政治記者として永田町をともに奔走したNHKの増田剛記者からこの夏、一冊の本が届いた。『ヒトラーに傾倒した男〜A級戦犯・大島浩の告白〜』(論創社)である。
大島浩は第二次世界大戦前から戦中にかけて駐ドイツ大使を務め、日独伊三国同盟を強力に推し進めた大日本帝国の軍人。「ナチス・ドイツに最も食い込んだ日本人」と言われ、ヒトラーとも蜜月の関係を築いた。大島がドイツから母国へ送った「ドイツ優勢」の戦況にミスリードされ、日本は米国との開戦に踏み切る。
戦後はA級戦犯として訴追されたが、一票差で絞首刑を免がれた。巣鴨プリズンに服役後、恩赦を受けて1955年に釈放された。神奈川県茅ヶ崎市で隠棲生活を送り、公の場に姿を表すことはなく1975年に他界した。
その大島がヒトラーとの交流や日独伊三国同盟の舞台裏、国をミスリードしたことへの反省などを赤裸々に語る肉声テープを、NHKの増田記者は入手する。1973年(他界する2年前)、同じ茅ヶ崎市に住む歴史学者の三宅正樹・明治大学名誉教授に証言したものだ。内容は公にしないという前提だったが、三宅さんはカセットテープに録音する許可を得ていた。全部で7本、12時間分だ。
大島が亡くなった後、三宅さんは未亡人から届いた一通の葉書で、大島が生前、テープの内容を公表してもいいと話していたことを知る。時は流れ、日独伊三国同盟の締結から80年と節目となる2020年、三宅さんは増田記者の求めに応じ、音声テープをついに公開することにした。
2021年8月14日にNHKBS1で放送された『BS1スペシャル ヒトラーに傾倒した男〜A級戦犯・大島浩の告白〜』は大きな反響を呼んだ。今回の新刊は増田記者が未放送部分を含めて再構成したものだ。
実は7月下旬に発売にあわせて送付してもらったのだが、私が多忙な日々が続き、お盆に入ってようやく本を開くことができた。冒頭からぐいぐい引き込まれて1時間ほどで読み上げてしまった。これは読者の皆さんにご紹介しなければならないと思い、筆を執った次第である。
大島浩の父親は美濃の貧しい下級武士の家に生まれ、陸軍で立身出世し、山縣有朋に引き上げられて陸軍大臣まで昇り詰めた。大島は陸軍軍人二世として、徹底的なドイツ通として育てられる。ナチス誕生直後にドイツに赴任し、ナチス幹部に食い込んでいく過程を大島の肉声とともに追っていく構成は圧巻だ。
当時の関係者を幅広く取材し、大島という日独外交の黒幕の存在を立体的に浮き彫りにしているのも特徴だ。特にハンガリー公使として大島の「ドイツびいき」に異議を唱えて対立した外交官の大久保利隆(大久保利通のいとこの孫)の手記を孫娘から入手し、当時の大島の政治的立ち位置を多角的視点で描いているところは読み応えがある。
日本の戦争への道を振り返り、東アジアの緊張が高まる現代の政治を再考するための必読の書だ。
増田記者はNHK政治部、私は朝日新聞政治部に長く在籍し、永田町の政治家を追いかけてきた。2001年に民主党幹事長だった菅直人氏の番記者で一緒になったのが出会いである。
私はマスコミ各社の政治部記者としては珍しく、菅直人氏を手始めに、竹中平蔵氏、古賀誠氏、与謝野馨氏、町村信孝氏ら与野党の多種多様な政治家の番記者を務めた。なぜそのような政治記者人生を歩んだのかについては新刊『朝日新聞政治部』で詳しく解説したのでご覧いただきたい。
NHK政治部はいったん特定の政治家を担当すると、その政治家をずっと担当し続け、運命共同体になる傾向が他社に増して顕著だ。その政治家が外相になれば外相番に、官房長官になれば官房長官番に、幹事長になれば幹事長番に、総理になれば官邸キャップに…といった具合である。
安倍晋三元首相に食い込んだとして知られるNHKの岩田明子記者(安倍氏死去後に退職したとの報道があった)も安倍氏とともに担当を移っていった。その政治家が出世すれば記者も出世し、失脚すれば記者も失脚するという事例は少なくない。この番記者制度が政治記者を政治家と一体化させ、批判精神を失わせる大きな要因となっている。
