所得税の非課税枠を103万円から178万円に引き上げれば、税収が約8兆円減って財源不足に陥るーー。財務省はそう主張し、マスコミもそう垂れ流している。その根底にあるのは、「財政の収支は均衡させなければならない」という緊縮財政論だ。
ここに「大きなウソ」がある。103万円の壁の撤廃問題は、それをあぶり出す絶好の機会である。
財務省は所得税の非課税枠を103万円から178万円にすると、国税が3・75兆円、地方税が3・75兆円、あわせて7・5兆円程度の減収になると見積もっている。
しかし、この試算はかなりのどんぶり勘定だ。
今年度の補正予算案によると、税収は当初予算より3.8兆円も増えている。税収の上振れ分だけで地方税の減収分は十分に確保できる計算だ。
ここ数年、税収は財務省の当初見積もりを大幅に上回っている。2023年は2・5兆円増、2022年は6兆円増だった。
このような税収の過小評価がなぜ繰り返されるのか。
財務省は「財政の収支は均衡させなければならない」という緊縮財政の立場から、税収を低く見積り、支出は極力抑え込む予算づくりを行う傾向が強い。
とりわけコロナ禍の巨額財政出動や円安進行でインフレ(物価高)に転じた後、税収は財務省の見積もりを大きく上回ることになったのに、財務省はなおデフレ時代の感覚で税収を見積もってきたのだ。日本社会はデフレが30年も続いているから、財務省の現役職員のほとんどはインフレの感覚がないのである。
このように現実とかけ離れた税収見積もりによって「国民のための必要な政策」が押さえ込まれてしまうのはあまりにもったいない。
しかし、より本質的な問題は「緊縮財政論」そのものにある。
財政収支を均衡させなければならないのは、一般家庭ではそのとおりだ。野放図に支出を増やせば、家計は崩壊して自己破産に追い込まれてしまうだろう。
会社や自治体も同様だ。借金が膨らめば経営破綻に追い込まれる。
けれども、国家はお金を発行できる。財政収支と均衡させる必要は、本質的にはない。お金が足りなければ、どんどん刷れば良いのだ。
もちろん、野放図にお金を刷るのは危険だ。それは以下の二つの理由である。
①社会の秩序やモラルが崩壊する
②お金の価値が暴落してハイパーインフレが発生する
つまり「世の中に出回るお金の量」を調整することは、健全な社会を守るために、とても重要だ。日銀の金融政策(金利の上げ下げ)や財務省の財政政策(予算や税制)の究極の目的は、「世の中に出回るお金の量」を調整することにある。世の中にお金が行き届いていない時(不況時)はお金をどんどん発行し、世の中にお金が余っている時(好況時)はお金をどんどん回収しなければならない。
財政政策で最重要なのは、財政の収支を均衡させることではなく、世の中のお金の量を調整することなのだ。
税金の最も重要な役割も「お金の量を調整すること」である。不況時には減税し、好況時には増税するのだ。税制と予算の双方を使って(さらには日銀の金融政策とも連携して)お金の量を調整し、景気を安定的に良好な状況に保つことが、財政政策の最大の目的なのだ。
にもかかわらず、財務省は「財政収支の均衡」を目的化している。財務省は財政政策の役割自体を見誤っているといっていい。いや、わざと見誤っている。なぜなら、緊縮財政論こそ、財務省の政治力の源泉だからだ。
いくらでもお金を発行できるとしたら、財務省の予算編成権は大幅に弱まる。限られた予算を配るからこそ、財務省は強いのだ。財務省は経済官庁というより、どこまでも政治官庁なのである。
税金の二つ目の役割は、「富の再分配」である。世の中のお金の量を調整するために(お金を回収するために)税金を課すのなら、貧しい人からではなく、裕福な人から回収して(税金をとって)、貧富の格差を是正したほうがよい。世の中にお金が溢れかえっている時は、巨額の利益をあげた大企業への課税強化(法人税増税)や富裕層への課税強化(金融課税強化)でお金を回収し、その一部を中間層以下に給付して、貧富の格差を是正すればよいのだ。
税金の三つ目の役割は「罰金」である。社会に悪影響を与える経済活動に「罰金」を課し、健全な社会を維持することだ。健康を害するたばこやお酒に課税するのはわかりやすい例だ。環境税もそうだ。いずれも「財源確保」のためではなく、健康や環境を守るための課税である。
以上、総括すると、税金の役割は以下の三つだ。
①世の中のお金の量を調整する(好況時にお金を回収する)
②富を再分配する(大企業や富裕層に課税して格差を是正する)
③健全な社会を守る(健康や環境にマイナスな経済活動を抑制する)
税金の役割は、財源を確保することではない。「財政の収支を均衡させなければならない」というのは、財務省が自分たちの政治力を維持するために流布した妄想だ。財政収支は均衡させる必要はない。財政収支を均衡させるために、国民が求める政策をあきらめるのは、本末転倒である。