東京大学の次期総長人事が波紋を広げている。学内の意向投票で過半数を獲得した候補者が選考会議で退けられ、2位の候補者が選出されたからだ。しかも、東大が選考理由を明確に説明できないなか、文部科学省が選考プロセスの検証を求める異例の事態に発展した。
東大初の女性総長誕生という歴史的な人事は、このまま実現するのか。そして、文科省を動かしたのは誰なのか。 騒動の背後には、大学自治と政治権力、さらに自民党内の勢力争いが交錯している。
9月28日に行われた東大の意向投票では、染谷隆夫氏が1107票を獲得し、得票率51%で過半数に達した。藤垣裕子氏は553票で、ほぼダブルスコアの差がついた。ところが、16人の選考会議は藤垣氏を次期総長に選出した。藤垣氏は初の女性総長として社会に大きなメッセージを発信したいと語った。
選考会議は、推薦書や面接、所信表明動画などを総合的に判断したと説明する。染谷氏が代表理事を務めていた法人で汚職事件が発生していたことも、選考に影響した可能性が指摘されている。しかし、過半数を得た候補者を退けるほど、選考会議が何を重視したのか。その決定過程は十分に明らかになっていない。
問題は、藤垣氏が女性だから選ばれたと決めつけることではない。女性登用の意義と、候補者選考の透明性は別の問題である。女性初という歴史的意義があるからこそ、なぜ藤垣氏なのかを、誰もが納得できる形で説明する必要がある。
事態が動いたのは10月に入ってからだ。関芳弘文科相は選考理由を学内に説明する必要があるとの考えを示し、10月20日には文科省の局長が東大を訪問。選考プロセスの説明責任を求めた。関氏は、いまなお明確な説明がないことを遺憾だと表明した。
ここで注目したいのが、関文科相の政治的な立ち位置である。関氏は旧安倍派に属し、今回の内閣改造で初入閣した。旧安倍派の復権という観点からも、その起用には意味がある。一方、自民党の文教族には、下村博文氏や松野博一氏、萩生田光一氏ら、安倍政権下で文科行政に関わってきた政治家がいる。
ただし、関氏は萩生田氏の直系というより、兵庫県選出で経済産業行政の経験を持つ商工族であり、西村康稔氏との関係も注目される。文教族の内部にも複数の人脈がある。今回の文科省の対応を、単純に萩生田氏らの意向と結びつけることはできない。関氏自身の判断なのか、文科官僚の問題意識なのか、高市官邸の意向なのか。誰が主導したのかは、今後の検証課題である。
さらに重要なのは、今回の人事を生んだ制度そのものだ。
東大では大学の自治を背景に教員による総長選挙が行われてきた。しかし、2004年の国立大学法人化以降、経営責任を重視する学長選考制度への移行が進んだ。2014年には文科省が選考会議による判断を重視する考え方を示し、2019年には意向投票の結果に左右されず選考会議が決定する仕組みが明確になった。
この流れは安倍政権期に加速した。大学のトップを教員の代表ではなく経営責任を担うリーダーとして選ぶ。その考え方には一定の合理性がある一方、学内の意思をどこまで反映させるのかという問題が残る。
今回、選考会議が意向投票の結果と異なる判断を下したことで、この制度の矛盾が表面化した。選考会議に最終判断を委ねるのであれば、投票を実施する意味は何か。投票結果を覆す場合、どのような理由を示すべきなのか。制度の正当性そのものが問われている。
もちろん、文科省の検証要請が直ちに政治介入を意味するわけではない。国立大学法人法では、学長の任命は大学側の申出に基づいて文科相が行う。藤垣氏の総長就任に向けても、今後の手続きが残されている。文科省が説明責任を求めることと、大学の選考に政治的な圧力を加えることは、明確に区別しなければならない。
高市政権は世論を重視する姿勢を掲げている。今回の騒動でも、選考の透明性を求める声にどう応えるかが問われる。一方で、政府が選考結果に踏み込みすぎれば、大学自治を損なう危険もある。
東大初の女性総長という歴史的な人事が実現するかどうかだけが問題なのではない。問われているのは、大学のトップを誰が、どのような手続きで決めるのかという根本原則だ。
今回の騒動は、東大が政治に介入された事件なのか。それとも、安倍政権期に強化された選考会議制度の矛盾が表面化した事件なのか。文科省の検証と東大の説明によって、その実態が明らかになるかどうかが焦点となる。