増田記者が番記者を務めたのが菅直人氏だった。私が様々な政治家の番記者を転々とするなかで、増田記者は記者人生の多くを菅直人番記者として過ごした。私は菅直人氏にすべてのマスコミ政治記者のなかで最も食い込んでいるという自信があったが、唯一ライバルとして存在していたのが増田記者だった。私たちは長年、そういう関係にあった。
増田記者は他のNHK記者と違って菅直人氏にも批判的な目をもっていた。それでもNHK内部では「増田記者=菅直人」とみられる傾向が強かった。
NHK政治部は政権与党べったりである。「増田記者=菅直人」のレッテルは彼の社内出世にとって必ずしもいい方向には働かなかったと思われる。民主党政権が倒れ、安倍自民党が政権復帰した後、増田記者に対するNHK政治部内の風当たりは強まったように私には見えた。
増田記者はうまく立ち回り、もうひとつの得意分野である外交・安全保障取材で頭角を現していった。ワシントン特派員や外交安保専門の解説委員を歴任し、テレビ出演の機会も増えていった。野党の低迷が続くなかで、日本の政権中枢取材ではなく、国際報道分野に活躍の舞台を求めていったのだろう。NHKはがんじがらめの国内政治報道に比べ、国際政治報道や歴史報道は比較的自由なのだ。
増田記者がそのなかでつかんだ大島浩の肉声テープ。政権中枢から都合の良い情報をリークされる「自称・特ダネ」とはまったく異なり、埋もれていた歴史的事実を掘り起こす見事なスクープである。私に送本してくれたのもうれしかった。長年のライバルとして心より祝福を送りたい。
NHK政治部も朝日新聞政治部も目下、自民党と統一教会の歪んだ関係についてほとんど報道せず、世論から袋叩きにあっている。どちらの政治報道も近年、まったく精彩を欠く。
私は朝日新聞社を飛び出して独立し、外からジャーナリズムの再建に全力を尽くしているが、増田記者はNHKにとどまり、内側で闘っているのだろう。今回のスクープのように、ひとつひとつの報道を積み重ねることでジャーナリズムの再建につなげていく覚悟に違いない。
本書のあとがきには、増田記者の思いがにじんでいる。やや長いがここに引用したいと思う。まさに今のNHKや朝日新聞に向けられた言葉だ。
私は、政治記者だった。そして、私の政治記者の大先輩が(この方はNHKではなく、某新聞社に所属している)「BS1スペシャル ヒトラーに傾倒した男」を見て、私に感想をメールで送ってくれた。その内容を要約すると「大島浩のように、優秀で相手の懐に食い込みながらも、取材対象のいいことしか書けない、批判できない政治記者を、過去何人も見てきた。しかし大島は、それによって国の運命を変えてしまった一人になったことがよくわかった」というものだった。そう。取材対象の政治家に食い込む一方で、その政治家に入れ込むあまり、その不利にならないよう、その政治家の都合の良いことしか書かなくなる(書けなくなる)というのは、政治記者が陥りがちな陥穽である。
大島は、ヒトラーの懐に飛び込み、食い込むことに成功した。悩みを打ち明けられるまでになり、世界に先駆けて独ソ戦の開戦情報をもらうことにも成功した。大使としては、任地の政府の首脳と親密な関係を築き、機密情報を得ることが、最大の目的である。しかも、ヒトラーは、当時、世界中が注目する大物だった。ある意味で、大島は、外交官としては、「最高の仕事」をやってのけたと言っていいかもしれない。しかし、結局、大島はヒトラーに入れ込むあまり、ヒトラーやドイツにとって都合の良い情報ばかりを日本に送るようになった。都合の悪い情報を送れなくなった。独ソ戦が泥沼化する中で、「ドイツ優勢」の情報を送り続けたのは、その典型的な例である。そして、これは、大日本帝国の国益を著しく損ね、まさに国を破滅への道へとミスリードしていくことになった。その意味では、大島は外交官として、「最悪の仕事」をしたのである。
私たちジャーナリストも、大島と同じ陥穽に陥ってしまうことはないか。取材対象に寄りすぎてしまい、「ミイラ取りがミイラなる」ことがないか。本当は世に伝えなければならない真実を葬ってしまうことがないか。私は改めて自問し自戒した。