朝日新聞が安倍晋三元首相の国葬を風刺する読者投稿の川柳に対して右派からバッシングを受けたとたんに白旗を上げたことを先日嘆いたばかりだが(『安倍氏国葬を風刺する朝日川柳、右派バッシング受け早々に白旗〜自己保身の犬!投稿者をさらし者にする巨大新聞社の背信行為』参照)、それにつづいて今度は社会学者の宮台真司さんが朝日新聞のインタビューを受けたのに、自民党と統一教会の関係について話した部分が削除されたことを暴露し、またも朝日新聞の弱腰姿勢に注目が集まる事態になっている。
問題の記事は、朝日新聞7月19日付朝刊やウェブ版に掲載された「元首相銃撃 いま問われるもの」「『寄る辺なき個人』包み込む社会を」。宮台さんがJ-castニュースの取材に明かしたところによると、朝日新聞に削除された主な発言は以下の3点だという。
「偏った世界観と過度な資金集めを特徴とする宗教団体が、フランス・ドイツなどのようにカルト指定されなかったことが大きい」
「70年代末からは、旧統一教会系の原理研究会が各大学キャンパスで地方から上京したての孤独な新入生を勧誘した」
「90年代にオウム真理教が社会問題化して以降、政治家は宗教団体と距離を置くようになった。だが被害対策の弁護士らによると、民主党政権が生まれたゼロ年代末から10年代初めにかけて両者が再び目立つ形で接近し始めた。自民党の下野から政権奪還に至る過程で、確実な集票を期待できる宗教団体やネット右翼との関係が深まったのだ。教祖が世を去った宗教団体側も、政治家を新たなアイコンとして組織の求心力を維持したがった。持ちつ持たれつだ」
朝日新聞は宮台さんに対し「社会部の取材で確かめてからでないと掲載できない」と伝えた。専門家としてインタビューを依頼しておきながら、その内容について自前で内容の確認がとれていないので掲載できないというのは、ずいぶん上から目線である。統一教会をめぐる社会的問題は昨日今日に始まったものではないのに、宮台さんのコメントの前提となっている事実に朝日新聞がいまなお疑義を抱いていることにも驚きだ。朝日新聞にとってはよほど白黒はっきりつけたくない、あいまいにしておきたい事実なのだろう。
宮台さんはこれに対し「社会部の取材が追い付かないのは社会部の責任ではないか」と反論したが、朝日新聞は「今回は社会部が勉強課題を負ったということで勘弁してほしい」と拒否を続けた。この「勉強課題を負ったということで…」というのはマスコミが物事を先送りする時によく使う方便である。宮台さんは「これ以上ゴリ押ししても、掲載延期ないし中止になる」と判断し、受忍したという。
朝日新聞よ、ここまで壊れたかという気分である。報道機関・言論機関として再生するのはもう無理だろう。
社会部の取材で確かめてからでないと掲載できないーーこの掲載拒否の理由に、いまの朝日新聞を巣食う病理が凝縮されている。
「社会部の取材で確かめてからでないと掲載できない」のなら、日々の紙面に乗っている識者コメントはすべて社会部の取材で確認されたことばかりというのだろうか(例えばコロナワクチンの効果については社会部が裏を取らなくても政府や専門家の発表を垂れ流していますよね?)。社会部が取材で確かめるって、誰に確かめるのだろう? もしかして、統一教会や自民党に確かめて承認してもらわない限りは書かないということか?(おそらくはそうだろう)。
単に自民党や統一教会からクレームを受ける恐れがある内容は一切掲載したくないというだけの話にしか思えない。あまりにバカげた言い訳に空いた口が塞がらない。
ただし、この言い訳には重要な事実が潜んでいる。社会部のゴーサインがなければコメントさえ掲載できないほどに今の朝日新聞では社会部が絶対権力者になっているのである。
