憲法改正手続きを定める国民投票法の改正案は、自民党と立憲民主党が修正に合意し、5月11日に衆院を通過した。この合意を主導したのは自民の森山裕・国会対策委員長と立憲の安住淳・国会対策委員長である。共産党は改正案に反対し、野党共闘を求める野党支持者からは安住氏への批判の声があがっている。
与野党が激突する総選挙を半年以内に控えたこの時期に、憲法改正の発議にからむ大問題について与野党が合意するというのは、良くも悪くも「国対政治」と結果といえるだろう。きょうはこの問題を深掘りしてみる。
まずは自民党の思惑。憲法改正の発議には国会の3分の2以上の賛成が必要だ。与党単独では難しく、現実的には野党の一部が賛成に転じなければ不可能である。その機運を残すためには、国民投票法案を強行採決して禍根を残すのは望ましくない。法案修正で譲歩して野党の合意を得ておくことは、将来の改憲発議への重要な布石となるーーこれが表向きの理由である。
だが、上記の解説はあまりに教科書的だ。今回の法案で野党の合意を得ても実際の改憲発議に野党が賛成するとは限らないし、今回強行採決しても改憲発議で賛成に転じる野党議員は現れるであろう。こうした「教科書的な解説」をもっともらしく流す政治記事は落第点である。
自民党の本音は、今年秋までに行われる総選挙に向けて立憲民主党と共産党を分断することだ。小選挙区で「野党が一本化」すると手強い。「野党分断」こそ自民党の政権維持の最も効果的な戦略なのである。共産党が改憲に賛成するはずはなく、自民党にとって「憲法」はつねに「野党分断」の格好の材料となる。
こう解説する政治記事は、いちおう合格点である。だが「満点」ではない。「自民党の本音」としてはこれで良いのだが、それとは別に、今回の合意は「自民党の森山国対委員長の本音」抜きには解説しきれないからだ。「自民党の本音」と「国対委員長の本音」は必ずしも一致しないところに「国対政治」の奥深さがある。
では、「森山国対委員長の本音」とは何か。その前に、立憲民主党側の事情を解説しよう。
立憲の枝野幸男代表は国民投票法に強い思い入れがある。枝野氏は弁護士出身の政策通として若くから頭角を現し、国会の憲法論議に野党の立場からかかわってきた「憲法族」である。国民投票法が成立した2007年には民主党を代表して自民党との折衝にあたった。私は当時、政治部で「枝野番記者」として国民投票法案の行方を取材していた。
当時は第一次安倍政権であったが、自民党はまだ「安倍色」に染まっておらず、自民党の「憲法族」として野党との折衝にあたった中山太郎氏や船田元氏らは野党との信頼関係を重視しており、枝野氏を極めて高く評価していた。民主党内の政治基盤が必ずしも強くなかった枝野氏にとって「憲法」は自民党との数少ない重要な「接点」であった。
その後、中山氏は政界引退し、船田氏も右旋回を強める自民党のなかで居場所を失った。いまや自民党の「憲法族」は新藤義孝氏をはじめ「安倍色」が極めて濃い。野党との信頼関係はすっかり途切れてしまった。
そうした政治情勢のなかで、国家の根幹をなす憲法の問題はできるかぎり与野党合意のもとで進めるべきであるという立憲の主張は、一定の説得力はあるものの、これもまた教科書的である。
枝野氏はかねてから「左派」の印象が強く、政権交代可能な二大政党の一翼を担う野党第一党の党首として「左派色」を払拭することに腐心してきた。台湾重視の姿勢を強調し反中感情に訴えることもあった。共産党との選挙協力を進めながらも政権構想をともにすることには一貫として及び腰である。そんな彼にとって改憲論議は「左派色」を薄めるひとつの有力な政治ツールなのである。私は枝野氏を「改憲派」とは思わないが、「改憲論議派」と呼ぶことはできるであろう。
枝野氏が「改憲論議」に込める政治的思惑から「自民・立憲合意」を解説する政治記事はさほど多くない。少なくともこのくらいは指摘してほしいものだ。それでもまだ「満点」ではない。今回の合意を読み解くには、これを主導した安住国対委員長の視点が不可欠だからである。
