唐揚げ専門店の出店が相次いでいる。日経クロストレンド「唐揚げ専門店がタピオカ跡地に乱立 出店急増、3つの理由」によると、コロナ禍で昨年来、急増しているという。主な要因は三つだ。
一つ目は「外食自粛と調理疲れ」。揚げ物を作る手間が省け、なおかつ安価な唐揚げは、テイクアウトに適したメニューなのだ。
二つ目は「低コスト・省スペースで出店が可能」なこと。店舗立地は駅前の一等地ではなく賃料が安いエリアでよい。
三つ目は「調理が簡単」なこと。飲食店の調理場経験がなくても、誰が作っても変わらない味に仕上がるというのだ。
たしかに、このところ唐揚げ店が増えてきたなあと感じていた。若者に大流行したタピオカ店が閉店した後に唐揚げ店がオープンしたという光景も目にしていた。コロナ禍の「勝ち組」飲食店は唐揚げ店ということなのか。唐揚げばかり食べていると体に悪いなあなどと思いながら、昨年2月、コロナの嵐が吹き荒れ始めたころにソウルに出張した時のことを思い出した。
ソウルの繁華街は、コロナの影響で人通りが減り始めていた。そのなかでとりわけ目についたのが、路面に並ぶ小さなフライドチキン店だったのだ。あまりの多さに関連記事を検索してみると、いくつか見つかった。そのなかのひとつ、2019年8月31日Business Journal『1時間で1軒廃業…韓国チキン店、大量の失業中高年の墓場化 歪んだ韓国社会の縮図』に基づいてフライドチキン店乱立の背景を解説すると以下のようになる。
過当競争の背景にあるのは、退職年齢の低さと高い失業率だ。韓国の平均退職年齢は49.4歳。退職理由は「事業不振、操業中断、休・廃業」が最多の33%。退職者のうち定年退職は7.1%にすぎない。失業率は日本の2.3%に対し韓国は4.0%。失職した中高年の多くは退職金や蓄えを投じて事業を立ち上げる。韓国はこうした事情から自営業者の割合が高く、全労働者の4人に1人の割合だ。専門的な知識やスキルを持たない人にとって手軽な新規事業は飲食店、とりわけ店舗の立地や広さをあまり問わない宅配チキンなのだ。
なるほど、会社から雇い止めにあったり、自らの事業が立ち行かなくなった人々が手軽に始められるフライドチキン店の開業になだれ込み、過当競争を引き起こしているということか。記事によると、およそ1時間に1軒のチキン店がつぶれている計算ということだった。食べる者にとっても作る者にとっても安上がりの「フライドチキン(唐揚げ)」。そこへ殺到する人々。そうした事情を知ると、ソウルの繁華街をみつめる目線が変わってきた。
あれから1年、コロナ禍が飲食店を直撃する世相は日本も韓国も同じだろう。ソウルの繁華街に所狭しと並んだフライドチキン店はいまどうなっているのだろう。そう思いつつ、日本で相次ぐ唐揚げ専門店のオープンが他人事とは思えなくなってきた。
先の日経クロストレンドの記事によると、出店ラッシュを主導するのはすかいらーくグループなど大手チェーンのようである。しかし、大手であっても個人であっても出店ラッシュの背景にあるのは、失業や廃業が相次ぐ不況下の「手軽さ」と「安さ」であろう。大手であるからこそ、個人以上に「コスト削減」をシビアにはじいているに違いない。
私はここまで考えて、もしやソウルは東京を先取りしているのではないかと思ったのだった。こう考える根拠をいくつか思いついたのである。
第二次世界大戦後の韓国は、民主主義も経済も文化芸能も、隣国日本から吸収してきた。資本主義社会の「お手本」は近くに日本しかなかったのだ。朝鮮戦争の特需で一足早く戦後復興した日本の背中をおいかけてきたといえるだろう。
私が政治記者になる直前、1998年10月の金大中大統領の訪日と2002年のサッカーW杯の日韓共催は、両国の関係が対等になりつつあることを実感させる歴史的転換期だった。その後、韓流ドラマ「冬のソナタ」の日本での大ヒットにはじまる大衆文化面での「対等化」が日本国内の「嫌韓感情」を呼び覚ました面もあろう。しかし、民主主義でも経済でも文化芸能でも韓国の成長はめざましく、日韓共催のW杯以降、内向きで低迷が続く日本は様々な分野で追い抜かれつつあるということを、私は「論座」の編集者としてこの3年間、多くの筆者の原稿を読んでいるうちに感じていたのだった。
例えば、外国人労働問題。大阪在住の岩城あすかさんが執筆した『韓国は外国人に門戸を開いた」は、当初日本の外国人労働政策を手本にしていた韓国がリベラル政権下で急速に外国人労働者の人権を手厚く保護する政策を加速させ、今では東南アジアなどから「日本よりも働きやすい国」との評価を得ている実情を描いた傑作だ。
例えば、芸能界。朝日新聞編集委員の市川速水記者が執筆した『パラサイト、BTS…古家正亨が語る「世界の韓流」』は、韓国芸能界が日本をしのぐ勢いで世界に羽ばたいていった経緯をわかりやすく示している。MeToo運動も韓国の方が劇的な広がりを見せたのだった。
そして、コロナ禍。デジタル化に出遅れ、検査・医療体制がいっこうに整わない日本に対し、韓国の初動対応の迅速さは広く世界で報道されたとおりである。
コロナ禍の最中の昨夏には、ニューヨーク・タイムズが香港にあるアジア拠点を東京ではなくソウルに移すという衝撃のニュースもあった。東京が除外されたのは「報道の自由がない」という理由だった。
かつて日本社会で起きたことがしばらく時間をおいて韓国で起きた。いまやそれが逆回転しはじめたのかもしれない。私は昨年2月、5年ぶりに訪れたソウルの街並みや街ゆく人々のファッションが以前よりはるかに洗練されたなあと感じつつ、そんな考えを張り巡らせた。
振り返ると、韓国メディアへの弾圧を追う映画「共犯者たち」の舞台となった李明博政権(2008〜2013年)当時、私は「対岸の火事」と思っていたが、昨年2月にソウルを訪れた時に交流した韓国の記者たちは文在寅政権下で自由闊達に報道・言論活動をしており、安倍政権下で忖度・萎縮が蔓延る日本メディアはいつしか「報道の自由度」で追い抜かれたことを肌で感じたのだった。
あれから1年、ソウルを後追いするかのように東京で始まった唐揚げ店ラッシュがどうも気になるのである。