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新聞記者やめます。あと85日!【「分業」で楽をしてきた新聞記者たち】

私の所属新聞社には4000人以上の社員がいる。約半数が新聞記者だ。残る社員は販売や広告の営業、印刷、総務や管理など。数百万部を発行する新聞社はそうした「分業」で成り立っている。

新聞記者の仕事も分業だ。

東京本社には政治部、経済部、社会部、国際報道部、文化部、科学部といった出稿部があり、専門分野を取材している(政権取材の現場で「縄張り」がぶつかることもある)。現場記者が書いた原稿は各部デスク(次長)がチェックし出稿する。部長は全体の統括だ。

原稿に見出しをつけ、各面に割り振り、レイアウトするのが編集センター(かつては整理部とよばれた)。日本各地の地方取材網は各県版の取材をし、大きなニュースが発生すれば全国版に出稿する。世界の主要都市には特派員もいる。

そうした分業体制を統括するのが編集局長室だ。きょうの一面トップをどうするかといった大きな編集方針にくわえ、取材・報道の危機管理や人事など全般を管理統制している。

数百万部の新聞を毎日発行して各戸に届けるには、こうした分業は必要不可欠だし、効率的だった。日本の新聞業を成長させたのは分業体制であったのは間違いない。このビジネスモデルは大成功を収め、新聞社の規模を拡大して新聞記者の「高給」を支えた。

それを打ち壊したのが、AIの発展によるデジタル時代の到来だ。

いまやテレビ新聞でなくても、誰もが手軽にタダで情報を発信できる。知名度や拡散力さえあれば、個人が極めて多くの人に情報を届けることも可能だ。大手新聞の全国版記事よりも、望月衣塑子記者のツイートを読む人のほうが多いかもしれない時代になった。

さらにAIの飛躍的発展が新聞社を取り巻く環境を激変させた。

例えば、特派員。特派員をひとり配置するにはあたり年間数千万円はかかるといわれる。だが、特派員が撮った写真を見なくても、ネット上には世界各地の動画が溢れかえる。パソコンやスマホを開ければクーデターで揺れるミャンマーの今を臨場感を持って感じることができる。上手に検索すれば、世界の情報を瞬時にタダで入手できるのだ。

翻訳精度も飛躍的に向上した。特派員が訳した外電を読まなくてもCNNやBBCの記事は日本語で瞬時に手軽に読める。語学力を売りにした「国際報道」という専門領域に今やさほどの意味はない。

紙面編集や制作部門も同じである。私は新聞社を去って自分自身が「小さなメディア」になろうと決意し、自力でホームページを開設した。パソコンは大の苦手でさすがに苦労した。とはいっても数週間で完成した。かかった費用は2〜3万円ほど。ホームページを訪れてくれる人はまだまだ少ないが、技術的にはひとりで十分にやっていけると確信した。

分業体制は今や非効率だ。AIの力を借りれば、ひとりで大概のことはできる。それがデジタル時代の最大の特徴なのだ。

そうした時代に巨大新聞社が大勢の社員を抱える分業体制を維持したら、経営が成り立つはずがない。なにしろ、ネット上には情報が溢れかえっている。玉石混交とはいえ、上手に検索すれば、有用な情報をいくらでもタダで入手できる。供給過多の時代なのだ。図体の大きい新聞社が現状の社内分業体制を続ければ、小回りのきく個人やベンチャーとの価格競争に敗れ、限られたパイを次々に奪われていくのは目に見えている。

潮目は変わった。新聞記者は取材から執筆、撮影、編集、拡散、広報、営業、サイト運営まで、ひとりで完結できなければ通用しない時代になった。情報がとれるだけでは、文章がうまいだけでは、太刀打ちできない。すべてを合算した総合力が「記者力」なのである。

私が新聞社を退職する人事が社内で発表された後、たくさんの後輩たちから連絡をいただいた。みんなこれからの新聞記者人生に不安を抱いていた。自分がどこへ向かって歩んでいけばよいのか、まったく見通せないと苦悩していた。私は彼らの以上のような話をした。

なんでもやる。ひとりでやる。それがデジタル時代に「サラリーマン記者」から自立する第一歩である。そして会社に依存せず自立した記者たちが組織や地域、言語の垣根を越えて緩やかなネットワークを形成し、取材テーマごとに連携していく。ジャーナリズム界が大きく変貌する日はもう目の前だ。

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