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福祉・介護のある風景(37)訪問診療に変えて楽になった~橘 世理

今思い返しても、親の通院に付き添うのは本当に辛かった。父の通院は、苦しい事しか思い出せないほどだ。ただ、ひとつだけ気持ちが和らぐ思い出は、検査の結果待ちの間に病院内にあるセルフ式カフェで父と母と3人でコーヒーを飲んだことだ。

それを思い出すとあれこれ父の介護を語りたくなるがやめておく。

今回は、父のことには触れず、母の通院を訪問診療へ切り替えた事を記したい。

在宅介護をしていると、ついて回るのが通院だ。私は、訪問診療に切り替える直前には、母の通院が苦行に感じられた。このような苦行の先に得られるものは何も無い、疲労困憊するだけだと思った。母よりも先に私が音を上げそうになっていた。

『肋骨折れて、心も折れて』

通院の主人公の母よりも私が先に通院したくないと言い出すわけにもいかないが、仕事の日程調整、残り少ない有給休暇と短期介護休暇の日数とにらめっこしながらの母の通院付き添いは、毎回、溜息をついた。

大学病院の内科と皮膚科、個人病院の整形外科と眼科、これらの通院予定がひと月の中に入ってくる。その他に様々な予定があるので、自分がもうひとりいれば良いのにとよく思った。

でも、自分がもうひとりいればいいのにと思ううちはまだ良い。これを放り出したい、どこかへ消えたいと思い始めたら心の疲労度は増している証拠だ。私は、「放り出したい」と思う事が増えて行った。

そうしているうちに母は脇腹が痛いと言い始めた。介護をしている相手が不調を訴えるとき、「気のせいであってくれ」「数時間で治って欲しい」と思う。これは、今以上に私に負担をかけて欲しくないという気持ちからだ。

腰痛ベルトの影響かと思いたかったがそうでもない様子であった。そこで、車椅子に乗せて整形外科へ行き、レントゲンを撮ると肋骨が3本折れていた。同時に私の心の中から何かが折れる音が聞こえた。

『もう連れて行くのは限界超えた』

街でもわりと大きな整形外科病院では、予約なしで診療する上に患者数も多く、9時半頃に行くと2時間は待つことがある。大学病院のように車椅子でフロアを回るといった時間潰しもできないので、母は心身共に疲れてしまった。

車椅子用のトイレもあり、手すりも設置されているが、介助者が一緒に入るには少々狭い。人ふたりとさらに車椅子となるとトイレの中で安全に身動きが取れないのだ。そういう事ひとつ取っても母も私もストレスを感じてしまっていた。

「コルセット着けて安静にしているだけなら、もう病院は行かない」と母は言い出した。「行くだけで疲れてしまうから嫌だ」とも言った。私も行きたくないので賛成したかったが、そういうわけにも行かない。

その時に夫が「通院はもう限界、訪問診療にした方が良い」と言ってくれた。このひと言で、舵は大きく切られた。

『通院先全部の医師の診断書が必要』

早速、ケアマネージャーへ連絡すると、訪問診療を行う病院を決めてくれた。私は、すぐに申し込めると考えていたが、申し込むには、今、通っている病院の医師の診断書を訪問診療を行ってくれる病院へ提出しなければならなかった。これが思いの外、厄介だった。

何が厄介かと言うと、訪問診療にしたい理由を話さなければならなかった。90歳、歩行が不安定、車椅子で通院、この三つの条件を言えば「ああ、そうだよね」と頷けるはずだと私は思っていたが、そうでもなかった。

大学病院の内科の医師は穏やかな丁寧な人で、母自身が、通院が苦痛になっていると話すとそれもそうだと何度も頷いた。私が仕事を調整しなければならず、外出の準備もあり、タクシーで帰る時も車椅子をトランクに入れてもらうが、運転手に嫌な顔をされることも多いと愚痴まで言うと、医師は同情してくれた。この話の辺りでようやく医師も納得できたのか、「診断書を出しますね」と言ってくれた。

