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週刊朝日は「原稿の極意」を授けてくれた学校だった〜新聞社が週刊誌よりも先に撤退すべきは記者クラブだ!

新聞記者はおおむね文章が下手である。朝日新聞社でデスクを務め、新聞記者が書いた数多の原稿をさばいてきた私の経験からして断言できる。

そもそも新聞記者という仕事は「文章を書く」ことよりも「情報を取る」ことを求められる。1日は政治家や官僚への「朝駆け取材」に始まり、日中は記者クラブで記者会見や発表資料の読み込みに追われ、夕刻にバタバタと原稿を書き上げて、政治家や官僚の「夜回り」取材へ繰り出す。じっくり腰を据えて原稿を練り上げる時間も習慣もない。

おまけに一本の新聞記事は長くても100行(1000字余)程度。平均的な中行記事は30〜50行ほど。そこに必要なデータを詰め込む。紙面の都合で後段はバッサリ切られる可能性が極めて高く、前から順に不可欠なことを書き並べるのが鉄則だ。

そんな文章に味わいがあるはずがない。記者の思いも詰まっていない。人の心を動かすことなど滅多にない。こうして四角四面の無難な記事が量産されていくのだ(それでもかつての新聞記者は論旨の通った簡潔な文章を書くことだけは得意だったのだが、昨今は論旨不明で何を伝えたいのかわからない新聞記事が急増している)。

政治部記者に至っては、原稿さえほとんど書かない。番記者たちは政府や与野党の有力政治家にマンツーマンでへばりつき、横書きの取材メモを書いて記者クラブに陣取るキャップやサブキャップに次々に送る。キャップやサブキャップが膨大な取材メモをアンカーライターとして慌ただしく原稿にとりまとめてデスクへ送る。デスクが完成原稿に仕立てて出稿するーー毎日がその繰り返しである。そのような出稿過程から「キラリと光る一文」が生まれることはほとんどない。

私もそんな生活を何年も送った。若い日々の原稿を読み返すと赤面するほど下手くそだ。こんな仕事を何年続けても執筆力は一向に上達しないとつくづく思っていた。

そんな私の記者人生を大きく変えたのは、『週刊朝日』編集部への人事異動だった。

当時の朝日新聞政治部の上層部は、政治部で仕事をしている限り文章が上達しないことを自覚していた。そこで政治部に5年ほど在籍した記者の中から「将来の書き手」の有望株を週刊朝日とAERAの編集部へ人事交流で送り込んでいた。日常の番記者業務から解放し、週刊誌記者としてひとりで長文の記事を執筆する訓練をさせていたのである。私は週刊朝日へ送り込まれた。

週刊誌は政治、経済、事件から芸能、スポーツまで「読者が興味のあること」なら何でも扱う。宅配の新聞と違って毎週の売り上げ部数に敏感だ。政治家や官僚ら取材先に忖度ばかりしている新聞とは違って、はるかに「読者目線」である。

週刊朝日編集部の政治担当は私一人だった。朝日新聞政治部では50人ほどが番記者として政府や与野党の要人にはりつき、自分の担当外を取材することは「縄張り荒らし」として反発を受けるため原則として敬遠する。しかし週刊朝日ではひとりで政界全体を取材する。どこへ取材に行ってもよい。誰にも文句を言われない。

今週は何を取材し、何を執筆するかという企画も基本はひとりで考え、火曜午前の編集会議で提案する。そこで企画が通れば、あとは取材・執筆にひとりで邁進し、校了日の土曜の正午までにデスクに原稿を渡す。政治部とはまったく違う日々が始まった。

私は毎週のように2〜6ページの長文記事(4ページで5000字程度)を求められた。どこにもだれにも気兼ねなく取材に飛んでいけるのは楽しかったのだが、それを原稿にまとめあげるのが苦痛だった。新聞記者になって10年が経っていたが、そんなに長い原稿を書いたことがなかったのだ。

金曜の夕刻に取材を終え、金曜の夜から書き始めるのだが、書いても書いても行数が足りない。徹夜しても書き上げられず、土曜の正午前になってストーリーもまとまりもない原稿を恥ずかしそうにデスクに提出し、ご指導を仰ぐという日々だった。

私は金曜の夜が苦痛だった。それを乗り越えることができたのは、週刊朝日編集部の先輩諸氏が「原稿を書く極意」を授けてくれたからだ。その「極意」の数々を記すと一冊の本になってしまうのでここでは避けるが、私は開眼した思いがした。執筆がみるみる楽しくなり、はやくなり、金曜の夜が待ち遠しくなった。ついには金曜の夜は早く寝て、土曜の早朝に起きて正午の締め切りが迫る緊張感のなかでひとりキーボードをたたく時間を満喫するようになったのである。

のちに政治部デスクとなり、1面、2面、3面、政治面の原稿を短時間で大量にさばくようになった時も、週刊朝日で学んだ「原稿の極意」は役立った。私にとって週刊朝日は「原稿とは何か」をつかんだかけがえのない場所だったのである。

その週刊朝日が5月に休刊することになった。新聞社の経営悪化をうけて週刊朝日も発行部数が激減し、近年は規模縮小が進んでいた。印象深い記事もめっきり減っていたと思う。休刊やむなしという感じはする。

しかし独り立ちできるジャーナリストを育てる舞台としては、政治部や経済部や社会部よりも週刊誌ははるかに適している。政治部や経済部や社会部にいたら、自分が担当する狭い領域からしか物事を分析できず、幅広い視点から企画・執筆する力が育たない。国家権力に忖度するばかりの政治部の首相官邸クラブや経済部の財政研究会(財務省クラブ)や社会部の司法クラブを減らしてでも、週刊誌という媒体を残したほうが、よほどジャーナリズムの発展に寄与するに違いない。

私は2021年2月に朝日新聞社に退職届を出した後、ただちにSAMEJIMA TIMESを創刊し、この2年間、連日3000字前後の記事を公開してきた。寝不足の日も体調の悪い日も大量の原稿を千本ノックのように書き上げて読者の批判にさらされることが原稿力向上の基本だと再認識している。お笑い芸人が連日のように舞台に立ってしゃべりまくり、客の反応をみて実力を蓄えていくのと同じだ。記者は偉そうなことを言う前に、まずは書くことだ。

週刊朝日の休刊はとても残念である。朝日新聞記者になっても執筆力に磨きをかける部署はめっきり減った。新聞記者はますます文章が下手になるだろう。ひとりで取材し、企画し、書き上げる。これこそジャーナリズムの原点であることを再確認したい。

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