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東京新聞「こちら特報部」がワクチンパスポート利権を追及!巨額の税金が投入される「国策」を監視するジャーナリズム精神を忘れていないのは東京新聞だけ?

東京新聞「こちら特報部」が9月25日朝刊紙面で「ワクチンパスポート利権」を追及する特集を組んだ。私も取材を受け、記事の中でいくつかコメントが紹介されている。ご覧になっていただければ幸いだ。

大手マスコミは、ワクチン接種を推進して接種証明書(ワクチンパスポート)を導入する国策に加担し、政府と一緒になって旗を振る報道を続けている。「ワクチンパスポート利権」に迫る東京新聞はさすがだ。

朝日、読売、毎日、日経、産経の大手新聞社がアベスガ政権の国策である東京五輪のスポンサーになり、五輪礼賛報道を横並びで展開したなかで、東京新聞は一線を隠し、東京五輪に厳しい報道を続けた。東京五輪にせよ、ワクチンにせよ、巨額の税金が投入され利権化する危険が極めて高い国家プロジェクトに対し、批判的な視線に徹して監視を続けるジャーナリズム精神を忘れていないのはもはや東京新聞だけなのだろう。

東京新聞の記事は、政府がワクチン接種歴を示す電子証明書を導入し、その申請にスマホのアプリを使う方針であることを紹介。東京五輪関連のアプリについて平井卓也デジタル相が「NECに発注しない」「干す」と発言したことを踏まえ、ワクチンパスポートのアプリも不透明な形で発注されることへの懸念を示した。

そのうえで、経済界が経済活動の回復をめざしてワクチンパスポート活用を強く主張している点に注目。経団連が飲食代の割引などの特典を付けるように政府に求めていることを踏まえ、アプリ以外にも利益誘導に使われる恐れを指摘している。

この記事のなかで私のコメントは3箇所で使われている。それぞれについて詳しく解説したい。

政治ジャーナリストの鮫島浩氏は「ワクチンは一人一人がメリットとリスクを慎重に判断して接種すべきもの。税金を投入して接種者を優遇するのは接種に適さない人への差別だ」と言う。

私はいわゆる「反ワクチン派」ではない。いわゆる「陰謀論」も信じていないし、重症化を阻止する一定の効果があるとも思っている。しかし、ワクチンを絶対視はしていなし「切り札」とも思っていない。ワクチンの効果と限界をもっと科学的に判断すべきという立場である。「科学的」といいながらワクチンを盲目的に信奉している人々こそ非科学的だと思っている。

日本に先駆けて世界各国でワクチン接種が進むなか、その効果とリスクは広く報道されている。結論的にいうと、「未知のコロナウイルスに対処するために開発されたばかりのワクチンの効果とリスクには、まだまだわからない部分がたくさんある」というのが、科学的に誠実な姿勢だ。

まず、ワクチンの効果については①重症化を防ぐ効果が高いが、それでもコロナに感染して重症化したり死亡したりする場合がある②感染予防の効果もあるが、重症化を防ぐ効果ほど高くはなく、接種後も感染したり、他人に感染させてしまったりする事例は多数報告されている③接種から数ヶ月過ぎると効果は徐々に落ちていくため、効果を維持するため3回目、4回目の接種を重ねていく試みが始まっている④変異株への効果は落ちるうえ、今後登場する変異株にどこまで効果があるかはわからないーーといったところだ。

少なくとも「ワクチンさえ接種すれば大丈夫」が妄想であることは、もはや世界の常識である。あくまでもコロナ対策にひとつに過ぎない。菅政権の「ワクチン一本足打法」は極めて反知性的だ。そのうえ、感染者を早期発見するためのPCR検査体制の拡張や、コロナ患者を確実に受け入れて治療するための医療体制の整備よりも、ワクチンの一斉接種を優先して膨大な税金を投入するのは、政策の優先順位の付け方として間違った判断だと私は思う。

