政治とマスコミを斬る
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維新が仕掛けた「ヒトラー論争」に沈黙する立憲民主党とマスコミの「不戦敗」

立憲民主党の菅直人元首相が日本維新の会について「弁舌の巧みさではヒットラーを思い起こす」とツイッターに投稿したのに対し、維新の松井一郎代表らが猛反発し、立憲民主党に抗議文を手渡す泥試合に発展している。SNSでは賛否両論が飛び交い、議論沸騰だ。

政治家がヒトラーを引き合いに出した事例としては、麻生太郎氏が「手口を学んだらどうか」などと発言し、批判を招いたことがある。麻生発言はヒトラーを肯定的に評価していると受け取られる内容で、問題視されたのは当然だろう。

今回の菅氏の発言はヒトラーの政治手法を否定的に捉えて警鐘を鳴らす内容で、同列には論じられない。ヒトラーを引き合いに出して政治家や政党を批判することのみをもって問題視する合理的な理由は見当たらないと私は思う。

もちろん、維新がヒトラーを引き合いに出して批判されたことに反論するのは自由だ。いったい維新のどこがヒトラーを思い起こさせるのか、われわれはヒトラーのような独裁政治はあってはならないと確信している、責任ある立場にある政治家として明確な根拠を示せーーなどと菅氏に迫ることは、政治論争として大いにあってよい。どんどん意見を戦わせればよい。

維新は今夏の参院選で、自公政権に挑むことよりも、立憲民主党を野党第一党から引きずりおろして取って代わることを優先している。

国民世論のなかに根強い反発がある菅氏に照準を絞り、そのツイートへ「攻撃」を仕掛けて立憲民主党への反発を煽るのはとても正攻法とは言えないが、ケンカ上手とはいえるかもしれない。立憲民主党の失速につけ込み、立憲民主党との対決構図を強め、立憲民主党に投票してきた自公批判層を奪い取る狡猾な選挙戦略の一環といえよう。

有権者はその手法に対する好き嫌いはあるにせよ、それを踏まえて政党への支持・不支持を決めればよい。これは「政党間の支持獲得競争」の一断面と捉えることができる。

私が維新の言動以上に不可解に思うのは、これに対する立憲民主党やマスコミの姿勢である。

報道によると、立憲民主党の逢坂誠二代表代行は1月25日の記者会見で「菅議員の個人的な発言。党としてどうこうということは特段の必要はないかなと思っている」と語った。さらには「私個人的には、ヒトラーを例に挙げて様々なことを言うのは、あまり好まないやり方と思っている」とまで述べたのだ。

私はこの報道に接した時、腰が抜ける思いがした。逢坂氏個人がどう考えるかはどうでもよい。逢坂氏は立憲民主党の代表代行である。これはある意味、維新から立憲民主党へ売られたケンカ(権力闘争)である。それなのに最初から「党として対応しない」と宣言しているようでは、もはや「不戦敗」ではないか。

しかもである。逢坂氏は「私個人」の意見として「ヒトラーを例に挙げて様々なことを言うのはあまり好まないやり方」とまで述べ、維新の抗議に「理解」を示してしまっている。これでは維新の「攻撃」は勢いづくばかり。維新の思うつぼだ。

逢坂代表代行には、維新から野党第一党の座を明け渡すように権力闘争を仕掛けられているという自覚がまったくないのだろうか。「菅氏のツイート」と「私個人の意見」を切り分けて自らの身を守っている暇はない。維新が仕掛けてきた権力闘争に対抗し、立憲民主党の立場を鮮明にし、自公批判票を維新に奪い取られないように徹底抗戦するのが「代表代行」の務めではないか。維新と立憲の違いを広く世の中にアピールする格好のチャンスなのに…。

あまりに未熟、あまりに幼稚。これは逢坂代表代行にとどまらない。

昨年の衆院選で野党共闘を支持した人々が落胆するのを承知で「惨敗」の責任を「共産党との共闘」に転嫁する総括案をまとめたこと。自民党が参院選前に蒸し返すのが見え見えの「CLPに対する政治資金疑惑」に蓋をしたこと。泉健太代表・西村智奈美幹事長の執行部全体が、あまりに稚拙なのである。

泉氏が逢坂氏らを抑えて当選した昨年の党代表選について、私は当時、その論戦内容があまりに幼稚であると『議論されなかった「政権交代への道筋」〜書生論に終始し、想定通りに終わった立憲民主党代表選』で苦言を呈した。この調子では自公政権打倒には遠く及ばないどころか、第三極の維新にもあっという間に追い越されてしまうと思ったのである。維新から仕掛けられたケンカへの対応をみていると、その懸念は的中しているというほかない。

