高齢者施設の長い廊下を車椅子はゆっくりと自室へ向かう。傾きかけた冬の陽が、西の窓から差し込み、その長く伸びた残照は、遠ざかる車椅子の背を照らす。
私は、西の窓の前に立ち、長い廊下を遠ざかっていく車椅子を見つめていた。84歳の老婆の小さな足が、車椅子の座面の下で、まるでボートの櫓のように左右交互に動く。西日というものは、すべてをせつなくさせる。
次の訪問前の数分の間に見たこの光景を、私は今も思い出す。交通事故の怪我が原因で介護士を辞めることになったのだが、その当時に私が担当していた人の多くは、部屋の窓から外を見るのが好きだった。今、長い廊下を遠ざかっていくあの人も。
『カラス、なぜ鳴かない』
その部屋は施設の3階にあった。東側の窓から見えるのは、幹線道路への抜け道に交わる住宅街の脇道だ。施設のある街は、道路が碁盤の目になっており、施設の角にある十字路から幹線道路へ出るまでに三つの十字路が規則正しく並ぶ。
302号室のまさこさんは、窓から見える2本の電柱を朝に昼に見ている。まさに電柱ウォッチャーである。部屋の清掃担当の私は、訪問の度に電柱ショート物語を聞かされる。これが週に一度の楽しみになっていた。
「昨日と一昨日は来なかったのよ」まさこさんの声は寂しそうだ。まさこさんの亡くなった夫の位牌が乗る箪笥の上をハンドモップをかける私は、「そうですか、それは寂しいですね」と寂しそうな振りをして答える。まさこさんは箪笥の上まで腕を伸ばしても届かないので、清掃担当の私は、「箪笥の上は仏壇代わりだから必ずお掃除して頂戴」と言われていた。
「寂しいわよ。楽しみだもの」。まさこさんには子どもがいないので、施設へ来てくれる人もほとんどいない。年に一度か二度、後見人をやっている姪が訪問するだけだった。そのせいか、まさこさんは、毎日のようにやってくる電柱のカラスが楽しみになっている。
遠い親戚より近くの他人と言うけれど、まさこさんの部屋を頻繁に訪れるのは(正しくは、部屋の向かいに立つ電柱だが)、「他人」であるカラスだった。電柱に留まるカラスといえど、毎日見ていると情も湧く。カラスが来ないとカラスの体調が心配になる。
「カラスはね、頭が良いから、来る度に手を振ると、こちらを見るようになるの。嬉しいわよ」。カラスへ優しい視線を向けるまさこさんは、悪い事をひとつもした事がないだろうと感じるほど素直な人だ。静かに誠実に生きてきたに違いない。
ただ、そういうまさこさんでもいくつかの悲しみを抱えているのは間違いない。心抉られる悲しみにのた打ち回った夜もあるだろう。でも人は、苦しい出来事を封印し、笑顔の中へ隠している。

気まぐれカラスは、いつ来るのかわからない。
電柱にやって来るカラスにまさこさんは名前を付けなかった。名前を付けると来なくなった時に孤独感が増すと言った。自分とカラスの距離感を考えているのは、孤独に飲まれない術のひとつだった。
「最近、お洋服の雑誌は送られて来ないんですか?」
私は何気なく訊いた。いつも椅子やテーブルの上にファッション雑誌や通販雑誌が置いある。お喋りなまさこさんなので、会話が途切れることはないが、この時は、止まった。床磨きをしていた私は、まさこさんをちらりと見た。まさこさんは、黙ってタオルを畳んでいた。
「後見人の具合悪くてね」。
それは姪御さんのことだ。私は「そうですか」と言うだけで何も訊かなかった。こういう時は、それ以上は訊かないのが鉄則だ。これを厳守しているのは私だけかもしれないが、人の心には、土足で踏み込まないと決めている。
「あなたもカラスも、余計な事を訊いてこないから有難い」
まさこさんの声は、私に届きそうで届かないようなか細いものだった。私はまさこさんの声を拾えたが、聞こえない振りをした。
「来た来た!」
声を追いかけると、カラスが電柱に留まっていた。まさこさんが窓に近づくとカラスが首を捻りながら両足で飛び跳ねた。この日も私は、まさこさんと電柱のカラスの交流を業務記録に載せなかった。この事は記載しなくても、誰からも責められない。その代りに私は、『まさこさんは、会話中の笑顔を増えた』と書いた。
『窓から見える富士山』
「この部屋から富士山が見えるの」
それが93歳のシズコさんの自慢だった。
最近は、歩行器での歩行も見ていると不安がよぎる。二日前にも廊下で歩行器を利用してる最中に腕が歩行器を押してしまい、脚が追い付かず、前へ転倒してしまった。
大きな怪我はなかったが、顎を打った。その痛みが残るせいか、シズコさんは部屋から廊下へ出なくなってしまった。食事でリビングへ向かうときは、スタッフが同行することになった。
「あたしの腰には、棒が入ってる」
いつその手術をしたのか私は知らないが、富士山の話が終ると決まって「腰の棒」の話になった。今回の転倒も、腰に入っている棒が重くて転んだとシズコさんは思っていた。
しばらく部屋から出ないシズコさんの唯一の楽しみが、窓の外を見ることだった。建物に変化はないけれど、空や木々、遠くに望める山々は日々その顔を変える。海辺で育ったシズコさんの視線の先にはいつも自然がある。
施設の中でも富士山が見える部屋は限られている。シズコさんの長女が施設見学に来た時、快晴の中に白い富士を遠くに望み、この部屋に決めたという。シズコさんは長女が決めた、富士山が見えるから決めたと幾度も口にした。だから親思いの子だと言っているのがわかる。

