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ABCテレビの堀江政生アナと挑んだ「朝日新聞政治部」改革の悲しい結末

大阪ABCラジオの看板番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」に9月14日(火)午前8時から電話出演して自民党総裁選を解説することになった。

大阪市と接する兵庫県尼崎市で小学生時代を過ごした私にとってはあまりに存在感の大きい番組である。子供のころ、朝のラジオから流れる「おはようパーソナリティ道上洋三です」は日常生活の一コマであった。それほど関西人の暮らしに溶け込んでいる番組だ。ことしで45周年だという。

今回の出演はABCテレビの堀江政生アナウンサーからお声がかかった。その日に道上洋三さんの代役を堀江アナが務めるということで出演依頼をいただいた。

私は昔、堀江アナが進行役のラジオ生番組「堀江政生のほりナビ!!」に毎週出演していた時期がある。当時は朝日新聞で調査報道を専門とする特別報道部のデスクを務めていたが、「ほりナビ!!」では政治解説をしていた。実に巧みに聞き出す堀江アナの誘いに乗って、政界やマスコミ界の裏話をずいぶん打ち明けてしまった記憶がある。

テレビ番組と違ってほとんど事前の打ち合わせはなく、ぶっつけ本番のアドリブ勝負というラジオの気軽さ、自由奔放さを私がとても気に入っていた。今回も堀江アナとの掛け合いで自民党総裁選のおかしさを痛快にお伝えしたいと考えている。関西の皆様、番組で会いましょう!

実は私は堀江アナの「元上司」である。もちろん、堀江アナは人生においてもメディア業界においても私より先輩なのだが、2009年夏から1年間、朝日新聞政治部に人事交流でやってきたのだ。

私は当時、自民党を担当する「平河クラブ」のサブキャップとして麻生政権の取材を仕切っていた。衆院議員の任期満了が同年秋に迫るなかで内閣支持率は低迷し、麻生太郎首相は衆院解散の機会を逸していた(今の菅政権の状況と酷似している)。民主党への政権交代が確実視されるなか、私は「堕ちゆく自民党」の取材を陣頭指揮していた。

8月の衆院選で民主党は予定通り圧勝し、政権を奪取した。この衆院選の投票率は7割近くに達した。日本社会は民主党政権誕生の熱気に包まれ、マスコミ報道も民主党一色に染まった。今では想像もつかない空気が世の中を覆っていた。

自民党は野党になった。党本部の人影はまばらになった。もはや再起不能と言われた。企業も官僚も寄り付かなくなった。そのなかで私は野党・自民党を担当する「平河クラブ」(正確には自民、公明、共産を担当する「野党クラブ」)のサブキャップに留任した。いわば自民党と一緒に「下野」したのである。

私は朝日新聞政治部内で屈指の民主党人脈を築いていた。歴史的な政権交代を経て、官邸クラブや与党クラブを任されると思い込んでいた。だが、朝日新聞政治部の人事は甘くない。それまで野党・民主党を取材してきたチームがそのまま民主党政権中枢の取材を担い、私は外された。今振り返ると、私が会社員人生ではじめて不満を感じた人事だったかもしれない。その後の激動の会社員人生を考えると実にささいな出来事だったが、30代の私はけっこう落ち込んだのを覚えている。

けれども、私はすぐに気を取り直した。これはチャンスかもしれないと思ったのだ。野党に転落した自民党に当時の日本社会はまったく関心を示していなかった。これは政治取材・政治報道のあり方を大きく変えるチャンスだと思ったのである。

マスコミ各社の政治部は官邸クラブ、与党クラブ、野党クラブなど記者クラブに記者を配置し、各党の幹事長や政調会長ら実力者に番記者をはりつけて情報を集約する取材体制をしいている。各社がもっとも怯えているのは自社だけが報道に出遅れる「特オチ」だ(業界用語でスクープを「特ダネ」というが、一社だけが報道できなかった事態を「特オチ」という)。これを恐れて番記者は連日連夜、担当政治家にへばり付くのである。その結果として、各社が横並びで同じような報道を流し、さらにはオフレコ懇談などで一斉に情報操作に利用されてしまうのだ。

このような政治報道を抜本的に変えるには、記者クラブから離脱し、番記者制度を廃止し、「政治家を追いかける取材体制」から「記者が主体的にテーマを設定する取材体制」に、政治部のあり方を抜本的に変えなければならない。

私はそれを実行する機会をうかがっていた。だが、いきなり実行すると、連日のように「特オチ」(つまり読売新聞や毎日新聞に載っているニュースが、朝日新聞には載っていないということ)が続いてしまう。私はメディアが多様化する時代、それでも一向にかまわないと考えていたし、むしろオリジナルな記事を量産することで読者の支持は得られると思っていたが、官邸や与党など権力中枢の取材体制を抜本的に変えるには政治部長はもとより編集局長の「決断と覚悟」が必要であった。当時はとてもそのような雰囲気はなかった。

そこで、私は考えた。だれも注目していない野党・自民党クラブであれば、政治取材のあり方を抜本的に変える実験ができるのではないかーーと。そして新しく集まった野党クラブ員たちに大胆な私案を提起した。誰も反対しなかった。そのときのメンバーの一人が、人事交流で朝日新聞に来ていた堀江アナだった。

私の提案は①これまでの政治部の常識であった「政治家を追いかける」取材は大胆に手を抜く②その結果「特オチ」してもかまわない。全責任はキャップとサブキャップが負う③その代わり野党クラブ全員で取り組むテーマを三つ決め、その取材に全力を尽くし、野党クラブの目玉商品とするーーだった。大胆に「選択と集中」を進めようという発案である。

