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新聞記者やめます。あと74日!【特別報道部で活躍した「他社からの移籍組」】

埋もれた事実を掘り起こす調査報道に専従してきた特別報道部がこの3月末、廃止される。この特別報道部には週刊文春出身の松田史朗記者が持ち込んだ「文春砲」のDNAが深く刻まれていたという歴史をこの連載で紹介したところ、たいへん多くの反響をいただいた(下記記事)。

特別報道部の15年の歴史では、松田記者ばかりではなく、他社から移籍してきた記者たちが実に多く活躍した。特別報道部の実績は他社からの移籍組が築いてきたといっても過言ではない。きょうはその一端を紹介したい。

代表格は、高知新聞のエース記者だった依光隆明記者だ。当時の社長自ら三顧の礼で迎えた大物ジャーナリストである。

依光さんは私の新聞社に移籍した後、その官僚体質、内向き体質に直面し、ずいぶんと戸惑われたようだ。ほどなく特別報道センター(特別報道部の前身)のトップに起用されたものの、調査報道でどんなに記事を仕込んでも、十分な紙面を与えてもらえなかった。政治部、経済部、社会部など主要部の記事を抑えて一面トップを取るには、官僚会社特有の「社内根回し」が不可欠だったのだ。

依光さんは腐らなかった。1面がだめなら3面。彼は各部の記事が混在する3面の端に細長いスペースでいいから毎日紙面を確保して欲しいと上層部に直談判し、それを勝ち取った。そのスペースで始めたのが、福島原発事故の爪痕をルポする長期連載「プロメテウスの罠」である。

この連載は大反響を呼び、2012年度新聞協会賞を受賞。2011年10月〜2016年3月まで続く新聞では異例の超長期連載となった。私も依光さんと机を並べさせていただいたが、朗らかな人柄と決してあきらめないしぶとさは、記者のかがみである。依光さんを慕う新聞記者は、社内外に数えきれない。

特別報道部が2014年、政府が非公開にしてきた原発事故をめぐる「吉田調書」を入手してスクープした記事を、新聞社が安倍政権や東京電力を支持する勢力などの反撃を受けて「間違った印象を与える表現だった」として取り消したうえ、捏造などの不正があったわけではないのに取材記者を処分したことに対し、誰よりも激しく怒り、会社の上層部に抗議したのは依光さんであった。依光さんはその後、東京を離れ、今は長野県の諏訪支局にいる。

依光さんとともに長期連載「プロメテウスの罠」を仕切り、新聞協会賞を共同受賞したのが宮崎知己記者だ。宮崎さんは銀行員から転職してきた。とても正義感の強い経済記者で、週刊文春出身の松田記者同様、私とは特別報道部発足以来の仲間である。彼は「吉田調書」をスクープした取材記者二人のうちの一人であった。「吉田調書」報道のデスクを務めた私は当時、管理職として結果責任を負うべき立場にあった私自身はともかく、一線の取材記者を処分することは絶対にやめるべきだと強く会社に訴えたが、聞き入れられず、宮崎さんは私と同様に会社から処分され、ネット上でともに「捏造記者」「売国奴」などと激しくバッシングされた。私より数年早く新聞社を去った。

私が取材班代表として2013年度新聞協会賞を受賞した「手抜き除染」報道の中核を担ったのが、北海道新聞から移籍してきた青木美希記者である。青木さんは北海道新聞時代にも北海道警の裏金問題取材班で新聞協会賞を受賞。私の新聞社に移籍した後は原発事故直後から福島に地道に通い、避難者らに幅広いネットワークを築いた。フットワークが軽く、原発調査報道に情熱を燃やす記者なのだが、一年前に記者職を突然外され、いまは記事審査室にいる。それでも自力で原発や避難者の取材を続けているようだ。

日本テレビから移籍してきた渡辺周記者は特別報道部で製薬会社から医師への資金提供問題や高野山真言宗の資金運用問題の調査報道を手がけた。私はそれらのデスクを務めたが、彼は馬力がある一方、心優しい記者だった。「吉田調書」問題後ほどなく新聞社を去り、ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」を設立。「吉田調書」報道取り消しの経緯に迫る調査報道記事を自ら執筆した。あの問題の渦中にいた当事者として興味深く拝読させて頂いた。私は取材を受けていないが、よく出来た記事だと思った。

読売新聞社会部のエースだった市田隆記者は、私の新聞社に移籍したこと自体が話題を呼んだ実力派ベテラン記者である。私は検察や警察と一体化する社会部の事件報道に極めて懐疑的だが、市田さんの深く手堅い取材・報道姿勢には敬服している。政治部では決して垣間見ることのできない調査報道の深層をみせていただいた。読売と朝日の社風を比較検証する市田さんの話も興味深かった。市田さんらが東京電力、関西電力、中部電力、九州電力などの幅広い原発利権を10年にわたって取材してきた成果であるキャンペーン「原発利権を追う」にデスクとしてかかわれたことは、私の特別報道部時代の大きなよろこびである。現在も編集委員としてご活躍だ。

忘れてはならないのは、下野新聞から移籍してきた板橋洋佳記者。大阪地検特捜部の検事による証拠品改竄事件をスクープし新聞協会省を受賞した名物記者である。特別報道部では原発利権からインドネシアにおける慰安婦問題まで様々な調査報道で助けてもらった。どんなにやっかいな取材テーマでも「板橋記者がいたら大丈夫」という安心感を与えてくれる調査報道記者だ。苦労人らしく至る所に気を配る「人たらし」である。現在は社会部で活躍中。新聞ジャーナリズムを取り巻く現況をきっと冷静な目で分析していることだろう。

特別報道部はまさに混成部隊であった。政治部から経済部から社会部から文化部から科学部から地方支局からそして他社から記者が集まり、組織の垣根はなく、年功序列もなく、ノルマもなく、ただひたすらに埋もれた事実を掘り起こすことに専念する記者集団であった。さまざまな記者文化が交わり、さまざまな化学反応が起きた。特別報道部がなければ、来る日も来る日も顔を合わせて一緒に同じネタを掘り下げることなどおそらくなかったであろう記者と記者のつながりが、そこからたくさん生まれた。

安倍政権下の「吉田調書」報道取り消しを契機に新聞ジャーナリズムが萎縮し、この春、ついに特別報道部は消滅するが、そこに在籍した記者たちの胸の中から、埋もれた事実を探して地面を掘り続けた仲間たちとの日々は決して消えることはないだろう。それが明日への希望である。

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