2026年6月の金曜日、職場の福祉施設には、講座に参加する利用者が多数来館していた。
午前10時に講座が始まると、話術の上手な講師が30名近い参加者を笑わせ盛り上げる。
今日の講座は、椅子に座ったままできる運動だ。
このような講座が週に2回~3回実施され、高齢者は健康維持のために参加する。
参加する人たちは、健康に関する意識が高く、少しでも元気でいたいと思っている。
金曜日の講座に参加する人たちの殆どは70代以上であり、自転車で来館する人も少なくない。中には80代後半の人も自転車に乗ってくる。さすがに90代での自転車の来館者はいないが、乗っている人の話は聞いたことがある。
今の70代以上は、40年前の70代以上とは比べ物にならないほど体力があり、見た目も若々しい。
ただ、だからといって50代、60代と同様に動けるのか、思考ができるのかと言えば、個人差があるので一概にこうだと言い切ることはできない。
私のいる事務所では、よく卓球団体の人たちがゲームをしている音が聞こえてくる。
ラケットが球を跳ね返す音が連続したり、途切れたりする。若い人たちとは違い、ゆっくりなので穏やかな時間の流れをつくっている。
この団体の最高齢は、87歳、この人は自転車で来館する。活動団体のまとめ役だ。
今年の初めから卓球を再開した84歳の人は、昨年、消化器系にガンが見つかり手術をして、卓球を半年休んでいた。その後、自転車に乗らなくなり、歩行器を利用するようになったが、体力が戻り、卓球の球を追っている。
素晴らしい回復力である。
他に軽度の認知症の人も参加している。メンバーは、彼女が認知症だとわかっているとは思うが、自分だけの判断で行動してしまうと、「まただよ」と溜息をつく。
高齢者の団体で難しいのは、このような場合である。
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軽度の認知症の人や認知症の入口にいる人と距離を取っていれば、相手の認知症を冷静に認識できる。
ところが同じ団体で活動するとなるとそうはいかない。
距離が近過ぎて、様々な場面で「困った人」になってしまう。
卓球、マージャンなどの活動では、苦情が出てくることもある。
突然怒り出す、決めた事を忘れる、片付けをしないでさっさと帰るなど、これらの行動が積み重なると団体の雰囲気も悪くなり、その人ひとりを多数が排除するということが起きかねない。
私は、そんな苦情を相談される事もある。
団体のメンバーも私に話したところで解決できないのは知っているが、誰かに話さないとストレスが溜まるのだろう。
話は親身になって聞くけれど、「困りましたね」としか言えない。自分たちで立ち上げて活動している団体なので、施設運営職員が口を出すわけにはいかない。
後で「職員さんが言ったからそうした」と言われると責任が取れないので、物事を断するような言い方はしないし、する立場でもない。
本当に困ったなと思いながら、皆さんで受け入れながらやる事は難しいのでしょうか。
そう言うと、「それはわかる。でも現実的に無理なのよね」と反発される。
こうして反発されるのも仕事の内だと思っているが、排除という言葉が頭を過り、気が重くなる。
私は、団体の認知機能に問題のない人と、認知症の人と両方から相談をされる場合もあるので、心の中ではジタバタするのだ。困った、困ったと呟く。
そのときは、上長に投げて、自分以外の回答を得ることにしている。自分ひとりで抱えるには、重い内容の上、ただの平職員なので抱える必要もない。
世の中には、直ぐに解決できる事とできない事がある。
できない事は、問題が変化するまで待つしかない。
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私の勤務する福祉施設は公共施設なので、条件が合えばどなたでも利用できる。
ロビーにはテレビがあり、誰もいないときには好きな番組を観ることができる。
それが楽しみで来館する人もいる。

ソファでくつろぎながらテレビが観られる
その中でもAさんは、ほぼ毎日、テレビを観に来てくれるのだ。
ニュースを観るのが楽しみだと言う。
Aさんは、現在、生活を支援するホームに滞在している。
そのホームには、元ホームレス、生活困窮者など様々な事情を抱えた人がいる。
Aさんの事情は知らないが、そのホームの滞在者なので苦労されてきたであろうことは想像はできる。
そのホームの滞在者は50人前後はいるようだ。
入所者ではなく滞在者と呼ぶのは、原則3カ月の滞在と聞いているからだ。
ホームを運営する団体と自治体は、3カ月から半年で就労や住居の支援を行うという。
ただ、半年以上、ホームに滞在する人もいる。
ホームのスタッフではないのでその基準はわからないが、どうやらそのようなのだ。
Aさんのように会話も問題なくできて、病院も買い物へもひとりで行ける人が、半年以上ホームに滞在している場合もある。
滞在者の中には、身体的障害を持っている人もいれば、精神的障害を持っている人もいるそうだ。そのような人たちがホームのスタッフに連れられて私のいる施設に来館する。
この人たちがなぜ今、ひとりでそのホームにいるのだろうか。
私はいつも想像してしまう。その度に気が重くなる。
私の職場は、気が重くなる事が多いのだ。
ここは、社会の縁(へり)に在るので仕方のないことだが、ゴーリキーの「どん底」さながらの人生と向き合うことがままある。
講座に参加してる人たちをAさんは、ぼんやり見つめることがある。
独居高齢者を招いて行う会に届く昼食の弁当を見て、「美味しそうだね」と言う。
おそらく他意は無いが、Aさんがホームにいると知っている私は、複雑な思いでその言葉を聞く。
そんな時、Aさんたちを色眼鏡で見ている自分にふと気づき、自己嫌悪に陥ることもある。
Aさんの滞在するホームからは、これまで何人かの人が来館した。
利用者名簿に記入の際、居住区の箇所に〇を付けるのを戸惑った人がいた。
それ以来、ホーム滞在者には「お名前だけで結構です」と言うことにしている。
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世の中には、様々な人が生きている。
街の片隅にあるこの変哲のない公共施設に集まる高齢の人たちにも、悲喜こもごもの人生がある。
豪華客船で50日近い船旅をした夫婦。白内障の手術をするのに半日にするか一日か悩んでいる人。貸した戸建てから出て行かない借主を追い出したい人。物忘れが頻繁になったと嘆く人。夫婦で同じ講座に参加しているが、行き帰りは別々で館内で会話を交わすことも無いという人たち。
でもAさんは、ここでは嘆かない。天気や気温の話ばかりする。
そしてたまにこんな話もする。
渋谷のスクランブル交差点に行ったけど、人が多くてぶつかりそうになったと話すときもある。
歯科医院に行ったらインプラントを勧められ、1本20万だから3本で60万、やろうかどうしようか迷っていると言うときもある。
どのような話をしても、私は真剣に聞くことにしている。
話を聞いてくれる人がいる。
Aさんには、それこそが必要なのだ。
社会の縁。
「縁」は、「えん」「へり」とも読む。
物事は、原因が、縁(条件)に触れ、結果を導く。
私は職場で色とりどり、千差万別の結果を見つめながら、来館する人たちが更なるより良い結果へ向かうように、少しでも善い原因をつくるようにしている。
善い原因を起こせば、善い結果が導き出せる。そう信じている。
写真:橘 世理

橘 世理(たちばなせり)
神奈川県生まれ。東京農業大学短期大学部醸造科卒。職業ライター。日本動物児童文学賞優秀賞受賞。児童書、児童向け学習書の執筆。女性誌、在日外国人向けの生活雑誌の取材記事、記事広告の執筆。福祉の分野では介護士として高齢者施設に勤務。高齢者向け公共施設にて施設管理、生活相談を行なう。父親の看護・介護は38年間に及んだ。