次に、ワクチンのリスクについては①接種後、発熱などの「副反応」がかなり高い確率で発生する②この「副反応」とは別に、接種後に死亡に至る事例が報告されている。政府はその大半について「接種との因果関係は確認できない」(因果関係があるかどうかわからない)と説明している③中長期の健康被害について専門家の多くは「考えにくい」という立場だが、開発されたばかりのワクチンであるため実証はできないーーといったところだ。

ワクチンにはメリットとリスクがある以上、すべての人に強制することはできない。リスクがどれほどあるのか、各個人の体質や健康状態によってリスクにどれほどの差があるのか、それらの科学的知見が固まっていない以上、個々の人々が自らの判断で接種した場合のメリットとリスクを判断し、その結果は自ら背負うしかないのである(もちろん政府が接種を推奨している以上、政府も結果責任を追うのは当然だ)。

そのためにも政府や専門家やマスコミはメリットとリスクを正直に誠実にわかりやすく国民に伝えなければならない。ところが、彼らは国策としてワクチン接種の旗を振り、メリットを強調するばかりなのだ。それでいて、接種後の死亡事例について詳しい説明を避け、「因果関係は確認できない」という言葉で誤魔化して責任をあいまいにしながら一斉接種を推進しているのである。政府や専門家やマスコミの言うことを信用できず、不安を募らせる人が大勢いるのは当然だ。

重症化率の高い高齢者はメリットとリスクを比較して接種したほうがよいと私も思う。でも、重症化率が限りなくゼロに近い子どもたちに一斉接種する意味はあるのか? 子どもたちにリスクを背負わせるだけではないか? それは何のためか? 一人一人について接種したほうがよいか、避けたほうがよいか、よく見極めたうえで接種するのが本来の予防医療のあり方ではないのか?

巨額の税金を投入してワクチン接種者に対して飲食代や旅費などを優遇するのは、自分自身にとって接種の是非を慎重に見極めようとする個々人の判断を惑わせる「歪んだ政策」だと私は思う。そして、心身両面の理由から接種に適さない人々に対し、合理性を欠く不利益な扱いでもある。これは差別というほかない。

ワクチンを接種できない人、接種を望まない人といった「少数者」の人権を大切にするのが本来のリベラルな立場のはずだが、リベラルを標榜する政党や新聞社からそのような指摘が出てこないのは摩訶不思議だ。

鮫島さんは「自民党は多額の献金を受ける経済界の意向を優先し、ワクチンの一斉接種を国策として進めている。一人一人の不安や疑問に向き合う姿勢がない」と批判する。

経済界が経済活動の回復を優先してワクチンの一斉接種に期待するのはある意味で当然だろう。しかし、政府は経済界の代弁者ではない。国民全体の代表者だ。にもかかわらず経済界に引っ張られて経済活動を重視するのは、経済界から政界に流れ込む献金の影響である。

経済界に傾きがちな政界を踏みとどまらせるのは、権力監視を旨とする新聞社の責務である。ところが新聞社も発行部数の減少で広告収入への依存を強めており、経済界に頭があがらなくなってきた。東京五輪のスポンサーに朝日、読売、毎日、日経、産経の大手新聞社が一斉になったのは、その象徴だ。ワクチンの一斉接種の国策を後押ししているのも、経済界の意向を踏まえた判断ではないか。

政府や政府に近い専門家は「ワクチンのメリットとデメリットを比較すれば、メリットのほうがはるかに大きいのだから接種したほうがよい」という姿勢だ。大手マスコミのほとんどもそのように主張している。だが、これは本当だろうか。

日本社会全体の感染拡大を防止するという「公衆衛生学」の立場からは「接種後に健康被害が発生する人はわずかだから、メリットのほうがはるかに大きい」という考えになる。だが、接種する当事者の一人一人の立場になれば、わずかな可能性に自分自身が当たればとんでもないことになると不安に思うのは当然だ。万が一、自分が不運に遭遇することがあれば、その結果は自分で背負うしかないのである。

