オミクロン株に対する日本の政府や自治体の対応はあまりに非科学的・非論理的で、この2年、この国の行政はいったい何をしてきたのであろうかと呆れるばかりである。
そのなかでも衝撃だったのは「ワクチン接種を2回済ませていない県民に対して不要不急の外出自粛」を要請した山梨県の長崎幸太郎知事の対応だった。
ワクチンを2回接種した人々が次々に感染していることは、いまやほぼすべての国民が知っていることだろう。ワクチンには重症化を防ぐ効果はあるとしても、感染を防ぐ効果は低いことも、いまや常識ではなかろうか。
ワクチンはまったく効果がないどころか人口削減を狙う特定勢力が作り出した恐るべき「兵器」であるというのがフェイクニュースであるならば、ワクチンは人体にまったく悪影響がなく全国民がワクチンを接種すればゼロ・コロナを達成できるというのもまたフェイクニュースである。
ワクチンには重症化を防ぐ効果がある一方、接種直後に予想される副作用に加えて「急死」を含む人体への悪影響のリスクも否定できない。どのくらいの効果があるのか、どのくらいのリスクがあるのか、まだまだわからないことがたくさんある。それでも未知のウイルスと向き合う際に、ひとつの対処方法であろう。各個人が自分自身にとってワクチン接種のメリットとデメリットを慎重に考慮し、接種の有無を決めるしかない。政府、自治体、専門家、マスコミはそれぞれの個人が接種の有無を冷静に判断するために必要な情報を的確に知らせる義務があるーーそう考えるのが科学的・論理的な態度であると私は繰り返し主張してきた。
一般的には、感染によって死亡・重症化リスクの高い高齢者らはワクチンのリスクよりも効果を重視して接種したほうがよいだろう。一方で、死亡・重症化リスクの低い若者や子どもたちは、まだまだわからないことだらけのワクチンのリスクを抱え込む必要性は乏しく、彼らにワクチン接種を事実上強要するのはあまりに危険である。そのような科学的・合理的な考え方に基づき、最終的にはひとりひとりが接種の有無を判断するしかない。「わかっていないこと」を「わかっていない」と正直に認めたうえでメリットとリスクを慎重に見極めるのが、科学的・論理的な態度のはずだ。
ところが、政府や御用専門家やマスコミは、ワクチン接種の「国策」の旗を振るばかりだった。極端な「ワクチン陰謀論」とワクチンに対する科学的・論理的な疑問を一緒くたにして「フェイクニュース」とレッテルを貼り、人体に及ぼすリスクを誠実に周知してこなかったのである。そのうえに未接種者にあからさまな不利益を与える「ワクチンパスポート」の導入まで推し進めたのだった。実に愚かである。
この結果、日本社会には「ワクチン神話」が広がり、「ワクチンさえ打てば安心」というフェイクニュースが広がり、さらにはワクチン未接種者に対する差別・偏見が広がるという醜悪な事態に陥ったのである。非科学的・非論理的な情報を垂れ流した政府や御用専門家、マスコミは断罪に値するだろう。彼らはワクチン業界から巨額の利益を得ているのではないかーーそんな「ワクチン利権」への疑念が高まるのも無理はない。
オミクロン株の感染が急拡大する現実に直面して、この国の為政者たちはようやく「ワクチンに感染を防ぐ効果はない」ことを認めたようである。それが「隠しがたい事実」となってはじめて、政府分科会の尾身茂会長はワクチンパスポート(ワクチン・検査パッケージ)の見直しを提起したのだった。
しかし、政府や御用学者、マスコミが振り撒いた「ワクチン神話」は簡単に消えそうにない。
3回目のワクチン接種は、オミクロン株をはじめ今後登場するかもしれない新種にどれほど効果があるのか、効果があるとしてどのくらいの期間持続するのか。3回目の接種が及ぼす人体へのリスクは過去2回と比べてどうなのか。わからないことだらけである。「3回目を接種すれば何もかも大丈夫」という「ワクチン神話」を垂れ流すのはもうやめていただきたい。
コロナ対策の基本は、検査・医療体制を充実させて「早期発見・早期治療」することである。コロナ発生から2年、いまだに十分な検査・医療体制を整備しない政府の怠慢を「ワクチン推進」で誤魔化そうとしているとしか私には見えない。
ワクチン接種者は外出してもいいが、未接種者は外出を自粛してほしいーーそんなトンデモ発言を堂々とした山梨県知事はまさに「ワクチン神話」を信奉し続ける一人なのであろう。知事がそうなのだから、一般国民の多くが「ワクチン神話」を信じ込んでいるのは無理もない。「ワクチン陰謀論」顔負けのフェイクニュースである「官製ワクチン神話」がまかり通っているのが現代日本の実像なのだ。
