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政治家のオフレコ発言は要注意!政治報道の生命線は「解釈」にある〜石原慎太郎氏が私に漏らした「昭和天皇の戦争責任」から考える

石原慎太郎氏は中曽根康弘元首相、渡邉恒雄読売新聞主筆と3人で会食する際、いつも「昭和天皇は戦争責任をとって少なくとも退位すべきだった」と意気投合していたーー。

2月1日に他界した石原氏が東京都知事時代、朝日新聞記者としてインタビューに訪れた私にそんな「秘話」をオフレコで明かしたことを先日の記事『石原慎太郎氏がオフレコで私に伝えた「昭和天皇の戦争責任」〜中曽根康弘氏、渡邉恒雄氏と語り合ったこと』で紹介したところ、政治倶楽部会員のLukeさんから以下のようなご指摘をいただきました。

このことは、書くべきだったのではありませんか? 大スクープになったはずですが? もしかしたら、自民党が、昭和天皇の戦争責任を認める派と認めない派とに二分する結果に繋がったかもしれません。あるいは、昭和天皇の戦争責任を認めることが、自民党の党是に、即ち日本国の国是になったかもしれません。相手に、「 オフレコ 」と要求されたら、それに従わなければならないのでしょうか? それで相手の信頼を得られるとしても、話してくれたことを公表できないのでは、意味がないのではありませんか?

このご指摘は政治報道のあり方を考えるにあたって極めて示唆に富むものだと思います。「書くべきだった」と指摘されればそうかもしれないし、そうでないかもしれない。悩ましいところです。実際の報道現場で書くのは容易ではありません。なぜか。

石原氏の記者会見やインタビューの発言であればそのまま掲載し、あわせて発言の意味や背景を解説したことでしょう。Lukeさんのご指摘通り、自民党を二分する政治問題に発展したかもしれません。

問題は石原氏が語ったのはインタビュー終了後の場面であり、石原氏は「私が生きているうちは表には出せないんだけどね」とオフレコ指定したうえで切り出した話だったことです。いわゆる「オフレコ発言」ですね。

きょうはこれを題材に「オフレコ取材」について考えてみましょう。

オフレコ取材は、政治家や官僚が公式に発言することを避けつつ、事案の背景や自らの考えを説明したい場合に使われる取材手法です。記者にとっても記者会見や発表資料などの公式見解だけでは十分に理解できず、当局者の意図や背景、根拠となるデータ、今後の見通しなどを知りたい場合に有効な取材手法です。日本に限らず欧米の取材現場でも広く実施されています。

サシ(1対1)のオフレコ取材もあれば、多くの記者で当局者を取り囲むオフレコ懇談形式の場合もあります。発言内容の引用を一切禁じる「完オフ」の場合もあれば、「政府高官が明らかにした」「自民党幹部が語った」という形で引用できる場合もあります。それぞれの取材現場で明確にルールが設定される場合もありますし、特段の明確な指定はなくても「この場の取材は匿名なら引用可だね」と参加者が慣例的に認識を共有している場合もあります。

オフレコ取材の最大の欠点は、発言者がウソをついたり大袈裟に語ったりしても責任を問えないことです。このため当局者が情報操作したり世論誘導したりすることに利用される恐れと常に隣り合わせです。

実際の政治取材の現場では、政治家や官僚の「オフレコ発言」はウソやミスリードに満ちあふれています。責任を問われない発言なのですから、当局者たちは当然ながら自分たちに都合の良い説明に終始します。取材記者はオフレコ発言を鵜呑みにしてはいけません。

私は政治部デスク時代に部下たちに「オフレコより記者会見を信用しよう。記者会見でウソをついたら後から徹底追及できるが、オフレコでは徹底追及できない」と口をすっぱくして言いました。

オフレコ取材は一切必要ないという考え方もあるでしょう。当局者とコーヒーを飲むことさえ許されないという考え方もあります。そのような政治報道もあっていいと思います。

一方でオフレコ取材が不正を暴いたり権力がひた隠しにする動向を察知したりする端緒になることも少なくありません。記者会見だけでは政治家の実像に迫れないのも事実です。欧米の記者もあの手この手で裏ルートのオフレコ取材を実施しています。そのような取材手法以上に重要なのは、報道内容が「権力監視」の立場で貫かれているか否かだと私は思います。

騙されるのはどちらかーーオフレコ取材は当局者と記者の真剣勝負の場といえましょう。当局者は「記者を上手に誘導して自分たちに有利に報道させよう」と考えます。これに対し、記者は常に「当局者に利用されていないか」と疑いながら「オフレコ情報」を他の取材先の情報と付き合わせたり、全体的な政治情勢と照らし合わせたりして矛盾がないかを検証し、情報の確度を精査しなければなりません。「オフレコ情報」を濾過して、読者に伝えるべき「事実」を抽出するのです。

