政治を斬る!

福祉・介護のある風景(40)義歯のメンテナンス~橘 世理

『祖母の入れ歯が口の中に吸い込まれた』

小学生の頃、明治生まれの祖母が口の中から大きな入れ歯を出し、水道の蛇口を開いて水を勢いよく出して、その水で口から出した物を洗い、洗い終えるとその物(入れ歯)は祖母の口の中へ吸い込まれるように消えた。そして祖母は、私の方を向いてにやりと笑った。

私は、「祖母の歯」を見た憶えがないので、祖母は60代後半か70代ですべての歯が義歯になっていたのだろう。そういう祖母を見ていたので、人は高齢になると誰もが入れ歯になると思っていた。

私にとって義歯と言えば「祖母」だったが、高齢者施設に勤務し始めてからは、義歯は仕事の中で頻繁に扱うようになった。祖母の義歯を洗浄したこともなかったのに、ひとさまの義歯を洗浄することも仕事の一部になった。勿論、使い捨てグローブを着用して行うのだが、グローブを通して感じられる歯の形は作り物とはいえ。体の一部を補う役目をするためか、どこか生々しく感じられた。

こうして義歯は、私にとって、水道でジャージャー洗って祖母の口へ吸い込まれた摩訶不思議な物体から、何人もの人々の生命維持の要となる存在へ変わっていった。

義歯の保管ケースと専用ブラシ


『早く歯科医院へ行けば良かった』

今年91歳になる母は、90歳までの数年間、口内炎の薬が手放せなくなった。日々、「歯茎が痛い」と言い、朝に夕に口内炎の薬をつけていた。対処療法にしかならないので、翌日にはまた「痛い」と言い出す。

入れ歯が擦れる、入れ歯があたる、入れ歯が歯茎にくいこむ、そんな言葉を聞く度に「いい加減に歯医者へ行ったら?」と言い続けたが、「そのうち、そのうち」と母は聞く耳を持たなかった。そうこうしているうちに母は米寿を迎え、90歳へ向かう道半ばには、食事の時間はとても長くなっていった。

柔らかな食事を出しても、1時間かけて食べるのだ。「1時間かければ食べられる」と言うが、それは時間がかかり過ぎる。噛む力がさらに弱くなってきたのかと思ったが、相変わらず入れ歯が擦れると言うので、今度は強い口調で「いい加減に歯医者へ行こう」と私は言った。

歯科医院は、徒歩5分ほどの所にある。それでも頑なに行かず、言い訳がましいので、こちらも堪忍袋の緒が切れた。

夫が、歯科医院へ電話をすると、「10時の予約にキャンセルが出た」というので、善は急げである。「お母さん、すぐに歯医者へ行きましょう」と急かし、有無も言わせず母を車椅子に乗せて歯科医院へ連れて行った。

娘の私にはいつまでも駄々をこねた母だが、義理息子となれば断れない。強行作戦だったが、結果的に「もっと早く行けば良かった」と母は、これまでの渋った自分を悔やんでいた。

入れ歯の裏打ちを施してもらった後は、1時間かかるようになってしまっていた食事のペースが徐々に戻り始め、以前に噛めた固めの物も噛めるようになった。

「なぜ歯医者へ行かなかったの?」と訊くと、「時間がかかるから面倒だった」と言った。歯科医院の治療は、口を大きく開けて行うので苦しい事が多い。そのトラウマのようなものがあり、行きたくなかったのかもしれない。

歯茎の変形や顎の骨の痩せなどにより、入れ歯と歯茎との間に隙間ができる。その隙間に新たに材料を足し、隙間を埋めて入れ歯を安定させることを裏打ち(リライン・リベース)という。

上述したように、歯は生命維持の要である。食べることは生きる楽しみでもあり、会食ができるということは、人として存在しているという自己認識や満足も得られる。これは生きる上でとても重要なことだ。

高齢の方の中には、入れ歯が合わないので外している人がいる。柔らかな物なら歯茎だけでも食べることができるからだ。だからそれで構わないと言う人もいる。人はそれぞれなので面と向かって否定はしないが、私は、高齢者の方で義歯に困っている人には、歯科医院で裏打ちというメンテナンスをすることで、より快適に義歯を使うことができると伝えている。

身近な人に入れ歯が合わないとぼやいている人がいるなら、歯科医院での裏打ちを是非勧めて欲しい。私の母は、今では「口内炎の薬を買ってきて」と言わなくなった。

口内炎の薬に頼らなくなったことはもとより、食事中に「美味しい」という言葉が頻繁に出るようになったことが何より嬉しい。91歳になった母には、美味しい食事の時間は宝物のような時間なのである。そして、その食事を作る私や夫にとっては何よりの誉め言葉なのである。

写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)

神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。