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高齢読者も離れ、部数減を上回る広告減に…政府依存を強め無難で凡庸な記事を量産する新聞社は「老害」になった

私と同じように朝日新聞社を去ったふたりのジャーナリストがこの正月に興味深いツイートをしていたので紹介したい。

一人目は亀松太郎さん。年末年始に81歳の父親と75歳の母親が二人で暮らす実家に帰省すると、新聞が配達されたままの状態で放置されていた。時刻は午後3時。しかも新聞の日付は前日だった。今日の新聞はまだ郵便受けに残っていた。

どうやら両親は新聞を読む習慣を失ったらしい。実家にはテレビがない。何を情報源にしているのか。

母親に尋ねると「新聞は読んでもあまり面白くない。新しいという感じがしない。どれもどこかで読んだことがある気がしてしまう」という。母親はiPadで毎日YouTubeを楽しんでいるというのだ。あわせてほぼ一日中、ラジオがBGMのように流れ続けていた。

亀松さんは高齢者たちも「テレビ+スマホ」あるいは「ラジオ+iPad」で十分だと気づき始め、新聞離れが加速していると分析している。一方で、実家がいますぐに新聞の購読をやめるかといえば、そうはならないと予測する。なぜなら、父親が「いまも新聞を読んでいると豪語している」からだ。

高齢者にとっても今や新聞は必要不可欠な情報源ではなくなり「私は社会に強い関心を持ち、知的好奇心にあふれた教養人である」ことを世間に示す一種のアクセサリーになったということか(アクセサリーにしてはややダサイのだが)。

このエピソードを踏まえた亀松さんの結論が面白い。「新聞を読まなくなったのに購読を続けてくれる人たちのおかげで、新聞社の経営が支えられ、その結果、新聞記者が取材した記事をネットで読むことができる」というのである。強烈なパラドックスだ。

新聞の存在価値を何とかして見出そうとする思いは、新聞記者OBとして共有できなくもない。

ただこの回りくどい解説は一般の人々の胸にはストンと落ちないだろう。メディアとしての役割を失いつつある新聞はいっそのこと早く消滅してしまって、そこへ振り向けられてきた巨額の資金(購読料や広告料)や人材(取材記者や編集者)がネットメディア業界に流れ込み、新しいかたちのジャーナリズムの成長を後押しするほうが、社会全体にとって好ましいと整理するほうがしっくりくる。

今の新聞社は逆にネットジャーナリズムの発展を抑え込む傾向が圧倒的に強い。フリージャーナリストをはじき出す記者クラブや番記者制度はその最たるものだ。しかも権力批判の精神を失い、現政権に肩入れする傾向を強めている。もはや「老害」になったのだ。

もうひとりは中村信義さん。今はネットメディア「NewsPicks for Business」の編集長を務めている。

中村さんは現在「さまざまな媒体の広告単価を知りうる立場」にあると前置きしたうえで「紙面広告の大幅ディスカウントと出稿件数の落ち込みは部数減よりスピードが速く深刻」と指摘。さらには「新聞社のネット媒体やネットメディアが頼ってきた運用型広告も、折りからの不況で単価が激減」とし、「各社とも課金や広告以外の収益源を速く育てないとまずい」と結論づけている。

新聞広告の単価が大幅に落ち込み、出稿件数も激減していることは、私も朝日新聞関係者から聞いた。かつて全面広告の単価は3000万円が相場だったが、いまでは数百万円まで急落。それでも出稿件数の落ち込みは止まらないという。

そのなかでいまだに3000万円の「昔の単価」で新聞広告を出してくれるのは、政府や自治体くらいだ。新聞社は政府広告や自治体広告に依存しており、権力追及どころではないというのである。

朝日、読売、毎日、日経、産経の大手紙がこぞって巨大国家プロジェクト・東京五輪のスポンサーとなり、あるいは、国家が旗を振るコロナワクチン接種を大々的に後押ししているのは、「昔の単価」で新聞広告を出してくれる政府から「東京五輪」や「コロナ対策」の政府広告を大量に受注するためなのだ。

