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津田大介氏らCLP出演者有志からCLPへの抗議文を読み解く〜テレビ局や新聞社とどこが違うのか?

リベラル系インターネットメディアとして存在感を増していた「Choose Life Project」(CLP)が正月早々、激震に見舞われている。司会やゲストとしてCLP に出演してきたジャーナリストの津田大介氏ら出演者有志の5人が1月5日に連名で抗議文を発表したのだ。

内容を要約すると以下のようになる。

①CLPが2020年春から約半年間、立憲民主党から大手広告会社や制作会社をはさむ形で「番組制作費」として1000万円以上の資金提供を受けていたことが出演者5人の調査で明らかになった。

②報道機関でありながら特定政党から番組制作に関する資金提供を受けていたことは、報道倫理に反し、公正な報道の根幹を揺るがす行為である。

③立憲民主党から資金提供を受けていた事実を出演者及びクラウドファンディングの協力者、マンスリーサポーターなどに一切知らせていなかったことは、重大な背信行為である。

出演者有志の「抗議文」発表を受け、CLPに期待してきたリベラル派からは「裏切られた」「十分な説明を」という批判や落胆の声が相次いでいる。ネトウヨをはじめ反リベラル派は「自民党との関係が指摘される匿名アカウント『Dappi』より悪質だ」「資金提供を受けたCLPだけでなく資金提供した立憲民主党の問題だ」と攻勢を強めている。CLPを擁護する声はほとんどなく四面楚歌の状態だ。

これに対し、CLP共同代表の佐治洋氏らは「不信感等を与えてしまう形となり大変申し訳なく思っております」とのコメントを発表し、6日中に経緯を報告するとしている。

私もCLPに一度出演した。TBSの報道番組に携わってきた佐治氏がテレビ報道に限界を感じてCLP設立を目指していたころにその思いを個人的に聞いたこともある。テレビ新聞が安倍政権以降、国家権力にすり寄る報道を重ねるなかで、CLPは権力を忖度せず新しいメディアとして斬新な番組制作を展開していると注目もしてきた。

それだけに出演者5人の強烈な「抗議文」をみたときは正直驚いた。ただ、抗議文を読んだだけでは経緯の詳細がわからず、ただちに評価はできないとも思った。

例えば、次のような経緯が想定されるだろう。①CLPは報道番組を制作するメディアとして本格起動する前に立憲民主党から広報番組制作を受注していた②一定の資金を確保した時点で報道番組の制作に乗り出したが、しばらくは立憲民主党から広報番組制作の受注も続けた③クラウドファンディングで資金繰りが安定した後、立憲民主党との取引を終了した④佐治氏らは立憲民主党からの広報番組受注と報道番組は「別もの」と判断し、「報道倫理」に反することはないと考えていたーー。

仮に資金提供を受けた経緯がこのような流れだとしても、CLPに期待してきた人々の理解を得られるとは限らない。けれども「立憲民主党の意向を受けて報道番組を制作してきた」のとはすこし様相は変わってくる。「報道と経営は別」という大手新聞社の決まり文句とさして変わりはない(後述するが、私は「報道と経営は別」という言い訳を容認しているわけではない)。

この問題の本質はどこにあるのか。CLPが問題視されるべき点はどこにあるのか。冷静に吟味してみる必要がある。

津田氏ら出演者有志はどのような調査を行い、それによってどこまで「資金提供を受けた経緯」を把握し、CLP側とどのような話し合いがもたれたのか。「抗議文公表に至った経緯」についても詳しく知りたいところだ。

いずれにしろ、CLPに対する評価については、近く公表されるであろう佐治氏らの見解を読み込んだうえで最終的に判断したい。きょうはその前段階として、津田氏らの抗議文の内容を深掘りしてみよう。

私が抗議文の中でひっかかったのは、以下の部分である。

一般に番組制作能力を有する会社が、公党から下請けとして制作費をもらって番組制作を行うことはあります。成果物を公党の名前で発信することには問題ありません。

えっ!? テレビ局や新聞社が政党から制作費をもらって番組制作することがあるの!?