この「見極め力」「抽出力」こそ、政治取材にとって最も重要であり、最も技量を必要とするところです。

近年の政治報道はこの「見極め力」「抽出力」が大幅に低下しており、政治家や官僚の記者会見の発言ばかりか、「オフレコ発言」さえも垂れ流す傾向があります。報道内容が「権力監視」になっていないのが問題なのです。現状の政治取材ではオフレコ取材は当局者に利用される弊害の方が大きく、オフレコ取材廃止論が勢いづくのは当然だと思います。

ただし、ジャーナリズムの権力監視の責務を果たすため、オフレコ取材は本来的にはとても有効な取材ツールの一つであると私は思います。そこで、オフレコ取材の有用性を認める立場に立ったうえで考察を進めていきましょう。

記者がオフレコで話を聞いた時、その内容を報じるべきだと確信したのなら、その場で「これはオフレコとは認められません。私は書きます」と伝え、オフレコの約束を拒否するのが原則です。取材相手はその場で「何言っているんだ!オフレコと約束したじゃないか!」と怒るでしょう。それを振り切って記事にすることが許されるのかどうかが「論点①」です。

次にその場では聞いただけにして、あとから記者が「これは報道すべき内容だから記事にする」と判断して一方的に「オフレコ解除」することが許されるのかどうかが「論点②」です。これは業界用語で「オフレコ破り」といいます。実際には相手に「オフレコを解除して書きます」と通告して記事にする場合と、通告せず一方的に書いてしまう場合があります。

さて、みなさんはどう思いますか? 結論を言いましょう。①も②も「できる」場合があります。「オフレコ破り」の先例はたくさんあるのです。

政局を大きく動かした「オフレコ破り」もあります。小沢一郎氏が1994年の非自民連立政権時代、社会党の連立離脱に関連して、深夜の国会内で朝日新聞を含む数社の記者にオフレコで「どの女と寝ようがいいじゃないか」と語り、朝日新聞が「容認できない発言」と判断して翌日報じたのは有名です。小沢氏にはアルコールが入っていたようです。私が朝日新聞政治部に着任する前の出来事であり、詳細は承知していませんが、この小沢発言を「オフレコ破り」して報じるかどうか、当時の政治部内は大論争になったようです。小沢発言に対して社会党は猛反発し、連立離脱そして自社さ政権発足(自民党の政権復帰)へ政局は加速していったのでした。

この時の朝日新聞の判断が正しいか否かは見解が分かれることでしょう。ただし、オフレコの約束が成立していたとしても、差別発言など看過できない内容であった場合は、報道側が主体的に判断してオフレコを解除できるというのがジャーナリズム界の慣行です。その場合、①のようにその場で記者が取材相手に発言内容について抗議し「オフレコ拒否」を通告するのが筋でしょう。しかしその場にいた記者の反応が悪くオフレコの約束がいったん成立してしまったとしても、やはりその発言内容が看過できないものであったならば、事後的にオフレコを解除して報道することは報道機関の主体的判断としてあり得るのです。ここは報道する側の「覚悟」の問題です。

では、石原氏のオフレコ発言はどうだったか。

政治的なハレーションを呼ぶ内容であったことは間違いありません。一方でこれは「差別発言」ではないですね。あくまでも石原氏の個人的見解を一般にアピールすることを前提としない「オフレコ」と断って私に表明したに過ぎないともいえます。

政治家が非公開を前提にオフレコ指定して話した個人的見解を政治的発言として報道してよいかどうか。統一基準をつくるのは極めて困難であり、個別具体的に判断するしかありません。石原氏のケースでは、本人が「昭和天皇の戦争責任」について世の中に向かって政治的に問題提起する意思も覚悟もないのに、あえて「オフレコ破り」して問題提起するために報道するというのは、私にはちょっと抵抗感がありました。

もっとも、石原氏、中曽根氏、渡邊氏の話し合いが公式な場で交わされたものであったり、あるいはその場の「合意」が具体的に政治事象として動き始めたりする場合は、話は別です。石原氏が「オフレコ」と断ったとしても、中曽根氏や渡邊氏を取材し(非常に困難な取材で、本人たちは事実関係を否定する可能性が極めて高いが)、3人が「昭和天皇の戦争責任」について「合意」した事実を裏付け取材し、「昭和天皇は少なくとも退位すべきであったとの意見で3人が一致していたことがわかった」という客観的な記事の形で出稿を目指すべきであったと思います。