今の「野党国対」を牛耳っているのは、枝野代表でも福山哲郎幹事長でもなく、安住国対委員長なのだ。
安住氏はNHK記者出身の政治家である。小選挙区制が導入された1996年総選挙に民主党公認として衆院宮城5区から出馬し初当選した。小渕恵三元首相や森喜朗元首相が所属した早大雄弁会のOBで、自民党を担当したNHK政治部時代から国会議員に知り合いが多く、キャリア官僚からの転身組や松下政経塾出身の「頭でっかち」のエリートが目立つ民主党では、当初から「国対=自民党との交渉」ができる数少ない議員のひとりであった。
民主党の96年初当選組で最初に脚光を集めたのは、東大→財務省のエリートコースから政界に転じた衆院愛知2区の古川元久氏だった。安住氏と古川氏はともに前原誠司氏や枝野氏ら政策通が集まるグループに所属し、ライバル視されていた。当初は古川氏の方が政策通として注目されていたが、私は交渉事に手慣れた安住氏の方がそのうち頭角を現すとみていた。案の定、民主党政権下で菅直人氏や野田佳彦氏の後を継いで財務大臣の座を手に入れたのは安住氏であった。財務省出身の古川氏はずいぶん悔しかったのではないかと推察する。古川氏が、安住氏が幅を利かせる立憲民主党に合流せず、小所帯になった国民民主党に「国対委員長」として身を置いているのは、安住氏への対抗心が大きいと私は踏んでいる。
安住氏に話を戻そう。安住氏が立憲民主党内で主導権を握る力の源泉は「国対政治=自民党との交渉」なのである。国対政治をこなすライバルが野党に少ないから重宝され続けているのだ。もし仮に野党が「国対政治」と決別し「選挙一本勝負」に踏み切るとしたら、安住氏の存在価値は大きく低下するだろう。安住氏が政界で影響力を維持するためには「国対」を舞台に政治が動くことが必要なのだ。
これは自民党の森山裕国対委員長も同じである。森山氏は石原派という弱小派閥に属する。彼が自民党内で重宝されているのは「国対族」として、菅義偉首相や二階俊博幹事長の信頼を得ているからだ、菅氏や二階氏が単に数の力で強行採決を繰り返す「与野党激突」の国会運営を目指すのなら、野党との交渉を重ねる森山氏を国対委員長に起用する必要はない。「野党との裏交渉」を期待して起用しているのである。そこに、森山氏の政治力の源泉がある。
では、菅氏や二階氏はなぜ「野党との裏交渉」を望むのか。それは彼らにとっての最大のライバルは野党ではないからだ。菅氏も二階氏も次の総選挙で野党に過半数を奪われるとは想像だにしていない。自分たちが権力の座から引きずり降ろされるとすれば、自民党内の権力闘争に敗れた時だと考えている。彼らの「真の政敵」は野党ではない。自民党内にいるのだ。
菅・二階連合が最も恐れるのは、総選挙前に「菅・二階では勝てない」という声が自民党内から噴出すること、あるいは総選挙後に「菅・二階で議席を減らした」と自民党内から突き上げられること。その結果として、9月に予定される自民党総裁選に敗れることを最も警戒しているのである。
そうした「菅降ろし」「二階外し」を主導するとしたら、それは安倍晋三前首相と麻生太郎副総理だ。彼らが本気で菅・二階連合を引きずり下ろしにきたら、それに対抗するほどの党内基盤を菅氏も二階氏も持ち合わせていない。だからこそ、安倍・麻生連合が「菅降ろし」「二階外し」に動かないように牽制するためのカードが「野党」なのである。
野党は安倍氏と麻生氏を強く批判してきた。安倍氏や麻生氏も野党との接点はほとんどない。つまり、野党と安倍・麻生連合が手を握る可能性はゼロに等しいのだ。一方、二階氏は数多くの政党を渡り歩き、野党人脈も幅広い。菅氏も二階氏ほどでないにしても官房長官時代から野党人脈を掘り起こし、細野豪志氏らを与党サイドに引きずり込むのに一役買った。安倍・麻生連合に自民党内の「数」では及ばない彼らにとって「いざとなれば野党と組む」という気配を漂わすのは、自民党内の権力闘争を生き抜く秘訣なのだ。だからこそ「野党との窓口」として森山氏を重宝してきた。そして「野党側の窓口」が、安住氏なのだ。