新聞社に27年間勤務した私でさえ、詳しくは知らない話である。テレビ局や新聞社の本体なのか子会社なのかはともかくとして、公党から制作費をもらって番組制作を行なっているということは、マスコミ業界に身を置かない人々にとっては相当に意外な話ではないか。抗議文の有志5人がそれを「問題ありません」と断言していることに私は違和感を覚えた。「経営と報道は別」というテレビ局や新聞社の経営陣と同じ見解に立っているのだろうか。

先日、東京・新宿の運転免許センターに免許更新に行った私の知人の話をここで紹介しよう。講習ビデオの最後に「制作・テレビ○○」という大きな文字が映し出されたというのだ。知人は「テレビ局が警察からビデオ制作を受注してお金をもらっているとはびっくりした。これって、癒着でしょ! 警察批判なんてできるわけないね」と怒っていた。これこそ、まっとうな世間の感覚であろう。「問題ありません」はあまりに業界内論理ではないか。

免許更新の講習ビデオとは桁違いに大きな話もある。最たるものは国家プロジェクトである東京五輪のスポンサーに朝日、読売、毎日、日経、産経の全国紙が横並びで名を連ねたことだ。大手新聞社たちはスポンサーになったことでどんな経営上・報道上の恩恵を受けたのだろうか。スポンサーになった後の数年間に、どれほど政府広報や東京五輪の新聞広告を受注したのだろうか。CLPが立憲民主党から受け取った1000万円とは一桁も二桁も違うことだろう。それで巨額の税金を投じた「国策五輪」を厳しく監視し批判することなどできるはずがない。「経営と報道は別」という言い訳を誰が信じることだろうか。購読料を払っている読者は何も知らされていないのだ。

まだまだある。読売新聞と大阪府の包括連携協定はまさに権力監視を旨とする報道機関への信頼を根底から揺るがしたものだった。協定発表直後、『吉村洋文知事、休日の筋トレ姿を公開!たくましい筋肉に黄色い声殺到「カッコよ良すぎ」「キャー!」』と報じる読売新聞オンラインを見た時、私は腰が抜けそうになった。

もっとある。国政選挙の投開票日に自民党の新聞広告を大々的に掲載してきたのはどこの大手新聞社であったろう。いったい、いくらの広告料を自民党から手にしたのだろうか。新聞社の社員であった私も、購読料を払っている読者も、まったく知らされていない。

公党から下請けとして制作費をもらって番組制作を行うことはありますーーそれを当然視して「問題ありません」と言い切る業界内論理の延長上に、運転免許更新の講習ビデオも、東京五輪のスポンサーも、読売新聞と大阪府の包括連携協定も、自民党の投開票日当日の新聞広告もあるのだ。

政府や政党から私たちが知らされていない「巨額」の仕事を受注しているテレビ局や新聞社と、立憲民主党から「1000万円」の資金提供を受けたCLPの違いとは何か。テレビ局や新聞社が「報道倫理」を満たしていて、CLPが「報道倫理」に反している理由はどこにあるのか。

出演者有志の5人の「抗議文」はこの点をどう説明しているのか。さらに深掘りしていこう。

抗議文はCLPが受けた資金提供について「2つの重大な問題」を指摘している。

①「公共のメディア」を標榜しつつも、実際には公党からの資金で番組制作を行なっていた期間が存在すること

②その期間、公党との関係を秘匿し、一般視聴者から資金を募っていたこと

まず、①についてである。くどいようだが、大手新聞社こそ「公共のメディア」を標榜しつつ、自民党の選挙広告で得た資金で新聞制作を行なっていると思うのだが、それはさておきとしよう。抗議文は「公共のメディア」は「中立」でなければならないという前提に立ち、特定の政党から資金提供を受けたことを問題視しているように読める。ならば国家権力の不正を暴くスクープを連発している「しんぶん赤旗」は「公共のメディア」ではないということか。権力への忖度に溢れる大手新聞社より「権力監視」という公共の利益によほど貢献していると私には思えるのだが。

問題をつきつめると、CLPが「中立の報道機関」のフリをしながら、実際には立憲民主党から資金提供を受けていたことを問題視したのが①といえるだろう。ここは一理ある。

放送法の「中立原則」を縛られるテレビ局で報道番組に携わってきた佐治氏には「報道は中立を標榜しなければならない」という思い込みがあったと私は思っている。しかし、放送法の枠外にあるネットメディアや新聞メディアは法律上「中立」である必要はない。いっそのこと「立憲民主党支持」を堂々と打ち出し、その立場から報道番組を作ればよかったのではないか。

視聴者にとっても「立憲民主党支持のメディア」が制作する報道番組であることを承知のうえで視聴したほうが有益な判断材料となる。CLPはそれでも幅広い視聴者に評価してもらうために論理的でデータをしっかり示した番組制作に努力すればよいし、視聴者は「立憲民主党支持」であることを割り引いて報道番組を評価すればよい。空疎な「中立」を装った両論併記があふれるテレビ新聞の欺瞞に満ちた報道よりも、自らの政治的立ち位置や支持政党を鮮明に掲げたうえで論理性やデータを兼ね備えた説得力のある報道を目指す方が、よほどフェアだ。

