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新聞記者やめます。あと75日!【人の原稿には手を入れるな!デスクの極意とは?】

人の原稿に手を入れるようになって、かれこれ10年になる。思いの詰まった文章を書き換えるなんて、なんと失礼な所業を重ねてきたことか。

39歳で政治部デスクになったときは、とにかく手を入れまくった。各記者クラブのキャップから原稿が送られてくると、ざっと目を通して気に食わなければ、一行目から改行を入れ、全文を書き直した。自分が納得しない内容は一言一句たりとも紙面に載せないと躍起になっていた。デスクの権限をフルに使い、徹底的に書き換えた。

朝刊早版の原稿締め切りは午後9時がギリギリ。政治部の出稿はその間際まで待ってもらえた。私は原稿をとりまとめるキャップたちに午後8時までにデスクに出せばいいと伝えていた。大きな政治ニュースがあって多面展開が必要な日でも、1時間あれば1面、2面、3面の原稿をすべて完成させる自信はあった。気力体力とも充実している年代であったし、何でも一手に引き受けることが楽しくもあった。

早版の降版後、最終版にむけてひとりパソコンに向かい記事をバージョンアップさせるのがまた楽しかった。記事の細部まで一言一句にこだわった。文章をこねくりまわした。紙面に載った記事の末尾には政治部の部下たちの署名がついていたが、もはや元原稿は跡形もなく、それはどうみてもデスクである私の原稿であった。

政治部デスクの2年近くはそんな毎日だった。

49歳になって退職届を出す直近の3年、私は言論サイト「論座」の編集者を務めた。この間、社内外の筆者およそ100人の原稿を編集してきた。平均すると数千字の原稿を毎日1〜2本は出稿してきた。土日もそのペースだ。分野も政治、国際、経済、社会などまちまちで、専門的な内容も多い。

着任当初はやはり原稿に手を入れていた。だが、部下の原稿を勝手に書き直していた政治部デスク時代と違って、筆者の大半は社外の方々だ。手を入れるにあたっては丁寧なやりとりが必要である。もちろん、最初から手の入れようのない完璧な原稿を送ってくる筆者もいる。だが、文章構成がすこしいびつだったり、論旨があいまいだったりする原稿も少なくなかった。これは正直、気力体力を消耗した。このペースで仕事を続けていたらとても体が持たないと思った。

私はそこで基本方針を大転換した。筆者の原稿には原則として手を入れないことにしたのである(掲載の水準に達していないと判断した場合はいちから書き直していただいた)。もちろん事実関係など最低限の内容はチェックする。人権上好ましくない表現にはとりわけ気を遣う。そうしたネガティブチェックをする校閲に徹し、より読みやすい文章、より魅力的な表現をめざすデスクワークをやめたのだ。

編集者である私が「ちょっと文章表現に違和感があるな」「もっとこうしたら迫力ある文章になるのに」と感じた部分について、すべて目をつぶることにしたのである。

その結果はどうだったか。記事の読まれ具合(ページビューなど)は減るどころか、増えたのだ。さらに、私の原稿処理の速度は格段にあがり、より多くの原稿をさばけるようになった。仕事の質も量も格段にアップしたのである。

筆者たちも大満足のようだった。時折、自分が書いた原稿が出稿してほとんど時間がたたないうちに、しかもそのままのかたちで掲載されるので「ほんとうにこれで大丈夫ですか」と心配になる方もいた。私は「必要なチェックはしているので大丈夫です」と答えた。そのうちに筆者たちが送ってくる原稿のレベルが向上したように感じた。「あの編集者はそのまま載せる」と思うと、より慎重に、より細部まで神経を張り巡らせて原稿を書くようになったに違いない。

私はこれまで他人の原稿にバサバサと手を入れて、いったい何をしてきたのだろう。多大な労力と時間を割いたわりに、どの程度効果があったのだろう。多少の効果があったとしても、それは自己満足程度だったのではないか。いや、もしかしたら、むしろ元原稿の魅力を削いでいたのではないか。