さらに訪問診療の病院も紹介すると言うので、「先生、すみません、決まっています」と断った。大学病院と繋がりのある病院があるのだ。「どこの病院ですか?」医師の声がきつく感じられたので緊張し、「〇〇病院です」と言うと、「そこなら良いでしょう」と医師は言った。二度頷いたので安心してくれたのがわかった。

母の外出準備は、尿取りパッドなど衛生用品もバッグに入れるので荷物が多くなる。私は自分のバッグを斜め掛けし、パッドなどを入れたリュックを背負い、さらに母が持つ皮のショルダーバッグも斜め掛けする。この状態から解放されると思うと、それだけで嬉しかった。

個人病院の眼科の院長は、「その方が良いですね」と快く診断書を出してくれた。「診断書を出してくれるのだろうか」と不安になったのが、個人病院の整形外科の院長だ。私には物言いが厳しく感じる人なので緊張し、この人は気楽には話せないと身構えた。もしかしたら出してくれないかもしれないと思った途端、頭の中で話す内容を慎重に取捨選択した上で、面会に臨んだ。

いざ、面会になると、病院のお客がひとり減るので嫌なのではないだろうか。私は、そういう事を考えてしまい、言葉がなかなか継げずに困っていた。腹の中では、自力でタクシーにも乗れない90歳を車椅子で連れて来るのが、どれほど大変か考えてくださいと言っても、「皆そうしているんですけれどね」と軽く一蹴されそうで、怖かった。

「大学病院の内科も皮膚科の先生からも診断書を出して頂きました」と控えめに言うと、それまでの何が理由で訪問診療にしたいのかという質問の語尾が尻切れとんぼになり、頬がわずかに上下に動いたように見えると「そうですか」と声色が柔らかくなった。

診断書の費用は、数百円だったので安くて良かったが、通院している病院がいくつもあると診断書をもらうのに手間がかかる。ましてや私の場合のように、話しにくい医師だと気疲れもある。ただ、私には、頼りになるケアマネージャーが付いており、家族も本人も訪問診療を希望しているのならば、病院は診断書を出すと思いますと背中を押してくれ、それが救いになった。

全部の病院の診断書を受け取った時は、「めでたし、めでたし」と心の中で拍手をした。

訪問診療でできる事はたくさんある


『病院が家に来てくれる!』

街の中で、訪問診療の軽自動車を見かけたときには、母はまだ通院できるという思いと、訪問は診療代が高いのだろうとぼんやりと考えていた。ところがいざ始まると、受診科目は内科、皮膚科、整形外科、精神科などがずらりと揃い、夜間も祝日も電話をすれば対応してくれるので、通院から変えて良かったと心底思っている。

通院するにも母はタクシー移動になるので、往復のタクシー代を考えると訪問診療代も一概に高いとは言えない。さらに病院での待ち時間、薬局の待ち時間を考えると、まさに時は金なりで、それまで私が「私の時間を割いてきた負担」がかなりの度合いで軽減された。

往診という手段もあるけれど、介護認定を受けているならば訪問診療は是非勧めたい。在宅介護の場合、個人の時間が犠牲になるのは必須だ、犠牲という言葉を使う是非もあるが、そこは個々の感じ方に委ねる。少なくとも私はそう感じていた。

「病院が家に来てくれる」のは、本当にありがたい。訪問診療を迷っているなら、ケアマネージャーに訊いてみたり、実際に訪問診療サービスを使っている人に訊いてみてはどうだろうか。話を聞く中で自分の介護に合っているか否かを判断すれば良い。

歩行困難の人を毎月病院へ連れて行くのがつらい人は、「病院が来てくれる」という方法もあるのだ。そのことによって、介護生活の負担が大きく軽減するのである。

是非、御一考をお勧めしたい。

写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)

神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。