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朝日新聞はほんとうに「リベラル」か? アウェーの「ABEMA Prime出演」を振り返って

アベマTVの看板番組「ABEMA Prime」に出演するため、6月8日夜、東京・六本木ヒルズのテレビ朝日の一角にあるスタジオを訪れた。タレントの田村淳さん、ジャーナリストの佐々木俊尚さん、起業家の田端信太郎さんらと「リベラルメディアの功罪」について一時間近く討論した。

詳細はYahoo!ニュース「SNSや高齢読者層に絡め取られ、新聞本来の役割を忘れていないか? 元朝日記者・鮫島浩氏と元毎日記者・佐々木俊尚氏が激論」などでも紹介されたので、ご覧になっていただきたい。

アベマTVは虎ノ門ニュースほどでないにしても右派言論人が活躍する舞台である。私は2年前、現役の朝日新聞記者として出演し、上念司さんと「新聞の未来」について激論した。ネトウヨ視聴者を中心にネット上でずいぶん罵声を浴びたが、彼らの感性を知る貴重な機会だった。

これまでネトウヨから私に投げかけられる批判の9割以上は「私の主張」ではなく「私が所属する朝日新聞」に向けられるものだった。大半は罵詈雑言や誹謗中傷なのだが、それら「朝日新聞批判」の中には時折、核心をつくものも紛れ込んでいる。

私が朝日新聞を去ることを表明した後、彼らネトウヨの反応はふたつに割れた。半分は依然として「朝日OBとして活動するんだろ」「割増退職金をもらうんだろ」などと批判的なもの。残り半分は「やっとこちら側にきてくれた」「意外にいい奴かもしれん」と好意的なもの。「朝日新聞を去り、朝日新聞を批判する、朝日新聞OB」との向き合い方について、彼らの思考も交錯しているようだ。「お世話になった会社の悪口を言うなんてひどい奴だ」と、今の朝日新聞社の上層部が聞いたら喜びそうなコメントを投げかけてくるネトウヨもいる。

三浦英之青木美希南彰らツイッターで実名で発信しネトウヨの攻撃にさらされている朝日新聞記者たちは、朝日読者から期待を集める半面、官僚的・統制的な朝日新聞社内では実は少数派であり、会社からさまざまな形で「圧力」を加えられているという事実を、ネトウヨの皆さんにはぜひ知ってほしいものだ。

私は政治家など他者を批判する言論人のひとりとして、自らが反撃を浴びることは仕方がないと考えている。時にその反撃は的を外れ(例えば私を「捏造記者」を批判することは名誉毀損にあたり提訴すれば勝つだろう)頭にくることもあるが、言論を扱うプロとして、ある程度は許容する度量が必要だと思う。そうした考えから、私はツイッターでも誰かをブロックしたことはない。むしろ、彼らとも胸襟を開いて意見交換し、合意形成をめざす道をあきらめずに探ることが、ジャーナリストに求められる態度であろう。

私の経験で言えば、ツイッターで激しい言葉を投げている人々も、面と向かって話すとそれなりに一致点を見出せるものである。上念さんもそうだった。私も毎日のツイッターでは端的に主張を発信するように心がけており、そのせいか激しい性格の持ち主という印象を持たれているようだが、こうした番組や講演をみていただいた方からは「ツイッターとはずいぶん印象が違った」という感想が届く。民主主義に必要な「合意形成」にはやはり「対面して話し合う」ことが有効なのだろう。

そうした思いから、朝日新聞を退社した直後の今回の「ABEMA Prime」出演のオファーも喜んで受けさせていただいた。お題の「リベラルメディアの功罪」は事実上「朝日新聞の功罪」であり、ネトウヨ視聴者が待ち構えていることは百も承知である。

今回、私が最も主張したかったのは「リベラルとは何か」だ。リベラルだの保守だの、左だの右だの、政治討論で飛び交う言葉だが、それらの多くは定義があいまいなまま使用され、その結果として議論が噛み合わないことが実に多いからである。

私が定義するリベラルとは「国家の利益よりも個人の自由や人権を重視する」立場である。国家重視と個人重視は、現実政治において、どちらかが100でどちらかが0という問題ではない。バランスの問題だ。そのうえで判断に悩む問題に直面した時、国家と個人のどちらに比重を置いて決断を下すかは、政治の大きな対立軸となる。読売新聞や産経新聞は明らかに「国家」である。そうしたメディアを「右」と呼ぶならば、私は「左」である。「国家」よりも「個人」を重視する立場=リベラルだ。

その定義にあてはめた場合、朝日新聞は「リベラル」か。私はとても懐疑的だ。国家プロジェクトである東京五輪スポンサーになったことも、政府が掲げる緊急事態宣言に同調して行動自粛を呼びかける報道姿勢も、実は個人よりも国家を重視しているのではないかという疑念を膨らませる。

朝日新聞は「リベラル」の仮面をかぶりつつ、実はキャリア官僚ら国家権力に歩調をあわせる「国家重視」なのではないか。その内実は「リベラル」を装った「読売新聞」なのではないかーー私は27年間の朝日新聞記者人生で、そんな疑問をしばしば感じてきた。

社説で「東京五輪中止」を掲げながら、五輪スポンサーの立場は堅持し、社会面では五輪を盛り上げる記事を量産しているという二面性は「偽リベラルではないか」という疑念を膨らませる。「リベラルメディアが凋落している」のではなく、「リベラルを標榜しながら実はリベラルとは正反対の紙面をつくっている」ことが、リベラル読者層から見放される最大の原因ではないか。

ABEMA Primeではそのような見解を述べさせていただいた。佐々木さんや田端さんから異論もあったものの、認識が重なり合う部分も多かった。討論のなかで共有できたのは、①多様なメディアが存在することは重要である、②多様な言論の合意形成をはかる場が必要であるーーの二点であろう。

佐々木さんはこの「合意形成」機能を新聞社に求めているようであった。そのために新聞社は「批判」よりも「提案」に軸足を置くべきとの主張である。

私は新聞社の最も大きな責務は国家権力の「批判」であると考えている。もちろん「提案」するのもよいが、「提案」に力を入れるあまり、「批判」がおろそかになっては元も子もない。なぜなら「提案」は学者やシンクタンクにもできるが、国家権力を「批判」するのは勇気と覚悟がいるからだ。国家権力に睨まれるのは誰にとっても怖い。でも、誰かが批判しなければ権力は増長する。権力から反撃を受ける恐怖を引き受け、声をあげにくい人々に代わって批判を行うのがプロの新聞記者の責務であり、そのために記者会見に出席するなど様々な特権を与えられている、というのが私の考えだ。

そのあたりに相違点はあったものの、社会の分断を解消して合意形成をはかる場が必要であるという問題認識は共有できた。ABEMA Primeに出演する際はいつもアウェーに乗り込むような気分になるが、そこから得るものは少なくない。機会をいただければ出演し、アンチリベラルの方々とも議論を練り上げていきたい。


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