政治を斬る!

天皇の沈黙と愛子天皇論 彬子さま養親本命説が突きつけるもの

7月17日、皇室典範改正が成立した。旧宮家の男系男子を皇族の養子として迎える道が開かれたことで、永田町は「麻生太郎氏の悲願が実現した」と沸き立った。だが、国民の受け止め方は必ずしも同じではない。むしろ改正直後の世論調査では、内閣支持率が急落し、皇室典範改正への不支持が支持を大きく上回った。

この反発の背景にあるのは、単なる制度論ではない。多くの国民が「愛子天皇の可能性が遠のくのではないか」と感じたからである。そして今、その不安をさらに増幅させているのが「彬子さま養親本命説」だ。

麻生氏の妹である信子さまではなく、姪の彬子さまが旧宮家の男系男子を養子に迎えるのではないか――。ネット上ではそんな観測が一気に広がり、彬子さまは皇室典範改正後、最も注目される皇族の一人となった。

彬子さまは44歳。学習院大学を卒業後、英国オックスフォード大学で日本美術史を学び、帰国後は京都を拠点に研究活動を続けている。立命館大学研究員、銀閣寺美術研究員、京都産業大学日本文化研究所特別教授など、学術・文化分野での活動は幅広い。

注目すべきは、彬子さまの周辺で7月17日に起きた動きである。同日、皇室典範改正とあわせて皇室経済法も改正され、彬子さまの皇族費は1067万円から2135万円へと倍増した。もちろん、これは制度改正に伴う形式的な措置と説明されるだろう。しかし、同じ日に行われた法改正だけに、「将来の養子受け入れを見据えた布石ではないか」との見方を完全に否定することはできない。

さらにその日、彬子さまは京都・祇園祭の山鉾巡行で函谷鉾に乗り込まれた。伝統的に女人禁制とされてきた山鉾への搭乗は、近年一部で緩和されているとはいえ、象徴的な出来事としてネット上で大きく拡散された。皇室典範改正の日に、京都文化の中心で彬子さまが脚光を浴びたことは、偶然にしては出来すぎていると感じる人も多いだろう。

だが、ここで忘れてはならないのは、彬子さまご自身の意思である。彬子さまの師匠として知られる京都産業大学名誉教授の所功氏は、皇室典範改正について「男系男子の養子案は憲法の趣旨に反する」と慎重な見解を示している。また、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する場合には、夫や子も皇族とすべきだと主張している。

つまり、彬子さまの周辺には、麻生氏の構想とは必ずしも一致しない思想的な土壌が存在する。彬子さまが本当に養親となる意思をお持ちなのか、現時点では明らかになっていない。

そして何より重要なのは、天皇陛下のお考えである。

7月17日、天皇陛下は那須御用邸で静養中だった。皇室典範改正については側近から報告を受けられたとされるが、陛下ご自身のお言葉は発せられていない。宮内庁の黒田武一郎長官は「皇室の方々のお気持ちを十分に踏まえながら、適宜適切に対処していく」と述べた。

さらに宮内庁幹部は「実際に養子を取る際には、家長である天皇陛下の意向をふまえることになるだろう」と語っている。これは極めて重い発言である。養子縁組は単なる行政手続きではない。皇室の将来、ひいては皇位継承のあり方に直結する問題なのだ。

養子縁組が実現するまでには、養親・養子双方の意思表示、宮内庁による法的要件の確認、身辺調査、内閣への上申、皇室会議での議決、内閣決定、そして天皇陛下への奏上という複数の段階を経なければならない。

皇室会議の議長は総理大臣であり、内閣や国会、司法の代表者も参加する。つまり、制度上は政治権力が一定程度関与し得る構造になっている。しかし、皇室の根幹に関わる問題を政治の力だけで押し切ることができるのか。そこには大きな疑問が残る。

愛子天皇を望む声は依然として国民の多数を占めている。一方で、国会は男系男子の養子案を圧倒的多数で可決した。この「国民感情」と「政治判断」の乖離こそ、今回の皇室典範改正が抱える最大の問題である。

天皇陛下は沈黙を守られている。しかし、その沈黙は無関心を意味しない。象徴天皇として、政治的発言を控えなければならない立場にあるからこそ、陛下のお気持ちは宮内庁を通じて慎重に伝えられる。

彬子さま養親本命説が真実かどうかは、まだ誰にも分からない。だが、この説がこれほどまでに広がったこと自体が、国民の不安の深さを物語っている。

皇室典範改正は終わった。しかし、本当の議論はこれから始まる。愛子天皇の可能性は本当に遠のくのか。それとも、天皇陛下のお考えと国民の共感が、別の道を切り開くのか。

皇室の未来を決めるのは、政治家の思惑だけではない。国民一人ひとりがつくりあげる世論が、その行方を大きく左右するに違いない。