2014年「吉田調書」報道取り消し事件で政治部出身の木村伊量社長が退任し、大阪社会部出身の渡辺雅隆社長が就任した後、朝日新聞社は社会部支配の時代に突入した。渡辺社長は同期の社会部出身らで要職を固める「お友達内閣」をつくり、経営から編集まで社会部出身者が牛耳るようになると、彼らは調査報道専従の特別報道部を廃止したり、東京五輪礼賛報道を社会部主導で進めたり、やりたい放題になった。一方で、記者のSNS発信を厳しく管理統制して会社批判を徹底的に封じ込め、それに従わない記者たちは露骨な左遷人事で弾圧したのである。
この渡辺雅隆体制のもとで朝日新聞社は創業以来の大赤字に転落し、渡辺社長は2021年春に退任に追い込まれたものの、社会部支配は継続した。渡辺氏は政治部出身で小役人タイプの中村史郎氏を後継指名するとともに、社会部出身の角田克氏が常務(編集担当)に就き、社会部は権益をしっかり維持した。
現在の朝日新聞社は政治部出身の中村社長の指導力は極めて弱く、社員の半分を占める編集局を取り仕切る社会部出身の角田氏が幅を利かせている。編集局長(ゼネラル・エディター)など新聞編集の主要ポストは角田氏の息のかかった社会部出身者で占められている。角田氏は次期社長の呼び声が高い。
角田氏は就任早々、「権力監視と権力批判は別だ」と語るなど、権力批判に極めて及び腰な姿勢を示し、編集局内は角田氏の顔色をみながら権力追及に尻込みする空気が広がっているーーというような話はかつての同僚から私のところへいくつも届いている。
社会部というと「権力と戦う」という誤ったイメージがあるが、少なくとも今の朝日新聞社はまるで違う。社会部こそ権力にべったりの象徴と化している。そのなかでも検察にべったりで有名なのが社会部のエリートが集結する司法記者クラブであり、角田氏も司法記者クラブ出身だ。
今回の朝日川柳への右派バッシングにすぐに白旗を上げた対応も、自民党と統一教会の濃密な関係を指摘する宮台さんのコメントを削除した対応も、角田氏をトップとする社会部ラインが主導して決めた可能性が極めて高いだろう。「社会部の取材で確かめてからでないと…」と宮台さんに漏らした朝日の担当記者は社会部ではないと思われ、社会部支配に怯える様子が伝わってくるようだ。
私の元へかつての同僚から聞こえてくるのも、角田氏の強権ぶりに対する怯えばかり。角田氏に睨まれ、早期退職(肩たたき)へのプレッシャーを浴びる通称「追い出し部屋」(記者職を外され大幅に給与が下がる編集業務支援の新設部署)へ異動させられる報復人事を受けることへの恐怖を漏らす記者が少なくない。そんな感じだから、社内からは異論がまったくあがらない。すっかり息苦しい会社になってしまったようだ。
私は中村社長も角田常務も昔から知っているが、どちらも吉田調書事件で当時の主流派の人々が失脚しなければ今の地位に就くことはなかったであろう面々だ。思わず転がり込んできたポストにしがみつくため社内統制を強めるのは無能な経営者が陥りやすい罠。外部からの批判にはすぐに屈して穏便に収め、社内ではとにかく失敗をしないように事勿れ主義に徹し、人事権を振り回して批判勢力を抑圧するという隘路に朝日新聞社は陥っているようにみえる。
以上、拙著『朝日新聞政治部』の続編のような話をすこし書いてしまったが、本書の第七章「終わりのはじまり」には、朝日新聞の内部統制が2014年以降に急速に強まり、記者たちの表現の自由がどんどん奪われていく様子が詳しく描かれている。そのなかに中村社長や角田常務も実名で登場している。現在の朝日新聞で相次ぐ、信じられないような失態の数々は、本書で示した出来事の延長線上の話だ。
朝日川柳問題と宮台真司さん問題を受けて、講談社の編集者が『朝日新聞政治部』の終盤でこの会社の凋落ぶりを生々しく描く第七章を広く読んでもらうため現代ビジネスで無料公開したいと提案してきたので快諾した。
7月23日から5日間連続でシリーズ『朝日新聞は頭から腐った』が無料公開される。
7月23日には毎日新聞と北海道新聞に新たに広告が掲載された。まだまだ好調の『朝日新聞政治部』。まだお手にとっていない方はぜひ。朝日新聞の凋落の原因がとてもよくわかります!