NHKが昨年12月に放送したBS1スペシャル『河瀬直美が見つめた東京五輪』で「字幕の一部に不確かな内容があった」として陳謝した(1月9日朝日新聞デジタル『NHK、事実確認せず不適切字幕「金もらって」「五輪反対デモ参加」』参照)。
映画監督の河瀬氏の依頼で五輪反対を訴える市民らを取材していた別の映画監督が匿名男性から話を聞く場面で、NHKは「五輪反対デモに参加している」「お金をもらって動員されていると打ち明けた」とテロップを流したのだが、男性が実際にデモに参加した事実を確認していなかったという。
NHKは「不適切な字幕」だったとして陳謝し、マスコミ各社も「不適切な字幕」だったと報じている。
ちょっと待てよ。これは「不適切」というレベルの話なの?
国土交通省が統計データを「改竄」した問題を「書き換え」と報道するマスコミ各社。このNHKの問題も「不適切な字幕」と報じ続けるつもりだろうか。
匿名男性が「お金をもらって五輪反対のデモに参加した」という事実がないのに、テロップで「五輪反対デモに参加している」「お金をもらって動員されていると打ち明けた」と紹介したのなら、「なかったこと」を「あったこと」として報じたことになる。少なくとも「確認していない事実」を「確認した事実」として報じたということだ。
これは「不適切」というより「捏造」や「虚報」の類である。少なくとも「誤報」と呼ぶべきだ。
匿名男性がほんとうにお金をもらって五輪反対デモに参加したか否かの事実関係は確認していないけれども、匿名男性が取材に対してそのように打ち明けたこと自体は事実なのだから、「捏造」や「誤報」とは言えないーー天下のNHKがよもやそのような報道機関としてあるまじき言い訳はしないだろう。
この番組は今年6月に公開予定の東京五輪の公式記録映画の制作を進める河瀬氏らに密着取材したもので、NHKは「取材と制作はすべてNHKの責任で行っている。河瀬さんらに責任はない」としている。
しかし河瀬氏は「東京五輪を招致したのは私たち」「みんな喜んだ」などと五輪招致を絶賛し、五輪招致を主導した安倍晋三元首相にも近いとみられていることから、ネット上ではさまざまな疑念が指摘されている。
NHKはBS1で「映画製作などの関係者のみなさま、そして視聴者のみなさまにおわびいたします」などとする2分間の放送を流したが、まずは「不適切」ではなく「誤報」と明確に認めるべきだ。そのうえで「なぜ誤報が起きたのか」を第三者を入れて徹底究明しなければ、同じ過ちを繰り返すに違いない。
東京五輪は安倍政権が大々的に旗を振った国家プロジェクトであった。そのNHKが会長人事で安倍政権に介入され、安倍政権べったりの報道を続けてきたことは幅広い人々から繰り返し批判されてきた。NHKが安倍氏ら国家権力の意向を忖度し、東京五輪反対運動のイメージを悪化させる「偏向報道」を意図的に行ったという疑念が浮かぶのは当然である。「お金をもらって参加した」という事実をでっち上げたとすれば、メディア史に残る「捏造」事件だ。
NHKの政治報道はただでさえ「政権寄り」と疑われているのである。そこへ今回の「誤報」が発生したのだ。第三者を入れた徹底調査で真相究明しなければ、NHKへの「疑念」は「不信」へと膨らみ、もはや誰にも信頼されない「政府のプロパガンダ放送局」と化す。潔白を立証して視聴者の信頼を取り戻す全責任はNHKにある。
NHKの「河瀬直美が見つめた東京五輪」の「不適切な字幕」放送と、朝日新聞の「吉田調書」報道取り消し事件(2014年)を比較してみたい。
福島第一原発で事故対応を陣頭指揮した吉田所長が政府事故調査・検証委員会に証言した記録をまとめたのが「吉田調書」である。政府が隠してきた「吉田調書」を朝日新聞特別報道部が独自入手しスクープしたのが「吉田調書」報道だ。私はその担当デスクを務めた。
ところが、安倍政権やその支持勢力らの「捏造」批判を受け、朝日新聞の木村伊量社長(当時)はそれに屈し、2014年9月11日に記者会見を開いてこのスクープをその場で「誤報」と判断して取り消し、関係者の「処罰」を宣言してしまったのが「吉田調書」報道取り消し事件である。
この結果、取材記者2人と私は「捏造記者」とバッシングを受けたのだが、朝日新聞社はこの3人を守るどころか懲戒処分にし、取材現場に責任を押し付けたのだった。