菅首相、二階幹事長、森山国対委員長は自民党内の権力闘争を有利に運ぶために「野党との連携」を使っている。安住国対委員長は立憲民主党内での政治基盤を維持するために「自民党との連携」を使っているーー。ここまで解説して、はじめて今回の国民投票法案の合意を読み解いたといえる。
この4者が共有する政局観は①次の総選挙で政権交代が実現することはあり得ない②仮に大きな政変が起きるとすれば、安倍・麻生連合と菅・二階連合が激突し、自民党が内部分裂して菅・二階連合と立憲民主党が連立する政界再編である③そうした政界再編の実現性はあまり大きくないにしても、その機運を漂わすことは、この4者がそれぞれの党内基盤を強化するために十分に役立つーーということである。
ここまで読み解くと、次の総選挙で野党共闘による政権交代を期待する野党支持者が安住氏への批判を強めるのは当然であることがわかるだろう。「与野党激突の選挙による政権交代」をあくまでも目指す立場と、「与野党の政界再編による政権入り」に期待する立場の溝が埋まるわけがない。
「与野党激突の総選挙による政権交代」を追求する者にとって共産党との共闘は不可欠だ。他方、「与党との大連立などの政界再編による政権入り」を目論む者にとって共産党はむしろ足かせになる。優先するのは「選挙」か「国対」か。改憲手続きを定める国民投票法への姿勢は、野党政治家の本音を浮き彫りにする。
「選挙」を重視するか、「国対」を重視するか。これは昔から政界で論争されてきた大きなテーマである。さいごに、自民党最大派閥だった経世会(竹下派)を長く取材してきた政治部の先輩から私が聞いた「秘話」を披露しよう。
かつて自民党で権勢を誇った竹下派には「七奉行」と呼ばれる実力者がいた。小渕恵三、梶山静六、橋本龍太郎、小沢一郎、羽田孜、渡部恒三、奥田敬和の7氏である。派閥会長の竹下登は七奉行を競わせて自らの立場を安泰にした。人事を駆使した「競わせ方」は絶妙だった。なかでも実力者であった小沢と梶山を巧みに競わせた。小沢には「選挙対策」ばかりやらせて「国会対策」をやらせず、梶山には「国会対策」ばかりやらせて「選挙対策」をやらせなかった。この結果、小沢は選挙に極めて強くなったが国対に苦手意識を抱き、梶山は国対に極めて強くなったが選挙に苦手意識を抱いた。のちに小沢は自民党を飛び出して「与野党激突の選挙で政権奪取」を目指し、梶山は自民党内にとどまりつつ「国対で野党を巻き込んだ政界再編」を画策することになった。
竹下氏の「分割統治」がその後の日本政界に大きく影響したという逸話である。政治家は思想信条というよりも自分の得意分野で勝負したくなるものだ。小沢氏や梶山氏の政治闘争の歴史も竹下氏の人事によってそのレールを敷かれたといえるかもしれない。
この「逸話」にはさらにオチがある。続けよう。
ところが、竹下登が経世会で一人だけ、選挙と国対の両方の経験を若くから積ませた政治家がいる。それは七奉行ではなかった。七奉行の次世代の政治家であった。その人物とは、中村喜四郎である。小沢一郎は中村喜四郎に嫉妬した。竹下が後継者として想定しているのは自分(小沢)ではなく、梶山でもなく、七奉行の誰でもなく、実は中村喜四郎ではないか。七奉行は全員飛ばされるのではないかーー。そう疑心暗鬼になったのだ。小沢に続く若手ホープとして脚光を集めていた中村喜四郎が若くしてゼネコン汚職事件で東京地検特捜部に逮捕され失脚した背景には、小沢が彼に抱いた警戒感がある。
ここまでくると政界は奥深いと思う。政治部の先輩は「小沢一郎氏が中村喜四郎氏に抱いた警戒感」がどういうプロセスを経て「中村喜四郎氏の逮捕・失脚」に発展したかについて多くを語らなかった。だが、二人の間に大きな確執があったのは事実であろう。
その恩讐を乗り越え、かつて自民党政権のど真ん中にいた二人がいま、立憲民主党に所属し、梶山静六氏を師と仰ぐ菅義偉首相を倒すため、共産党との連携を強く主張して「選挙による政権交代」をともに目指している。プロの政治記者としては感慨深い。