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福祉・介護のある風景(32)尊重と衛生の間で~橘 世理

これまでも度々登場した私の叔父の現在の様子だが、ひと言で言うと、「この先、心配」だ。

心配だからといって、母の介護を行っている私と夫にこの先も叔父の介護を行う余裕はない。

自立をしてもらわなければならない。

叔父さん、頼むよ。歩く練習しておくれ。

私の心の声は、叔父に届いているのかいないのか。

1️⃣ 着替えない癖がついてしまった

叔父はもともときれい好きではない。

床にゴミを落としたままでも平気でいられる。

これまでも独身独居なので、好き勝手に暮らしていた。

この「好き勝手」は、世にいうところの独身貴族というものではなく、家の中が汚くても言う人が誰もいないので、好きに暮らしていたという意味だ。

この叔父が、2カ月の入院、介護老人保健施設に4カ月、退所後にまたひと月半の入院を経てようやく自宅へ帰ってきた。

そうは言ってもひとり暮らしなので、当面の間は母宅の一室を間借りすることになった。

私と夫が介護を担うからだ。

帰宅後、数日が経ち、叔父が着替えをしないことに気がついた。

寝巻に着替えないの?と訊くと、風呂に入る時に着替えるから着替えないと言った。

たとえ入浴をしなくても、パジャマなどの寝巻に着替えるでしょう?

やんわりそう言うと、「施設では寝る時に着替えなんてしたことない」という言葉が返ってきた。

入院中は、レンタルパジャマのまま一日中過ごすが、汚れたらすぐに看護師が着替えさせる。

リハビリを行う施設に入れば持参の私服になり、就寝時はパジャマなどに着替えると思っていたら、叔父が入所した施設は、そのようなメリハリのある生活を入所者にさせていなかった。

人手不足のせいで、就寝時の着替えの手間を省いていたのだろうと推測する。

つまり、入所者を生活者としては扱っていなかった。(このような件には当然憤りを表明した)

もともと掃除が苦手な叔父は、服にも頓着がなく、就寝前に寝巻に着替えないという毎日に特段不満も疑問も湧かなかったようだ。

リハビリパンツと尿取りパットだけを取り替えていれば、それでよしだったのかもしれない。

この施設での入浴時しか服を着替えないというやり方は、叔父にすっかり染みついてしまい、今も入浴時にしか着替えなくなってしまった。

本人がそれでいいならいいじゃないと思うかもしれないが、困るのだ。

何が困るのか。それは臭いである。

トイレには自力で行けるようになったが、今もリハパンと尿取りパットを使用している叔父は、時々、肌着(アンダータイツ、所謂、ももしき)に尿が染みてしまっている。パットもマメに交換することもない。

そうなると、尿が染み着いた肌着を入浴する時まで着ていることになる。

看護師や介護士が着替えましょうと言えば言う事を聞くと思うが、家族では無理だ。

「俺の好きなようにさせといてくれ」になる。

人は、自分の思うようには動いてくれない。

それは分かっているつもりだが、私としては叔父の衛生状態がとても気になって仕方がない。

仕事をしていた頃の叔父は、毎日、お風呂に入る人だったが、7カ月の入院、施設、また入院で、生活サイクルや感覚が変わってしまった。

郷に入っては郷に従え。

叔父は、これを素直に実行してしまうところがある。

それは、場合によっては良し悪しだ。

2️⃣ 福祉用具は便利だけれど

私は、4年前に交通事故で左脚の膝の中の骨(脛骨)を骨折した際、退院後、2カ月の間は一本杖を利用していた。

でも2カ月も杖に頼ると、「このままでは杖なしで歩けない」と不安になった。その気持ちを理学療法士に伝えると杖に頼らない歩行を促されるようになった。

それまでは杖がなければ不安だったが、2カ月目にして杖に頼りすぎる不安を感じ始めたからだ。

理学療法士は、私にこの気持ちが湧くのを待っていたのだ。

精神的な杖への依存が生まれてしまうと、せっかく身体機能を向上させようとしても依存心が邪魔をしてしまう。

「不安だろうから杖を持てってもいいですよ、でも数メートルは杖なしで歩くようにしてみて」

理学療法士からそう言われて、挑戦し始めた。

歩けなくはないが、杖が無いと恐かった。

恐さを感じる中でも、「私は、元々、歩けたのだから、絶対に歩けるようになる」と自分に言い聞かせた。

今の叔父は、その時の私と同じ精神状態かもしれない。

杖が無いと歩けない。そう思い込んでいるのだろう。

確かに今は、杖が必要だが、杖なし歩行ができるように自分で訓練しなければ元には戻れない。

あの時の私は、杖を手に持ち、一日に10分でいいから、杖を使わずに外を歩くようにした。

それを毎日続けているうちに足の筋肉も動き出して、半年後には杖なしで不安なく歩けるようになった。

ただ、今の叔父には歩けとは言えない。それが一番の良い薬だとしても言えない。

訪問リハビリの理学療法士か医師から助言してもらうのが一番だ。

叔父は家族の言う事は、ほぼ聞かない。頑固者だ。よくいるタイプである。

先日、福祉用具カタログの中から数点、購入した物がある。

そのうちのひとつに、靴下を履く時にサポートしてくれる自助具もあった。

このような物にまで頼ると、益々、体は衰えに慣れてしまうのではないかと心配になる。

叔父の入院前の体重は約115キロ、感染症で2か月入院、4カ月リハビリ施設、再び入院ひと月半、今の体重は73キロだ。病院と施設の食事でなんと42キロも痩せた。

運動しながら徐々に痩せたわけはないので、筋肉もげっそり落ちてしまい、歩行不安定となり、かがむ、しゃがむ、という動作が満足にできない。

様々な福祉用具の使用は、生活をするために、叔父自身も試行錯誤している証だ。

でもね、叔父さん。

福祉用具に頼るのも良いとは思うけれど、そこから自立しなきゃ! 