ほんとうに「吉田調書」報道は「捏造」なのかーー。
私はこの事件の当事者としてSAMEJIMA TIMESの連載「新聞記者やめます」や講演活動で何度か経緯を説明してきた。最初に詳細を説明したのは『新聞記者やめます。あと63日!【「吉田調書」報道を取り消しに追い込んだのは誰だったのか】』である。ここで簡単に振り返りたい。「吉田調書」報道の第一報の前文は以下のとおりである。
東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。
このうち「捏造」と批判されたのは「所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反」という部分であった。①吉田所長が待機命令を出していたこと②所員の9割が福島第二原発へ撤退したことーーの2点は「事実」であったが、「原発事故の大混乱のなかで吉田所長の命令が全所員に伝わったかどうかは定かでなく、『命令違反』と断じる表現は配慮に欠け不適切であった」という論理で、朝日新聞社はこのスクープを「誤報」と判断し、取り消したのである。
私は担当デスクとして①吉田所長が待機命令を発したこと②9割の所員が命令に反する形で撤退したことーーは事実であり、その外形的な事実をもって報道機関が主体的に「命令違反」と認定することは「表現の自由」に基づく論評の範囲内である、少なくとも「捏造」や「誤報」ではない、それを「取り消し」たうえに取材記者を「懲戒処分」するのはジャーナリズムの自殺行為だーーと社内調査で主張したが、まったく受け入れられなかった。木村社長ら経営陣が記者会見で行き当たりばったりで打ち上げた「誤報・取り消し・処罰」を追認する「結果ありき」で社内調査は進んだのである。
私の主張は『新聞記者やめます。あと36日!【なぜ新聞記者をやめるのか。クレヨンハウス「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」で講演します】』で比較的コンパクトにまとめたので、ここに再掲したい。
①政府が非公開にしてきた「吉田調書」を独自入手してスクープしたことは、「隠された事実」を暴く歴史的な調査報道であった。
②「吉田調書」報道の目的は、原発事故現場を離れた所員たちの責任を追及することではなく、原発事故がいったん発生したら現場で制御する人がいなくなる事態が十分に起こりうるという現実を直視し、原発再稼働の議論に一石を投じることにあった(この狙いは第一報の解説記事でも示していた)。
③第一報の見出しや前文には大混乱の最中で現場を離れた所員への配慮に欠ける表現があるとの指摘を受けた。
④私はデスクとして第一報からまもなく、配慮に欠ける表現との指摘を受けた部分を修正したうえ、キャンペーンの狙いを改めて詳しく説明する続報の掲載を強く主張したが、新聞協会賞の申請・選考への影響を恐れた会社上層部に阻まれた。
⑤第一報から3ヶ月たったところで、「吉田調書」とは直接関係のない「慰安婦報道取り消し問題」と、それを批判するコラムの掲載を当時の朝日新聞社社長が拒否した「池上コラム問題」で、朝日新聞は世論の強い批判を浴びた。追い込まれた社長は、「慰安婦」や「池上コラム」ではなく、突如として「吉田調書」を理由に引責辞任し、「吉田調書」のスクープ記事全体を取り消して関係者を処分する意向を表明した。
⑥「吉田調書」の第一報に「間違った印象を与える表現」があったとしても、第一報直後に迅速に訂正・修正などの対応をすれば、スクープ記事全体の「取り消し」に追い込まれることはなかった。ジャーナリズム界全体を揺るがす大失態を招いた最大の原因は、第一報そのものよりも、第一報を報道した後の会社上層部の危機対応の失敗にある。デスクであった私以上の管理職(当時の社長以下の全経営陣、編集局長、特別報道部長)は結果責任を問われる立場にあるが、「吉田調書」を独自入手した取材記者二人を処分したことはジャーナリズムの自殺行為であった。
