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死刑がすでに執行された「飯塚事件」で裁判所が検察に証拠リストの開示を勧告した衝撃〜国家が合法的に奪った命はどうなるのか?

死刑判決が確定した後に捜査機関(警察や検察)が証拠を捏造した可能性が高いとして裁判やり直し(再審)が決まった「袴田事件」に続いて、死刑制度や司法のあり方を根本から問う大きなニュースが報じられた。すでに死刑が執行された「飯塚事件」で弁護団が裁判のやり直しを申し立てたところ、裁判所が検察に対し、証拠品リストの開示を勧告したのである(こちら参照)。

死刑が確定した事件について裁判所が証拠品を再検証するのは異例中の異例である。裁判所が現時点で証拠品に重大な疑義を抱いているのは間違いなく、冤罪の可能性が高まったといっていい。

袴田事件を含めてこれまで5人の死刑囚の冤罪が判明しているが、「飯塚事件」が決定的に違うのは、すでに死刑が執行され、国家権力が無実かもしれない人の命を奪ってしまっていることである。検察の証拠の「捏造」あるいは「誤り」の可能性が高まって裁判がやり直され、無罪になったとしても、国家が合法的に奪った命は取り戻せない。これまで以上に死刑制度や司法のあり方を問う重大事件である理由はここにある。

飯塚事件とは何か。日弁連のホームページをもとに振り返ってみよう。

①1992年2月、福岡県飯塚市で小学校1年生の女児2名が登校途中に失踪し、翌日に隣接する甘木市で遺体で発見された。翌々日に遺体発見現場から数キロ離れた場所で被害者の遺留品が発見された。

②遺留品発見現場や被害者失踪現場の近くで目撃された自動車に該当する車両は福岡県内で127台あった。そのうちの1台を使用していた久間三千年氏に嫌疑がかけられた。

③久間氏は1994年6月に逮捕されたが、一貫して犯行を否認し、無実を訴えた。

④福岡地裁は「被告人と犯行の結び付きを証明する直接証拠は存せず、情況証拠の証明する情況事実は、そのどれを検討しても単独では被告人を犯人と断定できない」としながら、被害者の身体に付着した犯人の血液のDNA型が被告人と同一であると認定し、1999年9月、死刑判決を宣告した。

⑤福岡高裁は2001年10月に控訴を棄却、最高裁は2006年9月に上告を棄却し、第一審の死刑判決が確定した。

⑥2008年10月、「足利事件」(※無期懲役判決が確定した後、再審を経て無罪に)でDNA再鑑定が行われる見通しであることが広く報道された。飯塚事件で用いられたDNA鑑定は、足利事件と同じメンバーが同時期に同じ手法で実施していた。

⑦ところが一週間後、当時の森英介法務大臣は久間氏の死刑執行を命令し、判決確定からわずか2年余りという極めて異例の早さで死刑が執行された(「飯塚事件」の問題点を覆い隠すための死刑執行ではないかと指摘されている)。

⑧久間氏の遺族は2009年、福岡地裁に再審を請求。足利事件のDNA再鑑定を行った大学教授による鑑定書が新証拠として提出された。しかし、福岡地裁は再審請求を棄却し、福岡高裁も即時抗告を棄却。2021年4月には最高裁が特別抗告を棄却した。

⑨2021年7月、久間氏の遺族は、新たな目撃証言に基づいて、福岡地裁に第2次再審を請求。福岡地裁は今年3月20日、検察に対して証拠品リストの開示を勧告。

検察は一度起訴したら誤りを認めない。裁判所は一度判決を下したら誤りを認めない。いったん間違った決定が下されると、それを覆すのはほぼ不可能だ。

すべては検察官や裁判官の自己保身と組織防衛のためである。彼らは人の命よりも己の保身を優先する。真実よりも己の保身を優先する。国家権力はエリート官僚たちの保身の集合体であり、いかに無責任で怪しいものであるかを実感させられる「飯塚事件」の経緯である。

死刑執行後も真実を求めて戦い続けてきた久間氏の遺族や弁護団の闘いに敬意を表したい。

そもそも警察や検察は証拠をでっち上げるし、不正を隠蔽する。国家権力とはそういうものだ。裁判所が認めた冤罪事件は氷山の一角であろう。警察に逮捕され、検察に起訴され、裁判所に有罪判決を言い渡されて「無実の罪」を着せられた人は数知れないと考えたほうがよい。その一点をもって、私は死刑制度に反対である。

ところがテレビ新聞(警視庁クラブや司法クラブを担当する社会部記者たち)は警察や検察を「正義の味方」とまつりあげ、捜査機関が世論を誘導するためにリークする情報を垂れ流し、逮捕された容疑者や起訴された被告を糾弾してきた。国家権力の横暴を監視するのではなく、国家権力に加担してきたのである。冤罪を生んだ重大な責任はマスコミにもある。

証拠捏造の可能性を裁判所に指摘された「袴田事件」の再審開始確定でも、検察は特別抗告を見送りながら証拠捏造を認めず、謝罪もしなかった。最後まで過ちを認めず、責任も取らない不誠実な態度である。本来なら検察トップの検事総長が記者会見して袴田さんに詫び、国民への説明責任を果たすべきだ。

ところが検事総長は現れず、テレビ新聞の社会部司法記者たちも記者会見を迫らなかった。検察当局とマスコミ社会部の癒着は、首相官邸とマスコミ政治部のそれ以上に深刻だ(『袴田事件「証拠捏造」について、検事総長はなぜ記者会見しないのか?特別抗告断念に追い込まれてもなお謝罪しない検察と、検察の横暴を追及しないマスコミ社会部の不正義』参照)。

今回の「飯塚事件」も司法への信頼を根底から揺るがすものだ。検事総長は記者会見して国民への説明責任を果たす義務がある。しかしその責任を放棄するだろう。そして司法記者たちも誰一人記者会見を迫らない。検察もマスコミも腐っている。

警察や検察の捜査は往々にして間違っている。

裁判所の判決も間違っていることがある。

マスコミの報道は国家権力の立場を流布しているにすぎない。

国家権力の決定やマスコミの発信だけでなく、批判的な解説・分析にも耳を傾け、自分自身で真実を見極めるしかない。それが難しい場合は「これが真実」と思い込まず、「もしかしたら間違っているかも」という視点を忘れないことが肝心だ。

国家権力もマスコミも間違う。だからこそ、多様な視点で批判・監視することが絶対に必要であり、そのためには言論の自由を守ることが不可欠である。

忘れてはならないのは、死刑執行を命じた当時の森英介法務大臣である。現職の自民党衆院議員(麻生派)である。「飯塚事件」についてどのような考えで死刑執行を命じたのか、そもそも死刑制度をどう考えているのか。記者会見して説明すべきだし、マスコミは記者会見を迫るべきだ。

もうひとつ忘れてはならないのは、国会の責任である。死刑制度は国会が法改正すれば廃止できる。袴田事件や飯塚事件を受けて与野党はどう動くのか、注視したい。


日曜夜恒例の『ダメダメTOP10』。今週は岸田文雄首相や高市早苗大臣に加え、袴田事件に不誠実な対応を重ねる検察もランクインしています。ぜひご覧ください!

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