安倍晋三元首相の命日を迎えた7月、自民党では異例の出来事が起きた。
旧安倍派のメンバーが主催する「安倍晋三を偲ぶ会」が二つ開かれるのである。
一つは命日の7月8日に開かれた会合。もう一つは7月15日に予定される会合だ。
一見すると、どちらも安倍氏を追悼する集まりにすぎない。しかし政界関係者は、この二つの会合を「旧安倍派の分裂を象徴する事件」と受け止めている。そこには安倍派の跡目争いだけではなく、麻生太郎、菅義偉、高市早苗という現在の自民党を動かす実力者たちの思惑が複雑に絡み合っているからだ。
かつて清和会は100人規模を誇る自民党最大派閥だった。森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と四人の首相を連続して生み出し、日本政治を二十年以上リードしてきた。
ところが2022年の安倍氏銃撃事件で求心力を失い、その後の裏金事件が派閥に決定的な打撃を与えた。派閥は解散へ追い込まれ、「安倍派五人衆」と呼ばれた幹部たちも次々と失脚した。
これで安倍派は終わった――。そう見る向きも少なくなかった。
しかし、高市政権の誕生で状況は変わる。今年2月の衆院選で落選組の多くが国政へ復帰し、旧安倍派の議員たちが再び動き始めたのである。
その中で一歩先に復権したのが萩生田光一幹事長代行と西村康稔選対委員長だった。高市政権のもとで党執行部に返り咲き、さらにキングメーカーの麻生太郎副総裁が率いる議員連盟の発起人にも名を連ねた。
ところが、この「二人だけの復活」が旧安倍派内部の不満を一気に噴き出させる。
「なぜ彼らだけが要職に就くのか。」
「裏金問題の責任は誰より重いはずではないか。」
そんな不満を抱える落選経験者や非主流派議員たちが結集したのが、7月8日の「偲ぶ会」だった。
主催したのは西村明宏元環境相らアンチ五人衆のグループである。
参加者は60人を超えた。再審制度の見直しをめぐる「稲田の乱」で久々に脚光を集めた稲田朋美元防衛相も参加した。
注目すべきはゲストだった。姿を見せたのは菅義偉元首相である。
菅氏は現在、自民党内で麻生氏と距離を置く代表格とみられている。政界引退後も影響力を残している。その菅氏が旧安倍派議員の集まりに姿を見せた意味は決して小さくない。
これは追悼集会というより、「反麻生」の決起集会だったと見る方が自然だろう。
これに対し、萩生田氏と西村康稔氏は7月15日に別の「偲ぶ会」を開く。安倍昭恵さんを招き、安倍氏との正統なつながりをアピールする狙いが透けて見える。
命日に開催できなかった事情はあったにせよ、「安倍ブランド」をめぐる主導権争いという色彩は否定できない。
旧安倍派は完全に二つに割れた。
しかも、ここへ第三極として浮上しようとしている人物がいる。
世耕弘成氏である。
参院自民党を長年支えた実力者は裏金事件で離党に追い込まれたものの、それを機に衆院への鞍替えを果たし、いまは高市早苗首相ともパイプを武器に復党を目指している。
萩生田・西村康稔ラインとも距離を置き、西村明宏グループとも一線を画す。独自勢力として存在感を高めようとしているのである。
こうして見ると、旧安倍派は「萩生田・西村康稔」「西村明宏」「世耕」の三極構造へ入りつつある。
さらに、それぞれの背後には現在の自民党の実力者がいる。
萩生田・西村康稔の後ろには麻生太郎。
西村明宏らの背後には菅義偉。
そして世耕の後ろには高市早苗。
旧安倍派の内紛は、そのまま「麻生対菅対高市」の代理戦争なのである。
今後の焦点は秋の党役員人事だ。
萩生田氏は幹事長への昇格を狙うとの見方が強い。西村康稔氏も将来の総裁候補として存在感を示したい。一方で、菅氏は非主流派をまとめて麻生一強体制に風穴を開けたい思惑があるだろう。そして高市首相も、党内基盤を固めるには世耕氏ら旧安倍派勢力の取り込みが欠かせない。
安倍氏という巨大な求心力が消えた後、旧安倍派は「誰が安倍政治を継ぐのか」という問いに答えを出せずにいる。
安倍氏の遺産を継ぐのは、理念なのか、人脈なのか、それとも「安倍ブランド」そのものなのか。
その答えをめぐる争いは、単なる派閥抗争では終わらない。
それは自民党の次の権力構造を決める戦いであり、高市政権の命運を左右する戦いでもある。
安倍晋三を偲ぶ二つの会。
そこに集まる議員の数よりも重要なのは、誰がそこへ顔を出し、誰が距離を置いたのかである。
追悼の場で静かに始まった跡目争いは、やがて自民党全体を揺るがす大きな政局へ発展していく可能性が高い。