私は大いに反省した。読者は私の見立て、私の筆致、私の個性一色で染まったサイトなど望んでいない。さまざまな色彩の、さまざまなタッチの記事を求めている。文章表現もまちまちでいい。ちょっと乱暴なもの、感情的なもの、冗長なものもあっていい。いろんな個性が溢れる多様性こそが魅力なのだ。紙幅に制限のないネットサイトはとくにそうだ。

私は「型」にはめすぎていた。記事とはこういうものだという思い込みがあった。これは新聞記者の弱点であろう。新聞記事のような文章表現が唯一の道であると錯覚していた。多様性が大事といいつつ、自らのデスクワークは画一的だったのだ。

新聞記事は実に多くの人の目が通り、手が入り、そのうえで掲載されている。私の新聞社の政治部でいうと、たくさんの記者が書いた取材メモをもとにキャップやサブキャップが原稿をとりまとめ、国会記者会館に陣取る政府統括デスク(官邸長)と政党・国会統括デスク(政党長)が原稿を完成させて出稿し、本社にいる内勤デスクが最終チェックし、編集センター(かつての整理部)が見出しをつけてレイアウトし、校閲記者が点検し、ゲラが編集局各部にばら撒かれ、編集局長室の当番編集長が最終的に記事の可否を判断してきた。

幾重にも重なるハードルが記事の「暴走」を防ぐことは確かにある。しかしその過程で様々な人が介入し、少しでも問題になりそうな部分、誰かからクレームがきそうな部分は削られ、記事は淡白に、無機質に書き換えられていく。多くの人がかかわるほど「事なかれ主義」が記事全体を支配していく。巨大新聞の宿命だ。

世の中に新聞しかない時代はそうした歯止めは不可欠だった。しかし今や新聞だけを読んで世の中を知る人はいない。私たちは情報が溢れる世の中にいる。人々はそれをクロスチェックしながら物事を判断している。新聞記事はそのなかのひとつに過ぎない。

それでもなお新聞社は「新聞さえ読めば世界がわかる」という姿勢を維持し、幅広い多くの読者、実在しないであろう「一般的な読者」に受け入れられる「画一的な記事」を量産している。

これが新聞凋落の一因かもしれない。誰もが自由に手軽に発信できる時代に、新聞は自分たちの世界に閉じこもって、「社会の木鐸」を気取り、ひとり「新聞の流儀」を読者に押し付けてきたのではないか。個性あふれる多様な情報が国境や言語の垣根を越えて瞬時に世界を駆け巡るこのデジタル時代において、「新聞」がちっぽけな存在になったことに無頓着すぎたのではないか。「新聞が世の中のスタンダード」と傲慢になっていたのではないか。それを象徴しているのが、新聞の「画一的な文章」の押し付けなのだろう。

私は「論座」の編集者の仕事を通じて文章とは何かを再発見した。この3年間、自ら執筆することはほとんどなかった。ひたすら社外筆者たちから送られてくる多種多様な原稿を読み、事実関係を校閲して、文章にはほとんど手を入れず、そのまま出稿した。それらは実に個性的であった。筆者が意見を求めてくるときは丁寧に応じ、筆者たちの意向を最大限尊重した。そしてその原稿の魅力はどこにあるかをじっくり感じ取り、それを端的なタイトルと写真で表現することに全集中した。

ことし2月、私は退職届を出し、3月から「論座」の日常業務を離れた。そしてホームページを立ち上げ、久しぶりに自分で長文を毎日執筆して、自分で出稿している。

先日、この連載を楽しみにしてくれている先輩から「君、いつから原稿、上手になったの?」と言われた。お世辞かもしれないが、本当だとしたら、ひとえに「論座」の社外筆者たちのおかげである。私はこの3年間、実に多様な筆者陣の原稿をそのまま素通しし、たくさんのエッセンスをひそかに吸収したのだった。この場を借りて、感謝もうしあげたい。

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