブではなく、検察に文句を言ってほしいです」と言うので、私は「政治部の記者も『官邸が閉鎖的なことは、官邸記者クラブではなく、官邸に言って欲しいです』と言うでしょうね」と返答した。閉鎖的な当局を突破することに記者クラブの存在意義はある。それができないのなら、記者クラブは単なる「情報独占組織」と化し、弊害でしかないと私は思う。
それはともかく、官邸取材も検察取材も閉鎖的であるという現状認識はベテラン司法記者と共有できた。
ベテラン司法記者はさらに「検察取材」の特異性を説明してくれた。
「官邸や裁判所の記者会見は記者クラブ主催なので、誰を入れるかを決める責任は記者クラブにあるはずですが、検察の記者会見は、司法記者クラブ員が呼ばれて参加するだけで、司会もしませんし幹事社質問もありません」
なるほど、検察の会見は官邸や裁判所の会見と違って、あくまでも「検察庁が司法記者クラブ員を特別招待しているサービス」なのだ。
ベテラン司法記者はそのうえで建設的な提案もしてくれた。
「検察の記者会見が閉鎖的なのも問題でしょうが、それ以上に問題なのは、起訴状が公開されないことです。カルロス・ゴーンが逮捕・起訴された時、東京地検のウェブサイトを見ても、彼の逮捕事実や起訴事実がまったくわかりませんでした。刑事訴訟法47条を盾にそれを正当化していますが、『きほんのき』の情報が公開されないから、外国メディアの不信を招いているし、司法記者は検察官に頭が上がらないことになるのです。アメリカの検察ならば当然に公開される情報が日本では原則非公開で、それを得るために、いちいち検察官や弁護士に頭を下げなければならないのです」
これぞ、ベテラン司法記者の解説である。参考記事として『ゴーン元会長逃亡事件 “極秘”捜査資料がネットに?』(NHK WEB特集)を教えてくれた。とても読み応えがある記事である。
社会部の司法記者たちが、このような検察取材の課題を可視化したうえで、連帯して検察当局に閉鎖体質の改善を迫ることを期待したい。それは検察からリークをもらって「あす逮捕へ」「〜と供述」といった「自称・特ダネ」を他社より一足早く報じることよりも、はるかに社会的意義があることだ。
政治部の記者たちも同様である。官邸から他社を出し抜くリークをもらうことよりも、官邸権力を監視し情報開示を迫ることに取材の重点を置いてほしい。私も政治部OBのひとりとして、政治取材の歪みを可視化したうえで、官邸や与党に閉鎖体質の改善を迫っていきたい。
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