ついに自民党の聖域にメスが入った。
小泉進次郎農水大臣が掲げた「コメ増産」に対し、農水族のドン・森山裕幹事長が真っ向から反発。政権中枢で繰り広げられるこの内紛が、日本政治に思わぬ波紋を広げつつある。
火種は、進次郎が打ち出した「減反政策からの脱却」だ。これまで農協を支えてきた農水族議員にとっては、許しがたい方針転換である。
森山幹事長は週刊文春の取材で「現場をわかっていない」と進次郎を強く非難。背景には、農協と政治家の長年の癒着がある。
農水族が主導してきた減反政策の目的は、米価の安定維持。米が余れば値が下がり、農協の経営に打撃が及ぶからだ。
農協は販売手数料で利益を上げており、米価の維持は死活問題である。しかしその結果、日本では慢性的な米不足が発生し、米価は高騰。消費者の不満は高まっている。
この構図にメスを入れようとしているのが進次郎だ。備蓄米の流通を農協に頼らずスーパー等に直接売る「随意契約」を打ち出し、米価を下げると同時に流通構造の見直しに踏み切った。
進次郎の方針は「農協を守る農政」から「消費者を守る農政」への転換といえる。一時的な備蓄米の放出だけならまだしも、進次郎が「コメ増産」を宣言したことが、森山幹事長ら農水族を強く刺激した。
森山幹事長は、JAグループトップの山野会長と同じ鹿児島県出身で極めて親密だ。備蓄米の大半を農協が高値で買い占めてきた実態を「一番高く買ってくれた」と正当化し、進次郎の改革には冷ややかだ。
この対立、単なる農政をめぐる争いにとどまらない。森山氏は「影の総理」と呼ばれ、石破政権を支える屋台骨だからだ。
進次郎を農水大臣に起用したのは、石破茂総理ではなく森山幹事長自身だった。米価高騰と前任・江藤大臣の失言で農政批判が高まる中、世論をなだめる「目くらまし」として、農協改革を掲げる進次郎を表に立てたというのが真相だ。
参院選前に備蓄米を一時放出して米価を下げ、選挙後には元に戻す――そんなシナリオを森山氏は描いていた。だが、誤算だったのは、進次郎がコメ増産に踏み込んだこと。そしてメディアが思った以上に“進次郎フィーバー”を盛り上げてしまったことだ。
進次郎は一気にコメ増産と農協改革に動き出した。この事態に、森山氏は「現場のすべてを知っているわけではない」と不快感を隠さない。一方で石破総理は進次郎に好意的な姿勢を示しつつ、森山幹事長の意向も無視できず、両者の板挟みに陥っている。
石破氏自身、かつて農水大臣時代に「生産調整の廃止」を打ち上げて農水族から猛烈な批判を浴びた経験がある。彼の内心はむしろ進次郎寄りだろうが、少数与党である現政権は森山幹事長なしには立ち行かない。現に野党対策や予算通過、年金改革の交渉も森山主導で進められている。
それだけに森山氏は「参院選までは好きにさせてやるが、終われば元に戻れ」と高をくくっているのかもしれない。
しかしこの構図、どこかで見覚えがある。そう、進次郎の父・小泉純一郎元首相が仕掛けた「小泉劇場」だ。
2005年、小泉元首相は郵政民営化に反対した「郵政族」を敵に回し、ドンの野中広務氏を“抵抗勢力の親分”に仕立てて世論を味方につけた。世論の支持を武器に自民党内の造反議員を追放し、総選挙に圧勝したあの手法だ。
今回、農協を標的とした進次郎が「農水族のドン」であり「影の総理」とも呼ばれる森山幹事長に戦いを挑む構図は、まさにあの劇場型政治の再来を思わせる。
もちろん、父と違い進次郎は総理ではない。現状では農水大臣にすぎず、森山幹事長の力は健在。石破総理も森山に依存せざるを得ず、進次郎の暴走には距離を置かざるを得ない。
だが、世論が一斉に「小泉劇場2025」に熱狂したとき、状況は一変するかもしれない。
もし進次郎がこの戦いに勝利すれば、森山主導で進む「自民・立憲大連立」構想にも大きな影を落とす。進次郎は大連立に否定的であり、彼が台頭すれば政界再編の流れが一気に加速する可能性もある。
老練な80歳の「影の総理」か、それとも勢いに乗る44歳の改革者か。
進次郎と森山の戦いは、コメの話にとどまらない。日本政治の未来を占う、一大権力闘争がいま、始まったばかりだ。