筋トレ、筋トレ、外を歩いて!

私の心の声は、まだまだ叔父には届かない。

3️⃣ 意思の尊重は大事、でもそれで良いのだろうか

「本人がそう言っているのだから、それでいいんじゃないの」という場面がよくある。一見して意思を尊重しているが、本音は、面倒臭いからそうさせておけば良いということだ。

私の叔父の場合は、あまりにも頑固なので、「そうさせておけば気が済むだろう」というこちら側の諦めもややある。

それでも私は、本当にそれで良いのだろうかと迷う時がよくある。

母がデイサービスへ行きたくないと言い出すことがある。

なぜ行きたくないのかと理由を聞きながらも、腑に落ちない理由だと柔らかな言い方で「行こうよ」と説得を始める。

週に一度の運動を欠かして欲しくないのがひとつ。もうひとつは、入浴を済ませて欲しいという理由からだ。

とくにデイサービスの入浴は、私達夫婦にとっては忙しい日々を助けてくれるのでとても有難い。人ひとり、お風呂に入れるのは大仕事だ。

それでも母が行きたくないと言った時には、無理強いはしない。

母の意思を尊重する。

母のようにデイサービスに行きたくないと言う程度なら仕方がないと思うけれど、叔父のケースになるとそれで良いのか?

何度もそう思うのだ。

1️⃣でも記したように、叔父は、歩行困難となり、入院と施設でリハビリパンツの生活だったので、排泄の感覚が変わってしまったのか、尿取りパットの中で排尿してしまうことが多い。

利尿剤を飲んでいることも影響しているのかも知れないが、パットから尿が漏れてしまい、タイツ、ズボンまで濡らしてしまう。

そうなると、服に染み付いた尿が放つ異臭は部屋中に籠る。

さらには叔父自身からも放たれるので、臭いで憂鬱になるのだ。

看護、介護には付き物の排泄物の臭いだが、私は慣れることはない。

それよりも、衛生状態の悪化が一番の懸念点だ。

尿取りパットの交換回数が少なく、服や下着への尿の付着をそのまま長時間放置しておくと尿路感染症になり兼ねない。

私は、一度、頑固な父親で経験しているので、繰り返したくないという思いが強い。

尿路感染症、膀胱炎、腎盂炎になれば、また命を縮めてしまい兼ねない。

叔父にはそれとなく、「洗濯物はあります?」と訊ねてみるようにしている。

私の心の中では、「着替えませんか」と言っているのだがどうにも通じないようでもどかしい。

そこで数回言うと「ほっといてくれ!」と怒り出す。

私は、衛生面が気になって仕方がないのだが、「洗濯はない」と言われた時には、もうそれ以上は言わないようにしている。

ズボンは、尿でべったり濡れているし、本人自身も気にしているのはわかる。

そして、気にしている事を何度も言われれば、腹が立つのもよくわかる。

叔父にすれば、ズボンが濡れる状態が頻繁にあり、洗濯を頼むのは申し訳ないという気持ちもあるようだ。

夫が「これ洗いますね」と叔父の洗濯物を持って行く時には「そんな事までさせてしまって申し訳ないね」と毎回言うそうだ。

さて、衛生面で本当に気にはなるけれど、本人の意思通りにして、汚れた衣類を履かせたまま放置することが尊重するということになるのだろうかと、考えない日はない。

4️⃣ 尊重と衛生の間で

個人の気持ちを尊重する事は、最も重要だ。

だが、叔父のように衛生状態に関わる場合には、あなたの言う通りにしますとはなかなか言い切れない。言い切れないが、しかし、尊重するしかないのでそうする。

医師、看護師、介護士ならば、叔父も聞く耳を持つに違いない。

ところが家族となれば、複雑な感情が湧き起こるのだ。

この複雑な感情というのが厄介で、その正体は、プライドや意地である。

在宅介護の中で介護者にプライドや意地を張られた時、私は、沈黙してしまう。

その反面で、何としても衛生状態を安全圏までレベルアップしたいと考える。

このような時は、ケアマネジャーに相談し、医師や看護師から話してもらうしかない。

それでも聞き入れないのであれば、仕方がない。

介護は、被介護者の気持ちを尊重しながら、しかし、時には尊重する振りをしながら、その人にとって、何が最善なのかを考え、あの手この手でより良い状態へ導く作業だともいえる。

まずは、被介護者の気持ちを否定しないこと。これがその先の改善の扉を開ける秘訣だろう。私の叔父の心の扉はまだまだ重く、開きそうもないのだが、根気強く待ち、問いかけていくしかない。

写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)

神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。