私が1999年春に政治部に着任した時に小渕恵三首相番を一緒に務めた他社の記者たちとは20年来の友人である。彼らの中にはいま政治部長などの要職についている者もいるが、時折会って話題になるのが、2001年春に発足した小泉純一郎政権の前から政治取材の現場にいた記者と、その後に政治取材をはじめた記者との違いだ。
小泉政権前の永田町は派閥政治が色濃く残っていた。1996年総選挙から小選挙区制度が導入され、自民党内で疑似政権交代を繰り返す派閥政治から、与野党が政権を競い合う二大政党政治へ変わりつつあったが、小泉政権誕生前(つまり森喜朗政権まで)は派閥の領袖が政治を動かしていた。小渕首相が2000年春に病で倒れた後に自民党重鎮の5人組(森喜朗、野中広務、青木幹雄、亀井静香、村上正邦)が赤坂プリンスホテルに集まり、密室で森政権誕生を決めたのはそれを象徴する政変であった。
森首相が退陣し、小泉純一郎氏が「自民党をぶっ壊す」と叫んで自民党総裁選に勝利した2001年春以降、派閥は急速に弱まり、首相官邸の力が格段に増した。私は構造改革の司令塔として学者から起用された竹中平蔵・経済財政担当大臣の番記者として小泉政権を取材したが、経済政策の主導権が自民党族議員や財務省から竹中氏が仕切る経済財政諮問会議へ移るのを肌で感じた。小泉首相が郵政民営化に反対する自民党議員を追い出した2005年総選挙(郵政選挙)で「派閥弱体化」と「官邸主導」はさらに加速したのだった。
官邸主導は政治取材にどう影響したか。ひとことでいうと、首相や官房長官、官房副長官ら官邸幹部から情報を得ることが圧倒的に重視されるようになったのである。
派閥政治時代は違った。首相や官房長官が何を言おうが、自民党の派閥領袖や各省庁の事務次官らに根回しが不十分だと、その決定は覆された。政治記者は官邸情報だけでは「特ダネ」を打つことができず、必ず自民党の重鎮や有力省庁の幹部に裏付け取材に走ったものだ。
もちろん、首相や官房長官の主張が通ることもあった。つまり、官邸と自民党の力関係はその時々で目まぐるしくかわり、政治記者はつねにどちらが主導権を握っているのかを見極めることが重要であった。官邸情報と自民党情報を日々、見比べながら、どっちが勝つかを相対化して考えていたのである。
小泉政権の「前」を知る政治記者は首相や官房長官の言うことを絶対視しない。小泉政権の「後」しか知らない政治記者は首相や官房長官の言うことを絶対視するーー。冒頭に紹介した「小泉前と小泉後の政治記者の違い」はそこにある。
5年半続いた小泉政権の後、第一次安倍晋三政権、福田康夫政権、麻生太郎政権はいずれも1年の短命に終わり、その後の民主党政権の鳩山由紀夫政権、菅直人政権、野田佳彦政権もそれぞれ1年程度で終わった。ほぼ1年ごとに首相が目まぐるしく交代した2006年〜2012年の間、首相官邸の力は低下して日本政界は混乱期に入るのだが、この時も小泉政権の「官邸主導」に慣れた政治記者たちは官邸と与党のどちらの言うことに重きを置くべきか見極めるのに戸惑った。政治記者が「官邸の言いなり」ではなく「自分の頭」で政局を分析する本来の姿に戻ることを迫られたのである。
2012年末に発足した第二次安倍政権は衆参の国政選挙に6連勝し、7年8ヶ月という日本憲政史上最長の政権となる。この間、首相はずっと安倍晋三氏、副総理はずっと麻生太郎氏、官房長官はずっと菅義偉氏、官僚トップの官房副長官はずっと警察出身の杉田和博氏だった。この長期政権下で、官邸主導は完全に確立した、与党も各省庁も官邸に屈服し、官邸が言うことがすべて通った。政治記者は官邸から情報を取れれば間違うことはないという取材環境に再び置かれた。それは7年8ヶ月も続いたのである(おそらく今の政治取材の一線で奔走するテレビ新聞の記者の半数以上は、第二次安倍政権発足以降にはじめて政治部に来た「安倍政権前を知らない記者」であろう)。
政局はたしかに安定した。しかし、政治家も官僚も思考停止に陥った。すべての答えは官邸にある。官邸がどう考えているかを忖度し、官邸の期待に応えた者が出世した。永田町・霞ヶ関から「権力闘争」や「主導権争い」は姿を消し、官邸への「忖度合戦」「忠誠競争」が繰り広げられたのである。
政治報道も「官邸の言うことを垂れ流す」傾向が加速した。官邸と与党の言うことを相対化し、その時々の政治情勢を見極めながら、どちらに重きを置くかを主体的に判断する政治報道の伝統は、完全に途切れたのである。権力が官邸に集中する長期政権は、政治報道の足腰を弱めるのだ。
安倍政権はコロナ禍に直撃され退陣し、ついに「官邸一極支配」は崩れた。後を継いだ菅義偉政権で官邸は求心力を失い、権力の中心がどこにあるのか見定めるのが容易ではない政治構造に久しぶりに戻ったのである。安倍長期政権下で「何事も官邸の言う通りになる」という政治取材にどっぷり浸かってきた政治記者たちはいま、五里霧中の政治情勢に追いついていないように見える。どんなに官邸に食い込んでも「官邸が言う通り」になるとは限らないのだ。
こういう時に、政界の靄を取り払い、政治の行方をくっきり見通す記事を書くのが、政治記者の醍醐味である。官邸への権力集中が崩れた今こそ、「権力にすり寄る政治取材」から決別する絶好の好機なのだが…。