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白金高輪駅「硫酸事件」の劇場型捜査が映し出す相互監視社会への道

東京メトロ白金高輪駅(東京・港区)のエスカレーターで8月24日夜、会社員の男性(22)が追い抜かれる際に顔に硫酸をかけられ大ケガをした事件が起きた。卑劣で許されない事件であることを明記したうえで、今回は警察捜査のあり方について考えてみたい。

事件の第一報が流れた時、ネット上では無差別傷害事件なのか、個人的怨恨によるものなのか、元捜査関係者らの間でも見解が分かれた。無差別傷害事件の可能性があるとしたら、警察は都内を中心に第二の事件発生を警戒し、SNSを駆使して都民らに広く注意を呼びかけることが必要であろう。

事件が動いたのは27日だった。警視庁は静岡市の大学生(25)の逮捕状をとり、全国に指名手配した。いくつもの防犯カメラの映像をリレー追跡して容疑者を割り出したようだ。警察発表によると、容疑者は被害者の大学の先輩で同じサークルに所属していた。港区にある被害者の職場周辺で待ち伏せして尾行する容疑者の姿が防犯カメラで確認されたという(こちら参照記事)。

多くの人はこのような報道に接し、これは無差別傷害事件ではなく、個人的な怨恨を動機とする事件であると受け止めただろう。警察はかなり早い段階で防犯カメラを解析し、個人的怨恨による犯行と考えたに違いない。だからといって卑劣な事件が許されるわけではないが、世の中に広く緊急に注意喚起が必要な無差別傷害事件と個人的怨念による事件では、捜査の進め方は大きく違ってしかるべきである。

私が驚いたのは、警視庁捜査一課が指名手配した翌日朝に以下のツイートをしたことだった。

容疑者の顔写真を明示して情報提供を呼びかけているうえ、容疑者の氏名にハッシュタグ(#)をつけ、「#犯人逃走中」というタイトルもつけ、ツイートの拡散を狙っている。まさに「劇場型捜査」だ。

現時点ではあくまでも「容疑者」である。「#犯人逃走中」のタイトルには「推定無罪」の原則はおろか、容疑者の人権への配慮はまったく感じられない。無実だったら取り返しのつかない人権侵害になるという発想は皆無である。

警察は指名手配に踏み切る時点で、被害者の大学時代の先輩である容疑者を特定し、個人的怨恨に基づく事件の可能性が極めて高いと判断していたはずだ。世の中に広く緊急に注意喚起をすることが求められる無差別傷害事件ならまだしも、個人的怨恨を動機とする事件であれば、ここまでSNSで大々的に拡散させる必要があったのだろうか。

日本の行政当局の人権感覚の欠如を世界中にさらけ出したのが、名古屋出入国在留管理局で亡くなったスリランカ人女性ウィシュマさんの事件である。密室の収容所内における外国人への人権侵害や真相究明に後ろ向きな日本政府の隠蔽体質に衝撃を受け、この国が「人権後進国」であることを痛感した。捜査段階の容疑者に対する警察の人権軽視もこの国の行政当局の人権感覚の欠如を映し出している。

さらに警視庁のツイートに不気味さを感じたのは、「#犯人追跡中」のタイトルに象徴されるように、現在進行中の容疑者追跡に一般国民を巻き込んで関心を引き寄せる「劇場型捜査」のあり方である。私は国家権力によるこの種のSNS活用に大きな違和感を覚えた。これは単なる警察のイメージアップ戦略ではないか。

コロナ禍当初に日本社会で広がった「自警警察」を思い起こした。緊急事態宣言下の公園で遊ぶ子どもたちを見かけた人から役所への「通報」が相次ぐ様子は、国家権力が相互監視を強要した戦時下の日本社会を想起させ気味が悪かった。

外国人の在留カードが偽造されたものか否かを確認する無料アプリを出入国在留管理庁(入管)が無料配布して一般国民に「監視」を促している問題も思い出した(こちら参照)。国家が国民を捜査や監視に総動員して差別・偏見を煽る様子は、国家による人権侵害が横行した戦時中を彷彿させる。

やはり日本社会はおかしくなっている。人権感覚が歪んできている。国力低下にともなう不安感や自信喪失に加えて、コロナ危機がそれを助長しているのかもしれない。

ツイッターでは私と同じ懸念を表明している人たちがいた。私も以下のツイートをした。

はたしてこのような「劇場型捜査」は許されるのか。それをもっとも問うべき立場にあるのは、警視庁記者クラブに所属しているテレビ新聞の社会部記者たちである。

ところが、彼らは今回も警視庁の広報のままにこの事件を報じ、被害者や容疑者の供述内容を警察幹部からのリークで得る「取材競争」に明け暮れるばかりであった。「劇場型捜査」に疑問を呈する記事を見つけることはできなかった。

警察取材で最も重要なのは、警察権力が行きすぎた捜査で人権を侵害していないか、違法捜査などを隠蔽していないか、政治家ら有力者の事件を揉み消していないか(首相と親しいテレビ局記者のレイプ事件揉み消しは記憶に新しい)、それらに目を光らせ、警察権力が公正に行使されているかを監視することである。ところが、警察を担当する各社の社会部記者は、警視庁幹部への夜回りなどオフレコ取材で捜査情報を聞き出すことにしのぎを削り、警察と一体化してその広報戦略に加担しているのである。「警察権力の監視」とは真逆だ。

私の27年間の新聞記者人生の経験からして断言できるのは、日本のマスコミで、政治家と政治部記者、官僚と経済部記者の関係以上に不透明で癒着しているのは、警察と社会部記者の関係だ。安倍政権以降、警察キャリア官僚が国家権力中枢で内閣官房副長官や国家安全保障局長など主要なポストを占め、公安警察的な体質が政権内部で強まっているのは非常に危惧されるところである。

警視庁は「#犯人逃走中」のツイートをしたその日うちに容疑者の身柄を確保した。ツイートした時点で容疑者の立ち回り先をほぼ特定しながらSNSで劇場型捜査を展開していた可能性もあるのではないか。あれほど大々的にSNSで拡散させる必要が本当にあったのか。疑念は深まるばかりである。