CLPが仮に「立憲民主党支持」を高らかに宣言して番組を制作していたら、立憲民主党からの資金提供が発覚しても、今回ほど批判は殺到しなかっただろう。各界から多くの出演協力を得られなかったかもしれないが、それでも企画の理念や趣旨に賛同して出演する人も少なくないはずだ。共産党支持者でなくても赤旗の取材を受ける人は大勢いる。支持政党を表明したメディアは「公共のメディアではない」と主張する人々とは真正面から闘えばよい。海外メディアは支持政党を表明するのが一般的だ。「公共」と「中立」はイコールではない。

先に述べたとおり、CLPよりも政府や政党から巨額の「資金」を受けているのは「公共のメディア」を標榜しているテレビ局や新聞社である。彼らは「資金」を受ける理屈を巧妙に整えているのかもしれないが、報道機関が権力側と経営的な関係を深め、その結果として報道を国家権力にすり寄る内容に歪めているという実態的な意味において、よほど「巨悪」である。

だとするならば、CLPを猛烈に批判する最大の根拠は②ということになる。つまり「立憲民主党からの資金提供を隠していたこと」だ。

先述したとおり、CLPは立憲民主党からの資金提供と報道番組制作は「別」と説明するかもしれない。東京五輪スポンサーになった大手新聞社が「経営と報道は別」という論理と同じである。これについては事実関係がはっきりしないので、CLPの説明を待つこととし、今回の記事では「資金提供を隠していたこと」の是非について、テレビ局や新聞社と比較しながら二つの視点で考察したい。

一つ目は「隠していなかったら許されたのか」という点である。

これはテレビ局や新聞社と比較したらわかりやすい。これら大手マスコミは政府や政党からの受注を隠していないので問題ないのだーーといえるのだろうか。

政府や政党から報道機関への「資金」が問題になるのは、その結果として、政府や政党の意向に逆らえず報道が歪む恐れがあるからだ。問題の核心は「公表の有無」ではなく「資金提供の有無」である。

いくら資金提供を公表しても、巨額の資金を受け、それによって経営が支えられていたら、視聴者の疑念は免れないのではないか。「公表の有無」で線引きすることは、政府や政党から巨額の仕事を受注している既存大手マスコミに都合の良い理屈でしかない。むしろ報道を歪める可能性を高めるのは、資金提供の規模や全収入に占める割合などの依存度であろう。

二つ目は「それではテレビ局や新聞社は資金提供の実態をほんとうに公表しているのか」という点である。

東京五輪スポンサーだからこそ獲得できた政府広告や自民党の選挙広告に対して、新聞社が具体的にどのくらいの対価を得たかは公表されていない。実際にどのくらいの利益を得たのかがすべて公開されない限り「権力と新聞社の癒着」に対する読者の疑念は解消されない。仮にホームページの奥の方でこっそり公表したとしても、ほとんどの視聴者や読者は気づかない。多くの人はテレビ局が警察から運転免許更新の講習ビデオを受注していることに気づかないまま、警察官を追いかけその「活躍」を描くテレビ番組を見ている。

CLP問題の核心は「公党とメディアの癒着」にある。だが、それをいうならば「政府とテレビ局・新聞社の癒着」や「公党とテレビ局・新聞社の癒着」の方がはるかに大きな社会問題である。報道の影響力も、動く資金も、桁違いに大きい。少なくともテレビ局や新聞社にCLPを批判する資格はみじんもない。

私は、大手新聞社が国家プロジェクトである東京五輪のスポンサーになり、自民党の選挙広告を投開票日当日に掲載することの方が、よほど「報道の倫理に反し、公正な報道を揺るがす行為」であると思うし、「購読料を払っている読者に対する背信行為」であると思う。

抗議文を公表した有志の方々にお願いしたい。

今回の問題を契機として、CLPと比較にならないほど政府や政党からさまざまな形で「資金」を受け「報道」を歪めているテレビ局や新聞社に対して、何倍、何十倍、何百倍もの「抗議」をあわせて行ってほしい。そしてテレビ局や新聞社が十分な説明を果たさなければ、CLPに対してと同様に「私たちはこれまでのように協力することはできません」と通告してほしい。より強い者、より社会的責任の大きい者に対して、より大きな批判を加えるのがジャーナリストの務めではないでしょうか。

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