政治とマスコミを斬る
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新聞社の政治部が自民党と統一教会の歪んだ関係を深掘りせず、政治家の言い分ばかり垂れ流している理由〜答えは新刊『朝日新聞政治部』に!

自民党と統一教会の関係をめぐる新聞各紙の政治記事は自民党政治家の言い分を垂れ流すばかりで何も追及していないーーそんな批判がSNSに溢れかえっている。まったくそのとおりだ。

では、なぜ新聞各紙の政治部は政治家の言い分を垂れ流すばかりなのか。朝日新聞政治部に長く勤務し、デスクも務めた私の立場から解説しよう。

新聞社の編集局長など幹部が自民党や統一教会からの抗議に怯え、自分達の自己保身と組織防衛からトラブルを極力避けるために、自民党と統一教会の関係に関する記事を掲載することに慎重な空気を社内でつくりあげているのは間違いない。

編集局長が大勢のデスクを前に「自民党と統一教会の関係の記事は書くな」とあからさまに指示することはおそらくないだろうが(テレビ朝日ではそのようなことがあったと報道されているが)、最初に誰か一人が具体的な原稿を出稿した段階で「もっと脇を固めて」「さらに裏付け取材を進めたほうがいいのではないか」などという言葉でやんわりと先送りを重ねるのが朝日新聞ではよくある手口である。

そうすると優等生のデスクや記者たちはそれを横目で眺めて「ああ、このような記事を編集局長は望んでいない、いや、嫌がっている」と悟り、さらには「無理やり出しても紙面に掲載されないし、無駄な労力がかさむだけだ。それどころか、やっかいな記者だと思われ、人事で外されてしまうかもしれない」と怯え、社内に「自民党と統一教会の記事には手を出さないほうがいい」という空気があっという間に出来上がるのである。

つまり、現場のデスクや記者たちが上司の意向を忖度して自主規制するのだ。彼らはこの手の能力は高い。官僚の世界と瓜二つである。

これに加え、とくに政治部ではもうひとつ、事情がある。

朝日新聞政治部には50人程度の記者が所属しているが、その大半は「番記者」として担当政治家に張り付いている。総理番、幹事長番、政調会長番、官房長官番、外相番…といった具合だ。

彼ら番記者は目の前にいる担当政治家を追いかけるばかりで、政界全体の状況は実はあまり見えていない。彼らがあげた取材メモに目を通して全体像を理解し、原稿を執筆するのは、官邸記者クラブや与党クラブなどのキャップとサブキャップだ。その原稿を仕上げるのがデスクの仕事である。

つまり、政治部の取材体制はそもそも、政治家が発信したことを漏らさずに拾い上げて報道するシステムになっており、政治家が発信しないこと(隠していること、嘘をついていること)を自前の取材で暴き、追及するシステムになっていないのである。だから政治家が無視する事象や触れたくない事象はそもそも取材メモにならず記事にもならないのだ。

政治部がこのような取材体制である限り、政治記者は常に政治家の尻を追いかけるばかりで、政治記事はつねに政治家が設定した土俵に乗って事柄を伝える受け身的な報道となる。記者側が主体的にテーマを決め、埋もれた事実を発掘し、それに基づいて政治家を追及するという、本来の報道にはなり得ないのだ。

私はこのような記者クラブや番記者制度を軸とした政治部の取材体制そのものが時代遅れであると考え、2010年に政治部デスクに就任した時に記者クラブ所属の記者を大幅に削り、特定の政治家に張り付いて追いかけるのではなく、記者が主体的にテーマを設定して何でも自由に取材することのできる「政治部遊軍」を創設した。これは私が政治部と調査報道専門の特別報道部を行ったり来たりするという朝日新聞記者としては珍しい経歴をたどったことと無縁ではない。

政治部の調査報道的な手法を採用する「政治部遊軍」の試みは政治部では画期的で、かなりユニークな記事を連発したのだが、記者クラブ主体の番記者制度に染まった政治部先輩諸氏の評判は悪く、私が政治部デスクから特別報道部デスクに転じてまもなく「政治部遊軍」は廃止されてしまった。「政治部遊軍」は首相官邸クラブや与党クラブの持ち場を荒らしていく「嫌われ者」だし、そのようなチームを抱えていても、それを指揮して統括する能力のあるデスクが政治部にはいなかったのだろう。

自分が慣れていない取材手法が広がって自分が居場所を失うことを恐れる内向き文化が朝日新聞にはとても強いのである。

ちなみに私が育てた特別報道部も私が退社した2021年春に廃止されてしまった。

政治部にかかわらず、社会部も経済部も科学部も、基本的に新聞社の取材体制は記者クラブを拠点とし、政治家や官僚を追いかけ、彼らが設定した土俵の上で取材をするというもので、主体的にテーマを決めて掘り下げていくというスタイルではないのである。

当然のごとく縄張り意識が強まり、取材体制は縦割りとなり、他の部や他の記者が受け持つ分野に取材にいく際にはいちいち社内で手続きをとらなければならない。その際に露骨に拒絶される場合さえある。

とりわけ社会部が担当する警視庁、検察庁、宮内庁を記者クラブ員以外が取材することは困難だ(東京新聞社会部の望月衣塑子記者は首相官邸記者クラブの官房長官会見に毎日参加することはできても、朝日新聞政治部記者が司法クラブで行われる東京地検特捜部の記者会見に参加することは不可能に近い)。

これは政治家や官僚からすれば、自分の担当記者(あるいは記者クラブ)さえ手なずければ批判記事を防げるという、実に好都合な取材システムである。

どの記者クラブにも所属せず、自分で取材テーマを設定し、どんな分野にも切り込んでいく特別報道部の記者たちは、彼ら既存組織の記者たちにとって、自分たちの縄張りを荒らす邪魔な存在としか映らない。だから特別報道部は常に社内で嫌われていた(とくに社会部からは敵視されていた)。2014年の吉田調書事件で社内から特別報道部廃止論が噴出したのには、そのような背景がある。朝日新聞という会社は自己保身と組織防衛の塊なのだ。

以上のような経緯を、私の新刊『朝日新聞政治部』では記者たちが実名で続々と登場するリアルなエピソードを通じて描いている。新聞社が統一教会と自民党の歪んだ関係をなぜ掘り下げないのかという疑問に応える内容になっているので、まだお読みになっていない方はぜひご覧いただきたい。