政府や専門家やマスコミの「公衆衛生学」の視点はあまりに「上から目線」というほかない。一人一人の不安や疑問に向き合う姿勢がまったく感じられない。私はこのような政治や報道は信用しないことにしている。

気になるのは、政府や専門家やマスコミがワクチン接種への「まっとうな不安」を一握りの「デマ」や「陰謀論」と一緒くたにして片付けようとしていることだ。

ここまで指摘してきたとおり、ワクチンの効果とリスクに対する科学的知見が定まっていない(まだまだわからないことがたくさんある)以上、多くの人々がワクチンに抱く不安は極めて科学的・合理的なものである。それを「デマ」や「陰謀論」として横一律に排除する政府や専門家やマスコミの姿勢こそ非科学的で不誠実というほかなく、ワクチン不信を広げる大きな要因となっている。

国民の個人情報を把握できるマイナンバーカードの普及は「政府の悲願。税金を確実に徴収できるだけでなく、カードにかかわる企業や外郭団体を潤わせ、官僚の天下り先を拡大できる。政官業の利権が生まれる」と鮫島さんは指摘する。

政府はワクチンパスポートをマイナンバーカードやGOTOトラベルと関連づけ、巨額の税金を投じて接種者を優遇することで接種率を高めようとしている。アベノマスクにはじまり、定額給付金でもGOTOトラベルでも各種アプリでも指摘されてきた「中抜き」利権がまたも繰り返されようとしている気がしてならない。コロナ対策を予算獲得の道具とする政治はいい加減にやめてほしい。

巨額の予算がつくと、政治家も官僚も業界も群がる。巨額の税金で発注を受けた業者は政治家には献金で、官僚には天下り受け入れで還元するのが「政官業の癒着」だ。これを防ぐには徹底した情報開示が欠かせない。しかしアベスガ政権は情報開示に極めて後ろ向きなばかりか、公文書を改竄したり、国会で虚偽答弁をしたり、疑惑の隠蔽工作を繰り返してきたのは周知の事実である。

不正を見抜くコツは、その政策に合理性があるか否かを考えることである。

ワクチンの効果に限界がある以上、ワクチンパスポートは科学的根拠に乏しいのは明白だ(パスポートを提示した人も感染したり他人に感染させたりする可能性があるのなら、いったい誰に何を証明するためのパスポートなのだろう。意味不明だ)。

むしろ、ワクチンパスポートよりも効果があるのは、PCR検査を拡張である。旅行に行く時、イベントに参加する時、PCR検査の陰性証明書の提示を求めるほうが、ワクチンパスポートの提示を求めるよりもはるかに合理的だ。ワクチンパスポートの導入に巨額の税金を投じるのなら、いつでもどこでも何度でもタダでPCR検査を受けられる体制の整備に巨額の税金を注ぎ込んだほうが、よほど感染拡大防止に実効性がある。

それをしないのは、PCR検査が利権にならないからだ。だからこの国の政府や専門家は当初からPCR検査の抑制論を主張し、マスコミもそれを垂れ流してきたのだった。何もかも利権になるかどうかで決まっていく。それがこの国の悲しい政治や報道の現実である。

そもそもワクチンはロックダウンと同じように検査・医療体制を整備するための時間稼ぎのツールである。私たちの命を守るのは、「早期発見」のための検査と、「早期治療」のための医療だ。それらの体制整備にお金も人も優先して投入すべきなのに、ワクチンの一斉接種にお金も人も優先した結果、検査・医療体制の整備が大幅に遅れているのは非科学的で本末転倒な政策だと私は思っている。

すべては「利権になるかどうか」を優先している「歪んだ政治」のせいだ。マスコミはその歪みを追及せず、大本営発表を垂れ流すばかりである。

政治や報道がおかしくなると、救えるはずの命が失われていく。コロナ危機は政治と報道の重要さを改めて問いかけている。

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