なぜ、いわゆる「サヨク政党」は選挙で勝てないのか。
この問いに対する答えは、理念や政策以前に、もっと構造的な問題にある。
4月29日に開かれた社民党大会は、その縮図だった。福島みずほ党首が9期目に入り、幹事長にはラサール石井氏が起用された。だが、国会議員はわずかにこの2人だけ。党の最高決定機関である常任幹事会も、半数以上が非議員・落選経験者で占められている。
ここに、凋落するサヨク政党の本質がある。
「選挙で勝った者が実権を握る」のではなく、「党内序列を維持する者が権力を握る」という逆転現象だ。
社民党では、党首選で4割以上の票を得た大椿ゆうこ氏が執行部から排除され、異論は表に出さない空気が強まっている。ラサール氏は内部情報の外部発信に警戒感を示し、「団結」を強調した。だが、密室で決め、異論を封じる体制は、有権者からの信頼とは真逆の方向に向かう。
しかも、党の論理は外部に敵を設定することで内向きに強化される。福島氏は「総攻撃を受けている」と訴えるが、実際には小規模政党である社民党が他党から標的にされる必然性は乏しい。むしろその存在は野党分断の一因として、他勢力にとって都合よく利用されている側面すらある。
背景にあるのは、選挙よりも組織維持を優先するインセンティブだ。政党要件を満たして政党助成金を得るための「得票率2%」の確保が至上命題となり、広く支持を広げるよりもコア支持層を固める戦略に傾く。その結果、選挙で勝つ力はますます弱まる。
この構図は、れいわ新選組にも重なる。
れいわは総選挙や地方選で敗北を重ねながら、責任の所在は曖昧なままだ。臨時総会の非公開運営や内部対立、録音流出問題は、党内統制を優先する体質を浮き彫りにした。
とりわけ問題なのは、「外部からの弾圧」を強調する言説である。批判や選挙結果を外的要因に帰すことで、内部改革の動機が失われる。さらに、透明性を欠いた組織運営は、権力監視を掲げる政党としての正当性を自ら損なう。
共産党は、こうした傾向の原型といえる。
民主集中制のもと、党内の意思決定は厳格に統制され、異論は排除される。党首選もなく、実質的な権力構造は固定化されている。中央委員会や幹部会には非議員が多数含まれ、選挙で有権者の審判を受けていない人々が実権を握る構造が温存されている。
こうした体制では、「有権者の声」よりも「党内秩序」が優先されるのは必然だ。結果として、支持拡大よりも組織維持が目的化し、選挙での敗北が続く。
対照的なのが自民党である。
自民党も問題は多いが、少なくとも「選挙に勝つこと」が絶対的な基準として機能している。勝者が発言力を持ち、敗者は退く。情報戦も激しく、内部の対立や情報漏洩も日常的だが、それすらも有権者との接点の一部として機能している。
サヨク政党が陥っているのは、「人気より正義」という思考の罠である。理念を掲げること自体は否定されるべきではない。しかし、民主主義において政策を実現するには、選挙で多数を獲得しなければならない。支持を広げる努力を放棄し、内部統制を優先する限り、政党としての機能は失われる。
かつての社会党は違った。国会で野党第一党として一定の議席を維持しつつ、国会対策で影響力を発揮し、自民党との駆け引きの中で一定の成果を上げていた。そこには「勝つための政治」「政策を実現させるための政治」があった。
いまのサヨク政党に欠けているのは、その現実感覚である。
選挙で勝つための戦略、支持を広げるための物語、そして有権者に選ばれるためのリーダーシップ——いずれも弱い。
「正しいことを言っているのに勝てない」のではない。「勝つための仕組みを自ら壊している」のである。すべては現執行部が自分たちの権力を維持するため、党内統制を最優先にしている結果だ。
この構造を変えない限り、サヨク政党の凋落は止まらない。