twitterアカウントを開設してもうすぐ5年。実名を明かし、会社名は伏せ、「ジャーナリスト」の肩書きで、政治の不条理やマスコミ報道への疑問を提起してきた。たった140字の世界。できるだけ端的に、明快に、鋭利に、聖域なく斬り込んできたつもりである。
おかげさまでフォロワーは5万6000人を超えた。時に炎上するが、それも含めて政治に目を振り向けてもらうきっかけになればありがたいと思っている。だからブロックはしない。かなり多くのインプレッションもいただいている。この場を借りて皆様に御礼申し上げます。
一方で、twitterの世界で私には、批判ばかりの「追及攻撃型」のイメージが定着してしまったらしい。
テレビ朝日の友人から2年前にAbemaTV出演の依頼がきた。ネトウヨに大人気の上念司さんと「発行部数が激減の新聞に未来は?」というお題について激論するという企画である。
新聞記者である私に加え、私が所属する新聞社に集中砲火を浴びせて視聴者を呼び込む狙いは明白であった。
私のtwitterアカウントに押し寄せる批判の大多数は、私の所属新聞社に向けたものだ。私自身はこの手の批判には慣れっこなのだが、会社員である以上、出演には会社の許可が必要だった。
社内には慎重論もあったようだが、結論から言えば許可が下りた。何かと批判される新聞社ではあるが、このあたりの懐の深さは良き伝統だ(近年は管理統制が強まり心配しているのだが)。
私は東京・六本木ヒルズのけやき坂通りに面したガラス張りのスタジオで上念さんの隣に座り、「新聞はオワコンか」について討論した。敵地に乗り込む気分だったが、蓋を開けてみると、デジタル化に出遅れた新聞の未来が厳しいこと、それでもジャーナリズムは生き残らねばならないことなど意見にさほど隔たりはなかった。司会の小藪千豊さんの裁きも見事だった。(詳細はこちら)
番組終了後、ネトウヨの皆様の間では「鮫島は上念に屈した」との論評が飛び交った。評価は視聴者にゆだねるしかないが、私は「新聞の未来」について突っ込んで議論し、問題意識をかなり共有し、多くの課題を示すことができたと思っている。ネトウヨの皆様の反応は想定の範囲内だった。
想定外だったのは、私のtwitterフォロワーの皆様からの反応だ。「twitterのイメージと全然違いました」「もっと怖い人だと思っていました」などという反応が相次いだのである。
これらの反応は私に好意的なもので、実際に動画で見るとtwitterと違って親しみやすさを感じたという趣旨であった。でも、私は大いに反省した。Twitterの世界で私はどう映っているのか? 私のtwitter上の人格はいつのまに「恐ろしい攻撃型の人間」になってしまったのか。
ああ、失敗だった。端的に、明快に、鋭利に、政治やマスコミを批判しようとしたあまり、自らのイメージを傷つけてしまったかもしれない。フォロワーが順調に増えたことに気分を良くして、批判一辺倒で突っ走りすぎたかもしれない。これでは今後の「仕事探し」に差し支えるではないか! 後の祭りだ。
「今の時代、批判は受けないよ」「批判ばかりしていたら、一部のフォロワーの内輪で盛り上がるだけで広がりに欠けるよ」「鮫島さんは権力中枢を取材して政治の実像をよく知っているのだから、もうすこしバランスをとった方がいいよ」
旧知の政治家や官僚から寄せられた数々の助言が走馬灯のように駆け巡る。
彼らが言わんとすることはわかる。野党が「批判ばかり」と批判されて追及の手が弱まるのも同じような理由であろう。
でも、私がtwitterで政治やマスコミを連日にように批判してきたのは、マスコミの権力監視機能が著しく劣化しているからだ。新聞記者が政治家や官僚のごとく「支配者目線」になっているからだ。その現状を憂い、嘆き、業界人の1人として、少しでもその役割を補完しようと思ったからだ。
その結果として、私自身が「恐ろしい攻撃型の人間」になってしまった。貧乏くじをひいたのか。ああ…。
されど、思い直す。これは権力監視という仕事の宿命である。誰しも悪役にはなりたくない。そのなかで、どんなに嫌われても、自分の印象が悪くなっても、権力者を追及する。それがプロとしての新聞記者の社会的責務だ。人気取りで記者をしているわけではない。その反動としてのイメージ悪化は受け入れるしかない。
ひとつの救いは、twitterのアイコンを顔写真にせず、涙のようなマークにしていたことだった。これはTwitterを始めるにあたり、悔しい思いから出発したことをイメージ化したものだ(詳しくは「新聞記者やめます」序章【私は会社の誘いに乗った】で)。
アイコンにはもうしわけないが、「恐ろしい攻撃型の人間」のイメージは彼に背負ってもらうことにしよう。アイコンさん、ごめんなさい。
そして私が新たに開設したこのホームページでは、私自身の顔写真を掲げよう。文章は丁寧に、穏便に、含蓄を込めて書こう。そのほうが仕事もくるかも。。。(人間は実に身勝手である!)
ということで、twitterフォロワーの皆様、ネトウヨの皆様、私はtwitterでの筆を曲げません。ご安心ください。