一つ目のテーマは「考・政党」という連載企画だった。まずは自民党、公明党、共産党という当時の野党各党について野党クラブ員全員で徹底的に学ぶ。たくさんの本を読み、各党関係者を講師に招いて突っ込んだ意見交換を重ね、それぞれの党の歴史や風土や体質を掘り下げて理解する。そのうえでこれから各党が取るべき道を全員参加で徹底議論し、それを原稿として練り上げ、連載にまとめるという企画だ。

二つ目のテーマは「探訪保守」という連載企画である。新聞労連委員長として有名になった南彰記者が当時の野党クラブにいた。南記者が永田町取材をそっちのけにし、自民党のドンといわれた青木幹雄参院議員の地元・島根県出雲市に長期滞在し、お祭りをはじめ住民のくらしに溶け込み、草の根レベルを徹底的にルポして、単なる政治記事というよりは保守王国の政治風土・政治文化を紀行文のようなタッチで描こうという企画だった。これも南記者の原稿を全員参加で読解し、何度も推敲を重ね、南記者の主観を前面に打ち出した読み物に仕上げていった。これは異例の政治記事として大きな反響を呼び、出版社から書籍化の依頼が舞い込んだのである。

三つ目のテーマの主役が堀江アナだった。関西での堀江アナの知名度は抜群だった。人事交流で朝日新聞政治部にくる直前まで、ABCテレビの報道・情報番組「ムーブ!」のメインキャスターを務めていたため、顔も広く知られていた。関西方面の国会議員の支持者らが国会見学にくると、堀江記者を見つけて「あっ、堀江さんや、堀江さんや」と大喜びする場面を私は何度も目撃した。神戸に暮らす私の母も私の仕事ぶりには目もくれず「堀江さん何してる?」といつも聞いてきたものだ。

これは利用しない手はないーー私はそう思い、政治面に「堀江の目」というコーナーを作った。政治記者とはまったく違った視点で、堀江アナに国会論戦を自由に大胆に論評してもらうコーナーだ。これも異色の政治記事として話題を集めた。

以上、三つの異色の政治報道は読者にすごぶる評判が良かった。他社の政治記者の間でも斬新な試みと受け止められた。しかし、当時の朝日新聞の政治部長や政治部デスクは面白くなかった。

たしかに日々の自民党のニュースを「特オチ」することはあった。しかしそれらのニュースは他社の政治面にベタ記事で載る程度だった。それくらいのニュースが朝日新聞に載らなくても読者は怒らないのではないか。それよりはオリジナル溢れる連載企画に全力を尽くすほうが読者ニーズにあっているのではないか。私たちはそう主張した。しかし、政治部長や政治部デスクたちは不愉快だった。何より自分たちが築き上げてきた「政治部文化」を否定されることが気に食わなかったようだ。記者クラブや番記者制度から離脱して新しい政治報道をめざす意思も覚悟も彼らは持ち合わせていないと私は痛感した。

政治部長も政治部デスクも総スカンのなかで「野党クラブ」の連載企画を紙面に載せることができたのは、大物編集委員の曽我豪さんの後押しがあったからだ。曽我さんは連載企画のデスク役を買って出てくれた。政治部長や政治部デスクたちも曽我さんには直接文句をいいにくそうだった。私たちは「虎の威」を借りてなんとか斬新な報道を続けることができたのである。政治部はそんな組織だった。

しかし代償は大きかった。半年後の2010年春、野党クラブのキャンプ、サブキャップ(私)、三席(クラブ員のまとめ役)は一斉に、政治部長から政治部を離れる人事異動を通告されたのである。キャップは福岡へ、三席は名古屋へ、私は特別報道部への異動だった。政治部長や政治部デスクの意向に従わず独自の取材体制をしいたことに対する懲罰人事であると政治部内の誰もが受け止めた(菅義偉首相顔負けの人事権の乱用だ!)。

この結果、三つの連載企画は突然打ち切りとなり、「探訪保守」の書籍化も流れた。完膚なきまでに野党クラブは解体され、新しい政治取材を目指す試みは全否定されたのである(これもその後に待ち受ける私の激動の会社員人生に比べれば大した出来事ではないが、当時は挫折を感じたものだ。ちなみに当時の政治部長はほどなく更迭され、後任の政治部長が私を政治部デスクとして呼び戻すことになる。会社内で激しい人事抗争があったのだろう。朝日新聞は自民党や霞ヶ関に劣らず人事のことばかり考えている会社である)。

堀江アナはこの激しい政治部人事を目の当たりにし、ほどなくABCテレビへ帰っていった。それから数年後、私に「ほりナビ!!」への出演依頼をしてくれたのだった。私は堀江アナには当時の野党クラブの他のメンバー同様、同志のような思いを抱いている。

近年、政治報道への風当たりが厳しくなった。朝日新聞に限らず、いまの政治報道の行き詰まりは深刻だと思う。ただ現場の政治記者には改革を試みる者も少なからずいる(そうでないものも大勢いる)。彼らは時に上層部から押さえ込まれながらも粘り強く改革を試みて闘っている。編集局長や政治部長が出世欲と保身を捨て去り覚悟を決めれば政治報道はずいぶんと変わるだろう。志のある現場の政治記者が上層部を突き上げて動かすしかない。読者の皆さんも後押ししていただければ幸いだ。

きょうは政治部の現場の空気を伝えたくて、私の体験談を紹介させていただいた。私は朝日新聞を去ったが、現場の記者たちの組織内改革の動きは応援したいと心から思っている。

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