もちろん政府広告の原資は私たちの税金である。今や新聞社は「税金ビジネス」と化してしまった。これでは権力監視などできるはずがない。

中村さんの指摘に話を戻そう。「課金や広告」に頼らないビジネスモデルをつくらないとこれからのメディアは立ち行かないという指摘に私は同意する。

私が朝日新聞社から独立し、夫婦二人で運営する小さなメディア「SAMEJIMA TIMES」(サメタイ)を創刊したのはそのようなメディア観に立ったからだ。サメタイは最初から記事を全文無料公開とし「課金モデル」を捨てた。広告は導入しているが、その収入は微々たるものだ。

サイト運営にはお金がかかる。サメタイはそれを読者からのご支援と、講演や出版、動画制作、他媒体への執筆・出演などで捻出することにした。

AI(人工知能)の進化とIT機材の大幅コストダウンにより、朝日新聞社のように社員4000人を抱えて取材・撮影・編集・制作・広告・販売・経理・管理などを縦割り分業で行う時代は幕を閉じ、夫婦二人でも速く、深く、安く、楽しく、のびのびと、こだわりのオリジナル・コンテンツをつくって発信することができる時代になった。

縦割り組織が業務として量産する無難で凡庸な記事や動画は、コンテンツがあふれかえるネットの世界では到底太刀打ちできない。つまらないのだ。個人の独創性が十分に発揮された記事や動画でなければ、亀松さんの母親が「新しい感じがしない」というように、誰も振り向いてくれない。タダでも読んだり見たりする時間を割いてくれない。

時代遅れの新聞記者たちはネットメディアの最前線の実態をまずは知る必要がある。

自分自身で取材・撮影・編集・制作・広告・販売・経理・管理のすべてを細部までこだわって行わなければならない。「私は取材だけしていればいい」「私は編集のプロだ」という分業制は通用しない。

私は朝日新聞記者時代は「仕事人間」と言われ、政治部デスクの時は年間数日しか休まなかった。しかしサメタイ創刊後は年間1日も休んでいない。個人事業主はサラリーマンよりはるかに忙しい。時代の流れに逆らっているようだが、ジャーナリスト個人が独創性を発揮してメディア化しなければ太刀打ちできない時代はそういうものであり、そうでなければ誰にも忖度せずにオリジナリティ溢れるコンテンツを発信することは不可能であろう。誰にも頼らず自分の二本の足で立つ覚悟が何よりも重要だ。

私は母子家庭で育ち、高校から奨学金で通学し、大学を卒業して新聞記者になった。暮らしに余裕がない人も良質な政治記事に接することができる機会をつくりたいという思いで全文無料公開にこだわっている。

それに加えて「課金モデル」では多くの人に記事が届かないという現実も直視している。「一円でも多く稼ぐ」ことより「一人でも多くに読んでもらう」ということに喜びを感じない人は、ジャーナリストに向いていない。一刻もはやくビジネスマンに転じた方が良い。

今の朝日新聞社は「一人でも多くに読んでもらう」ことよりも「一円でも多く稼ぐ」ことを優先し、新聞社を企業として存続させることに躍起になる「フツーの会社」になった。朝日新聞デジタルの記事をすべて有料化したことは「お金を出さない人には読んでもらう必要はない」という宣言そのものである。

一方で政府広告を「昔の単価」で受注することを優先し、権力批判を控えるばかりか、国策プロジェクトのスポンサーになり、政府広報紙に成り果てている。もはや「一般の人々」よりも「政府や大企業」の顔を見ているのは明らかだ。だからこそ弱者に厳しい「消費税増税」を少しのためらいもなく主張しているのだろう。自分たちは政府に陳情して勝ち得た「軽減税率」に守られながら。

新聞社はいまなお巨大だ。しかしビジネス構造は崩壊し、ジャーナリズムの原点に立ち戻る気配もない。メディアとしての敗北は決定的である。独立心旺盛なジャーナリストひとりひとりが旧態依然たる新聞業界を飛び出し、ジャーナリズム再建へ立ち向かうしかない。

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