山梨県知事の発言にはさすがにネットなどで批判が噴出した。ところが、このニュースを伝えるマスコミがまたひどい。
朝日新聞デジタルの1月24日記事『ワクチン未接種なら「不要不急の外出自粛を」 山梨知事の要請に疑問』を例にその「ひどさ」をみてみよう。以下は全文である。
新型コロナのワクチン接種を2回済ませていない県民に対し、山梨県が不要不急の外出自粛を要請したところ、県に疑問や批判が寄せられている。県は未接種者の感染リスクは高いとするが、国は副反応の恐れも踏まえて接種は「強制できない」との立場だ。
長崎幸太郎知事は23日の記者会見で、オミクロン株対策を県民らに要請。学校の分散登校などのほか、未接種者に「やむを得ない事情がある場合をのぞき、不要不急の外出・移動の自粛を」と要請した。
長崎知事は、2回未接種者の感染率は接種済み者のほぼ2倍というデータがあるとして、未接種者を守るためと説明。企業などにも、2回未接種の従業員に在宅勤務を推奨したり、不特定多数と接する業務を控えさせたりすることを求めた。
長崎知事は「差別の事例があれば人権問題としてしっかり対処する」と強調した。
ただ、県には24日、問い合わせや意見の電話が相次いだ。担当部署によると、「なぜ未接種者に外出自粛を求めるのか」という疑問や「やりすぎではないか」という批判が多いという。
未接種者に外出などの自粛を求めた理由について、県担当者は「感染率と重症化のリスクが高いため」と説明。企業などへの要請について「あくまで協力要請。従業員の接種の有無を調べろという趣旨ではない」としている。
この記事の最大の問題点は「未接種者に限って外出自粛を要請する」という知事に対し、朝日新聞がどう考えているのかという自らの判断を棚上げしたまま、「県に疑問や批判が寄せられている」と他人事として書いているところである。新聞社の毎度のずるい報道姿勢だ。
このように報道機関が主体的に是非を判断せず「客観中立」を装う「垂れ流し」報道が、読者をミスリードする。
例えば、県は「未接種者の感染リスクは高いとする」とさらっと書いているが、そのような根拠はあるのだろうか。記事を読み進めていくと、知事が「2回未接種者の感染率は接種済み者のほぼ2倍というデータがある」と説明する部分があるが、記者はそのデータを確認したのか。日本におけるオミクロン株の感染急拡大を受けて的確なデータがすでにまとまっているとは私には思えない。これは知事発言の垂れ流しではないか。
知事の「差別の事例があれば人権問題としてしっかり対処する」という言葉も理解できない。非科学的・非論理的な知事の外出自粛要請によって、未接種者が大なり小なり不利な立場に置かれるのは容易に想像できる。「差別の事例があれば」はあまりに無責任だ。「しっかり対応する」とは具体的に何をするのか。何もかも垂れ流しである。これは「客観中立報道」ではなく、単なる無責任な「傍観報道」だ。
なぜ朝日新聞は自らの主体的な責任で「知事の発言は非科学的・非論理的である」と認定しないのか。ここに新聞凋落の最大の要因がある。主体的に判断して反論されることを恐れ、「客観中立」の建前に逃げ込み、当局者の主張をただ垂れ流すだけの「広報機関」に成り下がってしまったのだ。
もうひとつ見逃せない背景がある。それは朝日新聞が政府や御用専門家に同調して「ワクチン神話」を振り撒いてきたという事実だ。過去の報道内容に縛られ、ワクチンパスポート同様に「未接種者を不利に扱う」政策に対して異議を唱えることを避けているようにみえる。未接種者に外出自粛を要請する山梨県知事を批判すれば、ワクチン一辺倒の国策に同調して「ワクチン神話」の旗を振ってきた朝日新聞にブーメランが跳ね返ってくることを恐れているのだろうか。
原発事故が起きるまで政府や電力会社や原発専門家に同調して「原発神話」を振り撒き続けた失敗を繰り返してはならない。
まっとうなワクチン報道を取り戻すには、ワクチン一辺倒の国策に同調して「ワクチン神話」を拡散させた過去の報道を再検証して読者に報告し、信頼を回復するしかない。それを実行するまで、私は朝日新聞をはじめマスコミ各社のワクチン報道を信用しない。
練習中に倒れて死亡した中日・木下投手の「ワクチン接種」を報じない朝日新聞とNHK
ジャーナリズムは「客観中立」の幻想を捨て、立ち位置を鮮明にして「データと論理」で競い合え!〜CLP疑惑は終わらない(前編)