東京都杉並区長選(6月28日投票)が全国政界の注目を集めている。人口約60万人、東京23区西部の住宅街の首長選にすぎないように見えるが、その意味は決して小さくない。ここは近年、リベラル勢力の象徴的な拠点となってきた地域であり、高市政権発足後初めて迎える本格的な政治決戦の一つだからだ。
杉並は長らく自民党の有力地盤として知られていた。東京8区は故・石原慎太郎氏の長男である石原伸晃元自民党幹事長の牙城だった。しかし、その構図はここ数年で大きく変わった。
転機となったのは2021年衆院選である。立憲民主党新人の吉田晴美氏が石原氏を破り、全国に衝撃を与えた。さらに翌2022年の杉並区長選では、NGO出身の岸本聡子氏が現職をわずか187票差で破り当選した。立憲、共産、れいわ、社民、生活者ネットなどが支援した野党共闘の勝利だった。
以来、杉並は「リベラルの聖地」と呼ばれるようになる。吉田氏と岸本氏という二人の女性政治家は、既存政治に対抗する新しいリベラル勢力の象徴として期待を集めた。
しかし、その構図はいま大きく揺らいでいる。
まず国政では野党共闘が崩壊した。立憲民主党と公明党の一部が合流して結成した新党「中道」は、今年2月の総選挙で厳しい逆風にさらされた。吉田氏も議席を失い、国会を去った。かつて野党共闘の成功例とされた杉並の政治モデルそのものが試練に直面しているのである。
そこへ攻勢を強めているのが高市政権下の自民党だ。
自民党は今回、27年ぶりとなる推薦候補を擁立した。候補は45歳の元区議会議長、大和田伸氏。石原伸晃氏の秘書を10年間務めた経験を持ち、杉並自民党の次世代エースと目されてきた人物だ。
自民党東京都連は今回の選挙を単なる区長選とは位置づけていない。「杉並奪還作戦」である。
都連会長の井上信治氏は「区政を岸本氏から奪還する」と宣言。片山さつき氏も「27年間できなかった自民党区長を誕生させよう」と訴えている。高市政権にとっても、リベラルの象徴的拠点を攻略できれば大きな政治的成果になる。
もっとも、自民党も決して盤石ではない。
高市内閣は発足直後こそ高い支持率を維持したが、ここへ来て下落傾向が見え始めた。その背景にあるのが、いわゆる「ネガキャン動画疑惑」である。
週刊文春の報道をきっかけに、高市総理と動画制作関係者との関係性をめぐる説明が二転三転した。共同通信は携帯電話番号が高市事務所関係者のものと確認したと報じている。
高市氏は「面識はない」と説明しているが、その定義を「実際に会って名刺交換し、相手の氏名や所属を認識していること」と説明したため、新たな議論を呼んでいる。
こうしたなか、杉並区長選でもネット選挙への関心が高まっている。
大和田氏のSNSや動画配信は、登録者数やフォロワー数に比べて再生回数や反応数が非常に多いとして、一部では疑問の声も出ている。もちろん、それだけで不正や問題があるとは言えない。しかし高市陣営をめぐるネガティブキャンペーン疑惑が注目されている時期だけに、「ネット上で何が起きているのか」という関心が高まっているのは事実だ。
杉並区の政治史を振り返れば、今回の激戦も偶然ではない。
かつて区長を務めた山田宏参院議員は現在、高市総理の最側近の一人であり、麻生派系議員としても存在感を増している。一方で前区長の田中良氏は民主党系の政治家だった。杉並は長年にわたり、自民系とリベラル系が激しく競り合う政治実験場だったのである。
だからこそ今回の選挙結果は全国に波及する。
もし岸本氏が再選を果たせば、野党共闘崩壊後もリベラル勢力が地方では生き残れることを示す象徴的勝利になる。逆に大和田氏が勝利すれば、高市自民党の地方浸透を印象づける結果となり、リベラル陣営には大きな打撃となるだろう。
さらにその影響は今後の地方選にも及ぶ。7月の滋賀県知事選、9月の沖縄県知事選など重要選挙が続く。杉並の結果は、その先行指標として受け止められる可能性が高い。
もっとも、自民党にも不安材料はある。今年に入って地方選では必ずしも勝ち続けているわけではない。各地で推薦候補や現職首長が敗北するケースも相次いでいる。高市人気だけで勝てる状況ではなくなりつつあるのだ。
杉並区長選は、一人の区長を選ぶ選挙にとどまらない。
リベラル勢力は生き残れるのか。高市政権は地方にも勢いを広げられるのか。そしてネガキャン動画疑惑はさらに拡大するのか、それとも収束するのか。
リベラルの聖地で始まる決戦は、地方自治の枠を超え、日本政治全体の潮流を占う重要な試金石になろうとしている。