⑦「吉田調書」報道が権力側の反撃と新聞社の危機対応の失敗で取り消しに追い込まれ、取材記者二人が処分され「捏造記者」「売国奴」とバッシングされ、それを会社は黙認・放置し、取材記者二人が会社を去ったことは、調査報道や政治報道に携わる多くの記者を萎縮させ、新聞全体の「事なかれ主義」を加速させ、権力監視機能を大きく低下させ、疑惑続きの安倍政権を長期化させた。「吉田調書」をめぐる朝日新聞の対応は正しかったのか、ジャーナリズム再建のためにも、朝日新聞が信頼を回復し再生するためにも、歴史的な再検証が不可欠である。
これをもとに、NHK「河瀬直美が見つめる東京五輪」と朝日新聞「吉田調書」報道を比較検討してみよう。
まず最初に指摘したいのは、報道目的の違いである。「吉田調書」報道は国家権力が国策で進めた原発を巡る重大事故について政府が「隠してきた資料」を独自入手して報じるものであった。その目的は「権力監視」であり、国家権力と利害が相反する「調査報道」であった。安倍政権が猛然と反発したのは当然である。
これに対し「河瀬直美が見つめる東京五輪」は、東京五輪を国家プロジェクトとして招致・開催した国家権力に基本的に同調した内容であり、国家権力と利害は重なっている。そのうえで事実関係を確認しないまま「東京五輪反対デモにお金をもらって参加した」という人がいたと報じたことは、五輪反対勢力のイメージを落とす「印象操作」そのものであり、NHKが「国家権力のプロパガンダ」に加担したというほかない。
ふたつの報道は国家権力との向き合い方として正反対である。どちらがジャーナリズムの果たすべき役割なのかは明白だ。まずはこの点を確認したい。
次に報道内容を比較してみよう。
NHKの「河瀬直美が見つめた東京五輪」は「東京五輪反対デモにお金をもらって参加した」という「なかったこと」を「あったこと」として報じている(少なくとも「確認していない事実」を「確認した事実」として報じている)。
これに対して朝日新聞の「吉田調書」報道は①吉田所長が待機命令を出した②それに反する形で9割の所員が撤退したーーという事実は間違いなくあったのだ。そのうえで問われるべきは、この「撤退」という行為を新聞社として主体的に「命令違反」と認定して報道したことの是非である。
ここは評価が分かれるところであろう。私は、この報道の目的は「所員たち個人の責任を追及する」ことではなく、「いったん原発事故が起きると指揮命令系統が混乱して事故処理にあたる人が現場からいなくなるという事態が起こりうることに警鐘を鳴らす」ことにあったと丁寧に説明することで理解を得られると考えたのだが、「命令に気づかずに撤退した所員がいるかもしれないのに『命令違反』と報じるのは配慮に欠ける」という指摘も理解できる。
この部分は報道の表現の是非をめぐり徹底的に検証されてしかるべきだと私は当時も思った。「吉田所長が待機命令を出していたにもかかわらず、所員の9割が撤退した」という表現にしていれば全く問題はなかったし、「待機命令に反する形で撤退した」という表現でも適切であったと今は思っている。
いずれにせよ、これはあくまでも事実関係の「認定」や「表現」の是非をめぐる問題であって、「捏造」や「誤報」というべき問題では断じてない。「吉田調書」報道が100点満点だったか否かは別として、せいぜい「不適切な表現だったか否か」という問題なのだ。当時の木村社長がそれを「誤報」として取り消し取材記者を懲戒処分したのは、自らの保身を優先して安倍政権やその支持勢力さらには安倍政権にすり寄るマスコミ各社の「反撃」に屈したというほかない。
この「吉田調書」取り消し事件を機にマスコミ各社の「安倍政権すり寄り報道」は加速した。当時の朝日新聞経営陣は取り返しのつかない「愚行」を犯したのである。
朝日新聞社に欠落していたのは「吉田調書」報道に対する「反撃」を受けた後の「危機管理能力」であった。その全責任は取材記者ではなく経営陣にある。にもかかわらず朝日新聞社はいまなお当時の経営陣の「愚行」と「責任」をうやむやにしたままだ。
ふたつの報道を比較すると、「捏造」「誤報」と呼ぶべきはNHKの「河瀬直美が見つめる東京五輪」であり、「不適切」という表現があてはまるとすれば、それは「吉田調書」報道であることがおわかりいただけたのではないか。
吉田調書で「捏造」と叫んだネトウヨの皆さん、「捏造」と叫ぶのは今でしょ!