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袴田さんの再審公判でも「犯人だ」と主張する検察とそれに盲従するマスコミ社会部の「官尊民卑」思想〜なぜ検事総長を追及しないのか?この国の検察と司法記者は腐り切っている!

1966年に4人を殺害したとして死刑が確定したものの、捜査当局による証拠捏造の可能性が高まり、裁判をやり直す再審開始が今年3月に東京高裁に認められた袴田巌さん(87)。再審公判に進んだ過去の事案ではいずれも無罪が言い渡されており、袴田さんもついに無罪判決を勝ち取ることが確実視されていた。

ところが、静岡地検は再審公判に向けて静岡地裁に提出した書面で、袴田さんを「犯人だ」と言い切り、有罪立証する方針を伝えたのである。

弁護側は一刻も早く無罪判決が確定することをを求めているが、審理の長期化は避けられない見通しとなった。袴田さんの高齢を考えると、検察は、袴田さんが亡くなるまで判決を引き延ばし、無罪確定を阻止するという姑息な手段に出たのではないかという疑念がわいてくる。

袴田さんの人生の大半を奪った「冤罪」への反省はかけらもなく、司法によって傷つけられた名誉を回復して残された人生をできる限り穏やかに過ごしてほしいという愛情のかけらもなく、とにかく「検察は間違わない」というメンツばかりを優先する官尊民卑の姿勢に怒りがこみあげてくる。いったい、ひとりひとりの人生をどう考えているのか。

本来なら、検察を担当するマスコミ各社の司法記者クラブが検事総長を記者会見に引っ張り出し、徹底追及しなければならないところだ。

だが、これまでも繰り返し指摘してきたとおり、マスコミ各社の社会部の司法記者たちは、検察当局にべったりで、一心同体なのである。検察の広報機関なのだ。検察が嫌がることを彼らがするはずがない。

私は朝日新聞記者を27年務め、その多くを政治部と特別報道部(記者クラブに所属せず、調査報道に専従する部署)で過ごした。首相官邸と政治部記者の癒着は情けないほどひどいものだが、検察と社会部記者の癒着はそれよりもはるかにひどいと断言できる。

東京新聞社会部の望月衣塑子記者は官房長官の記者会見に出席できるが、朝日新聞の政治部記者が検察の記者会見に出席することは不可能だ。日本の記者クラブで最も閉鎖的なのは、マスコミ各社の社会部記者で構成される司法クラブと警視庁クラブと宮内庁クラブである。この三つの記者クラブは、担当記者以外は近づくことさえ困難だ。検察と警察と宮内庁は社会部記者を使って世論を操作している。

社会部が「反権力」「弱者の味方」というのは大間違いだ。彼らほど取材先と一体化する記者集団を私は知らない。少なくとも近年の朝日新聞ではそうだった。

とりわけ検察や警察を担当する記者の多くは、自分が検事や警察官になったかのような顔で仕事をしている。社内の会議でも、検察や警察の代弁が目立った。まさに権力の手先である。

彼らは他の記者が検察や警察の記事を書くことを断固拒否する。編集局長や社会部長も社内秩序を優先し、検察や警察の担当以外の記者が検察や警察の記事を書くことを決して許さない。徹底的な縦割り取材が貫かれており、とりわけ検察や警察の取材体制は密室の談合組織である。

本来、社会部記者とりわけ司法記者の最大の使命は、権力の監視である。検察と一体化して、検察が立件した被告を追い詰めることではない。市民を合法的に逮捕・起訴する権限を有する検察の暴走を監視し、権力の濫用を阻み、冤罪を防ぎ、市民の基本的人権を守ることなのだ。

だが、私が朝日新聞に長く勤めた経験からして断言できるのは、司法記者は検察の意向に決して逆らわない。それがスタンダードなのである。そして、司法記者だけが特別なわけでもない。ほとんどの記者は社会部の司法クラブに着任すると、提灯記事を平気で書く。彼らの視線の先にあるのは、読者ではなく、検察幹部たちだ。それほどマスコミの取材現場は腐り切っている。

検察や警察の事件報道は疑いの目で読んだ方がいい。検察や警察の広報紙と割り切って読むべきである。私たちが今すぐにできる対抗手段はそれだ。

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