退職日まで続くこの連載「新聞記者やめます」。私は毎晩執筆し、日付が変わったところでホームページにアップしている。そして就寝し、夜が明けて目覚めたところで5万7000人のフォロワーがいるツイッターで紹介している。まずはホームページに直接訪れてくる人に読んでいただきたいと思い、すこし時間差をつけている。これから極秘情報も時折おりまぜていきたいとおもうので、一足早くお知りになりたい方は日付が変わったあと、おやすみ前にのぞいてみてほしい。
開始当初はツイッターで紹介する前にホームページを訪れる人はほんの数人だった。開始から10日を過ぎると、目覚めた時点ですでに100人以上が訪れてくれるようになった。早朝から私のホームページを楽しみにしてわざわざ見にきてくれているのだ。ありがたい限りである。
先日、目覚めてツイッターで発信しようと思ったら、一件のメールが届いていた。新聞社の政治部の先輩で論説委員の恵村順一郎さんからだった。
さめちゃん いつも読んでます。見出しが やめめす になってるよ。意外に目立つので直した方がいいです。
簡潔な文面に、私は慌てた。就寝前にアップした記事をみると、確かに「新聞記者やめめす」になっている。おっとっと。
新聞なら訂正記事を出さねばならない。「○日付SAMEJIMA TIMESの見出しで『新聞記者やめめす』とあるのは『新聞記者やめます』と誤りでした。訂正して、おわびします」ってやつだ。
もちろん、新聞ではこんなミスは起こり得ない。記者が執筆し、デスクが出稿し、編集者が見出しをつけ、編集センターのデスクがチェックし、校閲記者が点検し、編集局長室の当番編集長が目を通す。その過程でゲラが編集局内に大量にばら撒かれ、大勢の記者の目に触れる。「やめめす」には、さすがに誰かが気づくはずだ。
私はひとりで執筆し、ひとりで編集し、ひとりで校閲している。そりゃ、間違いがそのまま出ることもあるよ、と言い訳しながら、私はパソコンを開いて「やめます」にしらっと直したのだった。
恵村さん、早朝からありがとうございます!
新聞はこうしたミスを防ぐために膨大なコストをかけている。いったん印刷して全国に配達してしまったら、誤りを直すすべはない。間違いを指摘されたら、翌日の朝刊に訂正記事を出すしかない。だから事前チェックにたくさんの記者とたくさんの時間をかける。紙媒体の宿命だ。
それでも間違いが生じたら、担当デスクは「訂正して、おわびします」云々という訂正記事の文案をつくり、編集局長室に頭を下げてハンコを押してもらう。翌朝、紙面を開いて自分の訂正記事が目に飛び込んできたときは情けない限りだ。この一連の手続きで心身ともに疲弊する。その日はしょんぼり、仕事する意欲が失せるものだ。
これに比べて、ネットは実に手軽である。間違えに気づいたらその場ですぐに直せばいい。もちろん重大な間違いをこっそり直してばかりいたら信用を失う。それはだめだ。ただ、「やめめす」のような単純ミスなら「ああ、間違えたのね」と大目に見てくれる読者も多いだろう。先日はいつも手厳しい言葉を投げかけてくるネトウヨの方が助詞の誤りを親切に指摘してくれた。
そもそもネットの読者は「てにをは」の間違いにはおおらかだ。細かいミスを防ぐために多大なコストや時間をかけ、その結果として記事が有料になったり、配信が遅くなったりするくらいなら、多少の単純ミスには目をつぶる。それよりは有意義な情報をできるだけ早く、安く知りたい。そうした文化がネットでは出来上がっている。
こうして新聞とネットを比較すると、新聞の不利は火を見るより明らかだ。新聞は「完璧な紙面」を目指すあまり、事前チェックに膨大な人員と時間とコストをかけ、その結果として記事は高く、遅くなり、それを補うほど内容も深くない。そればかりか事前チェックで多くの人が口出しする結果、記事は棘を失って丸く収まり、凡庸になる。値段のわりには鮮度(スピード)にも個性(オリジナリティ)にも欠ける物足りない商品になってしまった。百花繚乱のデジタル時代に埋没するのは当然だろう。
きょうは自らのミスを棚に上げて勝手なことを論じてしまった。最後に恵村さんについて一言。
私が1999年春、浦和支局から政治部に異動して小渕内閣の総理番になった時、官邸サブキャップとして総理番の指導にあたったのが恵村さんだった。とにかく仕事が速く、指示は端的で、立ち振る舞いに無駄がなく、切れ味の鋭い政治記事を瞬時に書き上げる先輩だった。このレベルにはとても到達できないと思ったものだ。第二次安倍政権が発足した直後から報道ステーションに2年間コメンテーターとして出演し、安倍政権にまったく忖度することなく、鋭く斬り込んでいた。かの番組に権力監視の機運が残っている最後の時代であった。
私の退職人事が社内サイトで発表された2月25日、私の三列上に恵村さんの名前があった。同じ5月31日付で退職されるそうである。長い間お疲れ様でした。