富士山が見える朝は、良い事があると信じていた。
ただ、シズコさんの長女は山形に住んでおり、シズコさんへの面会は、2年前を最後に行われていない。それをシズコさんは「娘は忙しいからなかなか来られない。うう、うう」と繰り返した。
シズコさんは、語尾に必ず「うう、うう」と言う。老化に因る発語の問題と思うけれど、医師ではないのではっきりした事は言えない。
「朝、起きると富士山が見えるか、いつも気になる、うう、うう」
清掃で訪問した時、富士山の話から始まると、娘さんに会いたいのだとわかる。以前に、富士山が見えると娘が会いに来てくれる気がすると言っていたからだ。
自分ではどうすることもできない日々に望みを抱くには、窓の外に見えるものに気持ちを重ねるしかないのだろう。それは交通事故で二カ月入院した際に窓の外を見ていた私も同じだった。シズコさんの気持ちが少しだけ想像できる。
私が事故に遭う数日前にシズコさんは食事が摂れなくなり、体調が悪化し入院した。血中酸素濃度が90を下回っていた。一時、危険な状態ということで、山形にいる娘さんが上京したが、持ち直した。シズコさんの生命力の強さだと思う。
ただシズコさんは胃婁を増設することになった。しかし、シズコさんが暮らしてきたこの施設では胃婁対応がないので、同じ会社が経営する別の介護施設に移る事になった。その話を聞いた私は、サービス責任者へあの事を話すか否か迷っていた。それは清掃で部屋へ行く度にシズコさんから聞かされた事だった。
「実は、清掃でシズコさんのお部屋へ行く度に、聞かされた事があるんですけど、お伝えしておいた方が良いものかどうか」。
私が困った顔をすると、サービス責任者は、「何でも話してください。後は、こちらで判断しますから」と笑顔で応じてくれた。
「テレビ台に観音開きの扉があります。その中に青い風呂敷に包まれた物があります」と私は話し出した。「あたしがもうダメなとき、あの風呂敷包みを渡して、うう、うう」
いつものかすれ声が、私の頭の中に広がった。
サービス責任者は、私の話を了解し、シズコさんが別の施設へ移る前に娘さんへ渡すと言ってくれた。
『光の射す場所を探して』
介護施設に入所する時、認知症を患っているとは限らない。カラスを友達にしているまさこさんは認知機能の低下はほとんどないが、歩行困難であり車椅子である。シズコさんはまさこさんよりも9歳年上の93歳、認知能力の低下は年相応にあり、耳も遠い。でも難しい会話でなければ成り立つ。
ふたりとも「若い頃は、どこへでも行けたのに」と嘆く。高齢になった今では、それは叶わず、部屋の窓から外の世界を見ながら、外の世界と繋がりたいと望んでいる。
まさこさんやシズコさんのように施設の窓から外を見る人はたくさんいる。窓から見える景色は、何の変化も無いように思われるが、この世に常はなく、昨日と同じ景色は存在しない。
まさこさんとシズコさんは常に諸行無常を意識して生活しているわけではないが、電柱に留まるカラスを楽しみにしているまさこさんも、富士山が見える見えないで一喜一憂するシズコさんも、昨日と同じ景色とは思っていないことは、その言葉からもわかる。
「電柱の後ろの家の木が夏へ向かって伸びている」
まさこさんは、毎日、窓から見ているので枝の伸び具合がわかるのだ。昨日よりも育っている木に自分には叶えられない望みを感じている。
私はそういう姿に悲しみを感じていたが、そのうちに、老いるというのは、身の周りの変化を見届けること、見守ること、祈ることなのかもしれないと思うようになった。人はそれぞれに光の射す場所を探し、陰を感じながら光を求めている。
まさこさんも「自由に電車に乗ってあちこち行きたい」と言うけれど、今の老いた自分を受け入れるしかないと言っていた。人は、窓の外に光の射す場所を探しながら、常に人生の折り合いをつけていかなければならない。

橘 世理(たちばなせり)
神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。