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正直で誠実な我が友・小川淳也のストイックな「狂気」の先にあるもの〜映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続編「香川1区」を観て

自民党には常識人が多い。知事も市長も地方議員も業界団体もふつうは与党を応援する。だから常識人でさえあれば当選できる。

野党は単身で選挙区に乗り込む。最初は敵ばかりだ。常識人というだけではとても当選できない。そこを突破して当選してくる野党の国会議員はみんな変人だ。野党がひとつにまとまれない理由はそこにある。

小川淳也は今年10月の衆院選が始まる前、私にそのような話をした。野党共闘はなぜ難航するのか、なぜ内輪もめが絶えないのか。そう問いかける私に対する答えだった。

大島新監督の新作ドキュメンタリー映画「香川1区」を公開に先立って観せていただきながら、私はこのやりとりを思い出していた。映画の前半に、小川が仲間内で讃岐うどんを平らげた後、自らを「常識人」だと語る場面があったからだ。

最近変わり者扱いされることが多くなっちゃった。そうなんでしょうけどね…自分では至極、常識人だと思ってきたので、あれーと思って…やっぱり人様に迷惑をかけないとか、不快感を与えないとか…「常軌」と「狂気」が同居してないと、大仕事にはならんのかもしれませんね…(政治家には)ヒューズが飛んでいる人も多いけど、ヒューズを(意識的に)飛ばさなきゃいけない。誰が自転車に旗立てて走りたいか。(そんな人)おるか?

前作でも新作でも描かれた小川の「正直で誠実」な人間像。小川にとって常識人とはそういう人なのかもしれない。

しかし小川が官界を去って飛び込んだ政界において「正直で誠実」は常識ではなかった。それでも小川はその人間像を政治家としても実践することにこだわり、自らを追い込んできた。大島監督が描くように、まるで「永田町の修行僧」である。

大島監督が「政界の非常識人」である小川を描いたドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」は大ヒットし、無名の野党議員であった小川を全国区の政治家に押し上げた。小川は「こんなに正直で誠実な政治家がいたのか」という新鮮な驚きをもって多くの人々に受け止められたのである。

私も香川県立高松高校の同級生として、さらには小川の政界入りに直接かかわり彼の政治活動を長くウォッチしてきた政治記者として、大島監督から前作「なぜ君は総理大臣になれないのか」のトークイベントにお招きしていただいた縁がある(以下の記事参照)。

新聞記者やめます。あと9日!【「なぜ君は朝日新聞を辞めたのか?」6.1退職後の初仕事は大島新監督とトークイベント 】

ヒット作の続編を多くの人々の期待にかなう作品に仕上げるのは容易ではない。小川が映画の後押しも受けて自民党の平井卓也氏をついに破った今回の香川1区の選挙戦を大島監督がどう描いたのか。興味津々で観入った。

以下のツイッターに予告編が紹介されている。ぜひご覧いただきたい。見応えあります。12月24日に東京都内で先行公開、年明け1月21日より全国で順次公開予定です。

私が抱いた第一印象は、小川は前作に増して「正直で誠実」な政治家として描かれていることだった。

映画は2021年4月18日、50歳の誕生日を迎えた小川が東京・赤坂の衆院議員宿舎で妻と娘と団欒するところへ大島監督が訪れる場面から始まる。

小川は50歳を迎えるにあたり、最初の選挙で掲げた公約「50歳を過ぎたら早期に身を引く」についてどう説明するのか、そもそも説明する必要があるのか、そこまで自らを追い込む必要があるのか、葛藤した。しかし「素通りするのは良くない。なんらかけじめをつけなければならない。つけるとしたらこの日がよい」と決断し、「ただちに引退はない」という考えをインターネットで配信するに至ったと語る。

20年近く前の公約にそこまでこだわり、説明責任を果たそうとする政治家がどれほどいるだろうか。

しかしそれは小川自身が「正直で誠実」な政治家であることを強くアピールし、それが映画を通じて広く拡散された結果、世間が彼に要求する「正直で誠実」な政治家像をいっそう進化させなくてはならなくなった帰結ともいえる。自分自身を「正直で誠実」な政治家へ追い込み続ける「ストイックの連鎖」に陥ったといえるかもしれない。