しかし、今回の場合は3人が宴席で「昭和天皇の戦争責任」を語り合ったものの、3人ともそれを現実の政治問題として提起する意思がない以上、石原氏のオフレコ発言だけを根拠にストレートニュースとして報じるのは、いささか無理があったのではないでしょうか。私はむしろ、この話の核心は「3人が宴席で昭和天皇の戦争責任で一致していたものの、3人ともそれを外部に向けて表明する意思がさらさらなかった」ことにあり、ストレートニュースというよりは、むしろ3人の政治家や言論人としての限界を示すエピソードであったと思います。

その意味で、この記事に対する政治倶楽部会員のカイトアキラさんのコメントは核心をついていました。

カイトアキラさんは「『昭和天皇にも戦争責任があった。退位すべきだった』などと、安全な場所で、しかも生きているうちには言えないとは。それはそうだ、公言したら間違いなく生命を狙われるからだ」といいます。そのうえで石原氏が私に吐露したのは「ただのアリバイ作り」と指摘します。「自分はガチガチの天皇制主義者ではない、朝日新聞さん、わかってよ」という思いを吐露したに過ぎないというのです。カイトアキラさんはそのうえで「そんな『ヘタレ』な部分を野村秋介氏や三島由紀夫氏には見抜かれていた」と厳しい論評を加えます。

私はこのカイトアキラさんの分析が事実に近いような気がします。もしこの見立てが正しいのなら、石原氏がさしたる覚悟もなく「アリバイ作り」としてオフレコ取材を利用して私に漏らした発言内容を朝日新聞がそのまま報道したら、石原氏の思惑にまんまと乗せられたことになっていたかもしれません。朝日新聞が石原発言を報じた後、石原氏は「あれは酒宴の話だから」「本気のはずないでしょ」「朝日新聞もあんな話を本気にするなんてバカだなあ」「一種の捏造だよ、これは」などと平然と否定したかもしれません。右翼からの攻撃を朝日新聞に振り向けつつ、リベラル派には「石原氏はガチガチの天皇制主義者ではないかも」という「錯覚」を植え付け、石原シンパを広げることに成功したかもしれないのです。

オフレコ発言の本質は「発言の責任をとらない」ことにあります。だとするならば、私が石原氏のオフレコ発言をスルーしたことは正解だったということになります。

いやはや、オフレコ取材は奥深い。難しい。まさに政治家と政治記者の騙し合いです。石原氏のオフレコ発言の意図をしっかり読み解いたうえで記事にするのが理想的でしょう。そうした記事ならば「政治家・石原慎太郎」の実像を浮き彫りにする見事な政治報道といえます。オフレコ取材を最初から拒絶していたら、政治家の実像に迫ることは不可能です。

政治取材は実に複雑です。単に「政治家に話を聞けばいい」「取材すればウラが取れる」というものではありません。政治家の発言はオンレコにしろオフレコにしろ「思惑」にまみれています。ときに政治家自身も何が「真実」なのか、わけがわからなくなって話していることもあります。決して鵜呑みにしてはいけません。経験豊富な記者がプロの目でしっかり「解釈」して報じなければ、政治家に利用されて終わりです。

ひとつの「発言」も光の当て方で見え方はまるで違ってくる。「事実」はひとつではないという世界かもしれません。政局はこのような政治家の「発言」の積み重ねで動きます。文書をベースに議論が進む行政や裁判とはかなり様相が違います。「無形」の世界を追いかける。ここに政治取材の醍醐味があります。

私は行政取材や裁判取材よりも政治取材が好きです。この政治取材の感覚は教われば上達するというものではありません。政治家の真意を見抜く洞察力は、どんなに政治学の教科書を読み込んでも磨かれません。記者自身がどのような人々と交わり、どのような人生を歩んできたのかという人生の総合力が問われます。朝日新聞政治部でもこの感覚を身につけている記者は2〜3年にひとりいるかいないかというところです。

単に政治家の発言を垂れ流すだけでは、読者は何が起きているのか、さっぱりわかりません。ひいては、権力者の世論操作にのせられてしまうのです。だからこそ、政治記者が政治的事象をデータと論理をもとに主体的に判断し、自らの責任で「解釈」することがとても大切になります。さまざまな記者のさまざまな「解釈」が発信されていいのです。そのうえでどの「解釈」に説得力があるかを読者の皆さんが判断する。それがあるべき姿だと私は考えます。

石原慎太郎氏がオフレコで私に伝えた「昭和天皇の戦争責任」〜中曽根康弘氏、渡邉恒雄氏と語り合ったこと

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