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木原官房副長官の妻の元夫をめぐる怪死事件を主要メディアの社会部が黙殺する理由は「木原氏への忖度」ではなく「警察への忖度」である

岸田文雄首相の最側近である木原誠二官房副長官をめぐる週刊文春の”スクープ”が関心を集めている。木原氏の妻が元夫の怪死事件で重要参考人として警視庁に事情聴取されながら、「木原氏の妻」であることを理由に逮捕を免れたという疑惑を、当時の捜査員や事件関係者らの証言を積み重ねて指摘したものだ。

7月27日発売の第四弾は、木原氏の妻を取り調べた警視庁捜査一課の元刑事が実名で捜査の全容を明らかにしする内容で、さらに話題を呼びそうだ。木原氏の妻とは別の新たな重要参考人がいることに加えて、木原氏が「(捜査に)手を回した」と妻に告げる録音記録の存在も報じるなど、衝撃的な内容である。

文春がキャンペーンで疑惑を報じてきたものの、テレビや新聞の大手メディアはほぼ黙殺している。木原氏が文春を刑事告訴する考えを表明したことに加えて、警察庁の露木康浩長官が記者会見で「捜査が公正でなかったという指摘には当たらない。法と証拠に基づき、適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と明確に否定したことも、大手メディアが報道を控えている要因であろう(時事通信『警察庁長官「捜査は公正」=木原氏妻の報道受け』参照)

これに対して、元夫の遺族が7月20日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開き、所轄の大塚警察署長に再捜査を希望する上申書を提出したことを明らかにし、「テレビ局や新聞社の皆さまには、この事件に関心を持って広く報じていただきたい」と呼び掛けた(日刊ゲンダイ『木原誠二官房副長官 妻の前夫「怪死」事件…再捜査を求める遺族の涙と“陰の総理”への不信感』参照)。それでも大手メディアは黙殺したままで、マスコミ不信が高まっている。

そのなかで飛び出した文春砲の第四弾。事件の全容を暴露した元捜査員は難事件を次々に解決したことで知られる伝説的刑事で、警視庁を昨年退職して「失うものはない」という。露木警察庁長官が記者会見で「事件性は認められない」と明言した発言に激怒し、文春の取材に応じることにしたというのだ。

この報道で、木原氏も、露木長官も、窮地に立った。この事件を黙殺してきた主要メディアはどうするのか。

一連の事件をどう考えたらよいのか、考察してみよう。

まず、怪死事件の真相そのものについて、その真偽を断定する材料を私たちは持ち合わせていない。調査報道を続けて報道に踏み切った文春さえも断定しているわけではなく、あくまでも「木原氏の妻が重要参考人として事情聴取された」という事実などをもとに疑惑として報じている(もちろん真相を断定するに至らなくても「疑惑」を報じる社会的意味は全否定されるものではない)。

だが、重要参考人として事情聴取されたことが事実でも、それをもって真犯人と決めつけるのは、重大な人権侵害である。逮捕されたとしても有罪が確定するまでは「推定無罪」の原則を貫くのが法治国家やジャーナリズムの基本原則だから、いくら断片情報があるとしても、逮捕もされていない木原氏の妻を真犯人かのように報じることは、よほどの事情がない限り、許されることではない。

では、その「よほどの事情」とは何か。それは怪死事件そのものというよりも、怪死事件の捜査が「木原氏の妻」が重要参考人であるという理由をもって、捻じ曲げられた場合だ。

つまり、文春報道の社会的意義は、怪死事件そのものよりも、警察の捜査が公平に行われたのか、重要参考人が木原氏の妻であるという理由で警察が事件を揉み消したのではないかという疑惑を世の中に提示したことにあるといっていい。

この点、文春は記事の中で「重要参考人が木原氏の妻であるということで捜査のハードルが上がった」なととする捜査関係者の証言を集めているが、大きな焦点は、自民党の有力政治家である木原氏が警察当局に事件のもみ消しを迫ったかどうかといえるだろう。

だが、木原氏が警察に圧力をかけていたとしても、逆に圧力をかけていなかったとしても、まず最初に追及されるべきは、木原氏が自民党の有力政治家であることを忖度して捜査・立件を手控えた警察当局である。

ところが、文春のスクープをなぞるかたちで批判するネットメディアや雑誌の報道は、批判の矛先を木原氏へ集中させている。木原氏が捜査へ圧力をかけたという情報が具体的にあれば当然だが、それをつかんでいないとしたら、やはりこの報道姿勢には疑問を感じざるを得ない。木原氏が捜査へ圧力をかけたことが明らかになった場合は木原氏の政治責任は免れないが、その場合も圧力に屈して捜査を捻じ曲げた警察の責任が軽減されるものではない。

現時点でまず追及すべきは、警察当局が公正な捜査を尽くしたのかという疑惑である。警察庁長官が記者会見で「法と証拠に基づき、適正に捜査、調査が行われた」と明言した以上、仮に木原氏を忖度して捜査が捻じ曲げられたことが立証された場合、警察庁長官の引責辞任は免れない。ジャーナリズムが真っ先に追及すべきは、警察当局なのである。

捜査当局が時の権力者の意向を忖度して、批判勢力に強引な強制捜査を仕掛けたり、逆に権力者に近い者たちへの強制捜査を手控えたりすることは、日本の歴史でも枚挙にいとまがない。近年では安倍政権下のモリカケサクラ事件などでも、首相官邸の私兵と化した検察や警察の凋落ぶりは繰り返し批判されてきた。

それとともに主要メディアが検察や警察にべったりで、捜査当局が描く事件のシナリオを垂れ流すばかりで、その捜査がはたして公正なのか、あるいはやるべき捜査を怠っていないのかを検証するジャーナリズムの責務を放棄していることも見逃すわけにはいかない。

今回の事件でも、大手メディアが文春報道を黙殺しているのは、「木原氏への忖度」というよりも「警察への忖度」であるのは明らかだ。

このような事件を取材するのは、木原氏を担当する政治部ではなく、警察を担当する社会部である。社会部は木原氏を日頃から取材しておらず、遠慮する必要は毛頭ないが、警察には常日頃からべったりで、警察捜査の不公正を追及することなどめったにない(ある場合は、警察内部の派閥闘争に端を発したリークを受ける場合がほとんどである)。

私は木原氏をかばうつもりはないし、たとえ家族のこととしても、政治家として求められる説明責任は一般人よりはるかに大きいと考える。けれども現時点で明らかになっている情報からすれば、やはり説明責任を第一に迫られるべきは警察当局であろう。さらに批判されるべきは、警察批判に及び腰な主要メディア社会部の事件報道のあり方である。

主要メディアが黙殺しているため、ネットメディアなどでこの問題が過熱するのはやむを得ない面があるが、まずは警察当局の捜査の公正さと事件報道のあり方が問題の本質であることを確認しておきたい。

文春砲の第四弾も、これまでの「木原追及」一色から、事件性を完全否定した露木警察庁長官ら警察上層部への追及モードも強まっている点に注目だ。


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