尾野真千子主演の映画「茜色に焼かれる」に推薦コメントを寄稿してほしいという依頼が、SAMEJIMA TIMESの「講演・執筆依頼」欄に届いた。
映画にコメントを寄せるのは、高松高校の同級生である小川淳也衆院議員を追ったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」につづいて二回目である。「なぜ君は〜」は私の専門領域の「政治」が題材だった。小川淳也とは30年以上の仲であり、大島新監督とも旧知の間柄だったので、さほど驚きはなかった。
今回はさすがにびっくりした。尾野真千子は画面を通じてしか知らない実力派女優。オダギリジョーや永瀬正敏ら豪華キャストはまさに画面の向こうのスターである。いったい、なぜ、私に…?
コメント寄稿の依頼書にあった映画の概要を読んで、すこしナゾが解けた気がした。
「この世界には、誰のためにあるのかわからないルールと、悪い冗談みたいなことばかりがあふれている(中略)弱者ほど生きにくいこの時代に翻弄されている一組の母子がいた。哀しみと怒りを心に秘めながらも、わが子への溢れんばかりの愛を抱えて気丈に振る舞う母。その母を気遣って日々の屈辱に耐え過ごす中学生の息子。果たして、彼女たちが最後の最後まで絶対に手放さなかったものとは?(後略)」
なるほど、尾野真千子は主役の「母」なのか。これは格差社会を生き抜く母子の姿を描いた映画なのだろう。
私はこの連載「新聞記者やめます。あと80日!【私は27年間、新聞をタダで読んできました】」で、母子家庭に育ったことを明かしていた。もしかしたらこの映画に携わるどなたかがそれを読んで、コメントを依頼してくれたのかもしれない。
私はさっそく受諾のメールを返信した。送付されてきたURLをクリックしてパスコードを入れると、その映画は始まった。
冒頭から釘付けになった。母子家庭になった経緯は違う。私たち母子は、映画の母子ほど、気丈に振る舞ったわけでも、屈辱に耐え過ごしたわけでもなかった。映画に登場する中学生の息子は母と二人で暮らしていたが、私には姉がいた。ここはいちばんの違いであろう。それでも、重なる部分がかなりあったのだ。
県営住宅の一階の部屋、オンボロ自転車で駆ける日々、夜遅くまで働く母、そして彼女の恋愛と失恋…。それらの描写は、30年以上前の私の記憶を次々に呼び覚ましていった。もうこれは客観視できない。ジャーナリストとしてコメントを寄せる立場としては失格かもしれないのだが、私はすっかり「中学生の息子」に感情移入してしまったのだ。
あっという間の144分。私はしばらく茫然としていた。う〜ん、これは上手にコメントを書けるかな。ちょっと自信ないな。コメントは50〜80字か。そんな分量では書き切れないな。それをやってのけるのがプロの仕事だが、これは難しいな…。
ネタバレになるのでこれ以上は書けない。だが、私は80字のコメントを書くのに四苦八苦した。毎日書いているツイートのおよそ半分である。文章というのは短くなればなるほど難しい。
七転八倒の末、私が映画会社へ送ったコメントは以下のとおりである。映画の公式HPやTwitter、webニュースなどで使われるという。
公営団地に暮らす母子家庭、母の失恋そして包丁の追憶。息子の境遇が我が身に重なり、感情移入してしまった。格差が格差を生む理不尽な社会に差し込む茜色の未来が美しい。
映画会社さん、ごめんなさい。あまりチャーミングではなくて…。
映画公開のニュースリリースが数日前に届いた。女優の前田敦子さん、作家の室井佑月さん、映像ジャーナリストの伊藤詩織さん、社会学者の上野千鶴子さん、国際政治学者の三浦瑠麗さんらに並んで私のつたないコメントが載っている(→「映画ナタリー」の記事)。
神戸にひとりで暮らす母が見つけたら、怒るかな。幸いなことに、彼女はパソコンもスマホも持っておらず、ウェブの記事もSAMEJIMA TIMESも読めない……黙っておこう。
この社会に溢れる「強者をたすけ弱者をくじく」ルールのこと、「上級国民」から「コロナ」まで時事問題を織り交ぜた映画の設定のこと…。触れたい内容は数多あったが、とても書き切れなかった。文字数の制約のなかで、私がどうしてもコメントに挿入したかったのは、理不尽な社会に差し込む「茜色の未来」のことである。
5月21日TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開である。