甲子園で選抜高校野球が始まった。昨年はコロナを理由に春夏とも中止となり、甲子園を目標に励んできた高校球児たちは可哀想だった。今春は開催できて本当に良かった。
高校生はコロナに感染しても重症化する可能性は極めて小さい。それなのになぜ、夢の舞台を戦わずして諦めなければならなかったのか。開催する方法はいくらでもあったのではないか。高校球児には「感染拡大防止のため」「あなた自身を守るため」という政治家の言葉がとても空疎に響いたことだろう。
高校球児だけではない。コロナに感染すると重症化しやすい大人たちを守るため、多くの若者たちが「我慢」を強いられた一年であった。一生に一度しかない青春の貴重な日々を大きく制約されたのだった。それによって進路が大きく変わった者もいるだろう。少子高齢化社会において若者たちは政治に声が届きにくい「政治的弱者」なのである。
大人がまずはその事実を真正面から認めなければ、若者たちが心から納得することはないと私は思う。そのうえで、若者たちの胸に響く言葉を、私たち大人は投げかけたであろうか。
明徳義塾の馬淵史郎監督の言葉は心に染みた。昨年5月20日、夏の大会の中止が発表されたことを受け、高知県のグラウンドで約100人の部員に語った言葉である。
「おまえらが目標にしとった大会がないので、非常に残念でたまらん、俺も。本当につらい」。馬淵監督はそう切り出し、「勝った負けた、甲子園に出場できるできない、レギュラーになったなれないと、いろんなことがあるけど、要は、世の中に出て通用するようなことをグラウンドで学ぶのが高校野球なんや。大会がなくなったからというんで、自暴自棄になり、目標を失ってふにゃふにゃの人間になったりしたらあかんど」と語った。
そして「忘れんなよ。世の中に出ていろんな苦しいことがあった時に、耐えていける精神力をつけるというのが高校野球なんや。こういう苦しい時ほど、人間は試されるんで。甲子園だけがすべてじゃないんやから。人生、甲子園に行けない人間の方が多いんやから」と続け、「10年、20年経って、『あの時、自分らの代は地方大会がなかった。試す場所がなかった』ということが、きっと役に立つ時がある」「頑張ってやれよ、こっからだぞ。こっからが出発点だ。何も終着駅じゃないよ。こっから出発点だ。気持ち切り替えてやっていけよ、ええか」と締めくくったのだった。
本来は、緊急事態宣言を発した政治家や大会中止を決めた主催者が、高校球児の夢を奪ったことについて、胸に響く言葉で語るべきであった。彼らがそうした言葉を持ち合わせていなかったことが、私はとても残念だった。
私は小学6年生まで阪神甲子園球場のとなり、兵庫県尼崎市で育った。夏休みには自転車で甲子園まで行き、無料の外野席で終日、高校球児たちの活躍に釘付けになった。
私も野球少年であった。尼崎は野球が盛んで、多くのプロ野球選手を輩出している。私の所属した少年野球チームの監督は広島の黄金期を支えた水沼捕手のお兄さんだった。チームには世界の盗塁王・阪急の福本選手の息子さんがいて、福本選手も指導に来てくれた。野球一色の小学生時代であった。
友達のほとんどは阪神ファンである。だが野球少年には「隠れ巨人ファン」も少なくなかった。毎晩、巨人戦のテレビ中継にかじりついていたからだ。私もその一人だ。尼崎育ちのたしなみとして「六甲おろし」は三番まで完璧に歌えたが、心の中は巨人でいっぱいだった。
私は中学生で香川県高松市へ引っ越し、野球を続けた。そこはほとんどが巨人ファンだった。私は巨人ファンであり続けたが、巨人ファンに囲まれていると、すこし冷めたようであった。そのころから多数派に与することが性に合わなかったのかもしれない。
時はめぐり、読売新聞のライバル紙の採用試験を受けたときのこと。私はとりたてて自慢する経歴も資格もなく、履歴書の特技の欄に「野球」とだけ書いた。政治にもマスコミにも疎い学生だった。採用試験を受けた新聞社について「リベラル」「左派」よりも「高校野球」のイメージを強く抱いていたのである。
そして京都から新幹線で向かった東京本社での最終面接。役員とおぼしき一人が私に向かって「君は野球をやっていたのか。尼崎で育ったんだね。どこのファンだ」といきなり尋ねてきたのだ。
私の頭はぐるぐる回転した。この新聞社の採用面接で、正直に巨人ファンと答えたらどうなるかーー。う〜ん、ウソをついて採用されても仕方がない。
私が大きな声で「巨人ファンです」と答えると、笑いが起きた。ただちに先ほどの役員とおぼしき一人が「尼崎なのに、なぜ巨人ファンなんだ」と突っ込んできた。私はとっさに「はい、尼崎では阪神が権力なのです。巨人こそ反権力なのです」と応じた。その場は笑いに包まれ、面接は終了した。完全に落ちたと思ったら、無事に通ったのだった。
つまらない昔話を持ち出したのは、つい先日、編集幹部が「『反権力』と『権力監視』は違う」と発言した話を小耳にはさんだからである。編集幹部の真意はわからないが、彼が「反権力」という言葉にネガティブな響きを込めたのは間違いない。
私が28年前の採用面接で「反権力」という言葉を使って切り返した時、当時の役員たちは少なくともネガティブには受け取らなかった。新聞社の空気はずいぶん変わった。もし今年の採用面接でその言葉を吐いたら、きっと落とされるであろうと思ったのだった。