立憲民主党はなぜ維新との激突に及び腰なのか。いちばんの理由は立憲民主党の支持率が低迷し、維新に追い抜かれ、野党第一党の座が危うくなるなかで「維新にすり寄っている」からだろう。国民民主党は立憲民主党より維新重視の姿勢を鮮明にしている。維新にそっぽを向かれたら立憲民主党は路頭に迷うーーそんな弱気が立憲民主党内を覆っているのだ。

維新の政治目標は立憲民主党を倒して野党第一党になることをまずは自覚すべきである。立憲民主党は維新から挑まれているのだ。ところが、昨年の衆院選で維新に直談判して候補者一本化を求めた小川淳也政調会長の行動に代表されるように、どこかで「自公政権に対抗する野党陣営として、勢いづく維新と手を握ることができれば」という幻想が立憲民主党内には根強くあるのだろう。

残念ながら、そんなことはありえない。維新の第一の目標はあくまでも立憲民主党を倒して解党に追い込み、野党第一党の座を奪い取ることにある。そう肝に銘じたほうがよい。

立憲民主党の「及び腰」と対照的に、れいわ新選組は山本太郎代表や大石あきこ政審会長らが維新を「新自由主義の牙城」と見立てて対決姿勢を鮮明にしている。「維新vsれいわ」の対決構図は鮮明でわかりやすい。

維新が仕掛けた「ヒトラー論争」に対するれいわの大石氏の渾身のツイートが強烈だ。優等生集団の立憲民主党とは雲泥の差である。彼女くらいの気迫と破壊力をもって渡り合わないと、少なくとも大阪では維新に対抗できないだろう。

今夏の参院選では立憲民主党は埋没して再び惨敗し、維新とれいわが躍進するーーと私は繰り返し予測している。(『〈右の維新〉vs〈左のれいわ〉が日本政界の新しい対立軸だ! 自民vs立憲の二大政党時代の終焉を告げた衆院選 』参照)

維新と目指すべき社会像は正反対のはずなのに、維新と激突したくはないーーその中途半端な姿勢が、逢坂氏の「不戦敗」発言の背景にある。今の立憲民主党が直面する深刻な危機を映し出している。

もうひとつはマスコミの報道ぶりである。

維新が立憲民主党に抗議したことを受け、立憲民主党に批判的な報道が目立つ産経新聞は手厚い報道を展開しているが、その他のメディアは抗議した事実を淡々と伝えるか、この動きを無視するかのどちらかのようだ(TBSニュース参照)。

これはいただけない。立憲民主党の肩を持てと言っているのではない。仮に菅氏のツイートが「誹謗中傷」や「侮辱」にあたるとするならば、「表現の自由」は大きく制約されることになる。マスコミ各社はそれでいいのか?

とくに今回はひとりの政治家が他の政党を政治的に批判した発言である。その発言内容に賛否はあってもよいが、発言そのものを「侮辱」や「誹謗中傷」として封じることを許すのならば、さまざまな政治的批判に萎縮効果をもたらすことは間違いない。

実際、ヒトラーを独裁者の象徴的存在として引き合いに出し、政治家を批判することは言論界でもしばしば行われている。それに対して公党の代表が「侮辱」や「誹謗中傷」と主張しているのである。このような「言論への圧力」に対してマスコミは何よりも神経を尖らせなければならない。維新が抗議した内容を垂れ流すだけで、「言論の自由」を守る先頭に立つべきマスコミの責務を果たしたといえるのか。

ここに日本のマスコミの抱える最大の問題点がある。論争を呼ぶ問題について「客観中立」を隠れ蓑にして双方の言い分を垂れ流すのみの報道に終始し、言論の自由を守る当事者として「主体的に主張」することから逃げるのだ。これは余計な対立に巻き込まれることを避ける自己保身でしかない。そんなことでジャーナリズムの務めを果たせるはずがない。

マスコミは言論の自由の根幹にかかわる問題に対しては、当事者として主体的に立場を鮮明にすべきである。ジャーナリズムが最も大切にすべきテーマについて「垂れ流し」に終始する傍観的報道こそ、新聞をはじめとするマスコミが凋落した大きな要因であろう。

議論されなかった「政権交代への道筋」〜書生論に終始し、想定通りに終わった立憲民主党代表選
ジャーナリズムは「客観中立」の幻想を捨て、立ち位置を鮮明にして「データと論理」で競い合え!〜CLP疑惑は終わらない(前編)
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