野党は常識人では当選できないーー。彼はその「勝利の条件」を満たすため、自らの「常軌」ーー正直で誠実ーーを非常識なレベルまで研ぎ澄ませることで「狂気」を獲得しているように私には思えた。大島監督のカメラは「ストイックの連鎖」に身を置く彼の姿を克明に映し出していく。

小川は10月31日投開票日の夜、当選確実の報道を受けてマイクを握り、歓喜に包まれる支持者たちへ感謝の思いを伝えた後、最後にこう話したのだった。

最後に余計なことかもしれないんですが、あえてこの場で、皆様の前で申し述べさせてください。久しぶりの久方ぶりのそして悲願の選挙区当選、香川1区の代表者としてこれから仕事にあたらせていただきます。そこにあたって私はかねてから、民主主義とは勝った51がいかに残りの49を背負うか、おめでたい席上で余計なことかもしれませんが、その意味で、ご奮闘された対立候補の皆様にも心からエールを送り、激励を送り、そしてその皆様をご支援なさった皆様にも心より敬意を表し、日本の民主主義をより懐深く、そして志高く、温かく、思いやりと温もりに満ちた希望を感じるような日本の民主主義を、引き続き皆様と一緒に、この香川1区から育ませていただきたい。

小川が香川1区で獲得したのは90267票。得票率は51.00%だった。映画のスクリーンに「奇しくも小川は『51対49』で勝利した」の字幕が流れる。

彼は国家権力に直接関与しない野党議員でありながら、与党の相手候補やその支持者の声も「正直で誠実」に背負っていくことを約束したのだった。どこまでもストイックである。

映画はその後、小川が立憲民主党代表選への出馬に真っ先に意欲を示したものの推薦人20人の確保は難航を極めたこと、最後は党重鎮の野田佳彦元首相の側近である大串博志氏の協力を得て何とか推薦人を確保したものの、決選投票に残れず三位にとどまったこと、その後は泉健太代表から政調会長に起用されて初の党執行部入りを果たしたことなどは詳しく描いていない。

映画は最後に小川が東京・有楽町の街頭に立って市井の人々と青空対話集会を始めた姿を映し出す。「香川1区だけが日本の中でちょっと異常な熱さを持っていた。たぶん数年後に日本中が香川1区になるタイミングがくるんだろうと感じている」という観衆からの声を紹介して幕を閉じる。

小川が香川1区で「狂気」のレベルまで「正直で誠実」を追求した結果として生じた「異様な熱気」が全国に波及することを願う、大島監督らしい前向きな結語であった。

さて、ここから先、小川の政治家としての将来を展望するのは政治ジャーナリストの役割である。彼がまるで修行僧のように極限まで練り上げた「正直で誠実」という「非常識な政治家像」が、野党第一党の執行部の一人となった後に変節していくのか、しないのか。

小川がその政治家像を維持し、さらに鮮烈にしていくのは、実は難しいことではない。泉代表ら執行部と一線を画し、小川の意見が受け入れられなくてもあるべき理想像を説き続ければ、有楽町に集う小川支持者たちはさらに期待を募らせ、観衆の「異様な熱気」は膨らむであろう。そうして支持基盤を純化させていくのもひとつの道だ。「狂気」を磨き上げるのである。

一方で、来年夏の参院選で苦戦が予想される立憲民主党を再建させることを優先するならば、泉体制の内部に深く入り込み、「常軌」を取り戻して妥協を重ねることは避けられない。その場合、「狂気」を求める小川支持者たちを落胆させるリスクは免れない。

賢明な小川のことである。「常軌」と「狂気」を同居させる術を思慮しているに違いない。

さりとて「常軌」は制御できても「狂気」は制御できないものであるように私は思う。いったんブレーキをかけたら「狂気」はそのまま萎んでしまうのではないか。逆にブレーキをかけたところで「狂気」は方向性を失って暴走するのではないか。彼の前方には視界不良の未知の世界が待っている。

政治記者の立場を離れ、ひとりの友人としては、小川が「ストイックの連鎖」に陥り、どこかで張り詰めた糸が切れないか、心配な思いもある。私とも同級生である小川の妻・明子さんも心配していることだろう。

映画では、私が思春期を過ごした高松の空が随所で効果的に映し出されていた。透き通った青い空、茜色に染まる空…。今も32年前の高校時代も変わらない。大島監督と前田亜紀プロデューサーのカメラワークの素晴らしさに今回も魅せられた。

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