菅義偉首相が支持率回復の願いを込めて臨んだ日米首脳会談。バイデン大統領に面と向かって今夏の東京五輪開催への決意を告げたことで、コロナ禍での五輪開催は引くに引けない国際公約となった。感染拡大のリスクを抱えつつ国際社会の冷ややかな視線を浴びながら強行開催するのか、土壇場で開催断念に追い込まれるのか。いずれにしろ、菅政権は東京五輪と運命共同体になった。
北朝鮮は東京五輪不参加を表明した。欧米諸国は不参加を決めないとしても、それぞれのアスリートが個人の意思で参加を見合わせる動きも出てくるだろう。一方、北京冬季五輪を来年2月に控える中国は「五輪開催」では日本と利害が重なる。永田町からは「東京五輪を強行開催しても東京に集まるのは中韓などのアスリートがほとんどで『アジア大会』の様相になる」「日中韓だけでメダルを争い、それでメダルラッシュになっても、世論は盛り上がるだろうか」という懸念も漏れ伝わってくる。
日米首脳の共同記者会見で印象的だったのは、バイデン大統領が東京五輪についてまったく触れなかったことだ。共同声明も「バイデン大統領は、今夏、安心・安全な大会を開催するための菅総理の努力を支持する」との表現にとどまった。東京五輪開催への「努力」は受け止めるが、開催自体を「支持」したわけではないというメッセージであろう。バイデン大統領は東京五輪について「安全に開催できるかどうか科学に基づいて判断されるべきだ」との考えをすでに表明しており、コロナの検査・医療体制の整備が一向に進まず、ワクチン接種にも大きく出遅れている日本への不信感があるのは想像にかたくない。
バイデン大統領が日米首脳会談で最も重視したのは、米中の覇権争いが本格化するなかで日本を「中国包囲網」に引きずり込むことだった。菅首相の訪米前には「北京五輪の共同ボイコット案」も米政権内から浮上した。東京五輪と北京五輪で「日中が連携」する構図は、バイデン大統領には面白くない。菅政権が運命共同体となった東京五輪は、バイデン政権には「お荷物」でしかないのだ。日米首脳会談で支持率を回復させ、東京五輪でさらに上昇させて自民党総裁選や解散総選挙を乗り越える菅首相の戦略に潜む構造的な矛盾がそこに見てとれる。
さて、政権の言い分を垂れ流すことにすっかり慣れてしまった日本マスコミ(さらに東京五輪スポンサーに名を連ねる大手マスコミ)が、日米首脳会談の裏で繰り広げられた「東京五輪」を巡る駆け引きを的確に報じることができるか、今後の報道に注目したい。
報道各社はワシントンに特派員を配置し、米国発のニュースを伝えているが、私の知る限り、海外メディアの報道を和訳して出稿したり、在米日本大使館の外交官に依存して情報収集・分析したり、オンライン時代ならワシントンにいなくても十分務まるような仕事ぶりの特派員は少なくない。そのなかで、自前のルートを構築して本来の特派員らしい働きをしている同僚二人をきょうは紹介したい。
ひとりは尾形聡彦記者。現在はサンフランシスコ駐在の特派員だが、かつてはワシントン特派員として活躍した。ホワイトハウスに独自ルートを築いた数少ない日本人記者の一人だ。
私が政治部デスクや特別報道部デスクを務めた頃、尾形記者は経済部デスクや国際報道部デスクを務め、東京本社で日々の紙面方針を議論するデスク会でよく一緒になった。多くのデスクは自らが出稿する記事以外には口を閉ざすが、尾形さんと私は自分が直接関係しない記事を含め紙面全体についてビシバシと意見していた。「あの当時のデスク会は議論が活発だった。いまは単なる事務連絡のようなデスク会になった」と今でもよく言われる。
私がいま、米国で起きていることを判断するための重要な材料にしているのが尾形記者のツイートだ。特派員としての日々の取材・執筆をこなしながら、リアルタイムで興味深いツイートを数多く発信していて、とても参考になる。今回の日米首脳会談を巡るいくつかのツイートも素早く的確だった。ぜひ参考にしてほしい。以下のツイートもなかなか辛口だ。
もうひとりはワシントン特派員の園田耕司記者。今回の日米首脳会談についても数多くの記事を執筆している。
園田記者は政治部の後輩である。私が麻生政権下で平河クラブ(与党担当)サブキャップをしていたとき、彼は当時の大島理森国対委員長の番記者として政局全体の流れを見事につかんでいた。ワシントン特派員に赴任してからは、私が編集者を務めた「論座」で長期連載『アメリカ・ファーストートランプの外交安保ー』に取り組んでくれた。トランプ政権を多面的に描いた力作である。「論座」の園田記者のページから過去記事を読めるのでぜひ参考にしてほしい。
いまは新聞社のブランドで「読むべき記事」を選ぶ時代ではない。記者個人に注目して選ぶ時代である。マスコミ報道が画一化して物足りなくなった今、情報が多様化する一方で氾濫して何を読んで良いのかわからない今、ひとつの媒体にくまなく目を通すよりも、「信頼できるジャーナリスト個人」を複数みつけて彼らが発信する情報をクロスチェックするほうが、中身のある情報を素早く効率的に集められる時代になったといえるだろう。