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新聞記者やめます。あと23日!【吉田調書報道は反原発のイデオロギーから生まれたのではないか〜その疑問の答えます】

私の新聞記者人生は福島原発事故を抜きには語れない。5月30日(日)にクレヨンハウスの「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」で講演し、新聞記者をやめる理由を語る。すでに会場は満席になってしまったそうだが、オンラインでは視聴できる。申し込みはクレヨンハウスのホームページからできるので、よろしければご覧いただきたい。

その講演のレジュメのつもりで「新聞記者やめます。あと36日!【なぜ新聞記者をやめるのか】を執筆した。

このコラムで、私がデスクを担当した「吉田調書」報道を朝日新聞社が取り消したことや「吉田調書」を入手した取材記者二人を処分したことについて、私の見解をまとめさせていただいた。一方で、「吉田調書報道取り消しの経緯はよくわかったが、そもそも第一報が反原発のイデオロギーから書かれたことに問題があったのではないか」という指摘を読者から頂いており、私は「これについては稿を改めてお答えしたい」と約束していた。

きょうは「吉田調書」と「反原発」の関係についてお答えしたい。

はじめに、私自身は、福島原発事故が発生するまで、原発政策について強い主張はなかった。駆け出し時代に水戸支局に勤務し、東海原発を取材した経験はあったが、まさか東日本壊滅の危機が目前に迫る大事故が発生するとは予想していなかった。不明を恥じるほかない。

2011年の福島原発事故を目の当たりにし、私は原発を人間の力で完全に制御できると考えるのは傲慢だったと心の底から思った。いくつかの偶然がかさなり東日本壊滅の危機を避けることはできたが、原発を再稼働し、再び同じような原発事故を繰り返すことがあれば、今の時代を生きる日本人のひとりとして、権力監視の責務を担う新聞記者の一人として、後世に顔向けできないと思った。世界史上に残る大事故を経験しながら、再び同じ失敗を繰り返すとしたら、日本はあまりに愚かな国家として世界史に刻み込まれるであろうとも思った。そこで「脱原発」に大きく舵を切ったのは事実である。

私の原発に対する立場を明確に示したうえ、まずは記者個人の「主義主張」と「取材活動」の関係を考えてみよう。

はじめに確認したいのは、完璧な「客観中立」報道があるというのは幻想であるということだ。「何を取材するか」という報道の出発点には何かしらの主義主張がある。主義主張が一切ないという記者など存在しないし、それなら人工知能で十分だ。シングルマザーの記者が待機児童の実情を深掘りし、夫婦別姓を主張する記者が選択的夫婦別姓の法制化を追い、家族の介護に直面する記者が介護現場をルポしようと思うのは、当然の動機である。原発再稼働に反対する記者が原発取材に力を入れるのも何ら不思議ではない。記者個人の主義主張こそ、取材開始の強い動機となるものだ。

そのうえで、自らの「主義主張」と「客観的な視点」をどう両立させるかが、プロの記者としての技量となる。

私は政治記者として様々な立場の政治家を担当してきた。政治記者の多くは「ひとつの派閥」を担当すると、その派閥のリーダーとともに持ち場を移り変わっていく。例えば、安倍晋三氏が所属する「清和会」を担当して「安倍番記者」になると、安倍氏が官房副長官になれば官邸担当に、幹事長になれば与党担当に、総理になれば再び官邸担当にという具合に、安倍氏とともに持ち場を移り変わっていく。こうして「安倍氏の政界での出世」と「番記者の会社内での出世」が一体化していくのだ。この傾向はNHK政治部に特に強いが、他のマスコミも大なり小なり似通っている。

ところが、私は若い時から生意気で上司に睨まれたせいか、政治家に食い込むとすぐに担当を代えられた。主に担当した政治家を時系列で振り返ると、菅直人(民主党幹事長)→竹中平蔵(経済財政担当大臣)→古賀誠(自民党元幹事長)→与謝野馨(官房長官)→町村信孝(官房長官)となる。政党も派閥もバラバラというだけではない。自民党内でも竹中氏と与謝野氏は経済政策をめぐる「宿敵」だったし、古賀氏は竹中構造改革に反対する「抵抗勢力のドン」だった。民主党の菅氏と自民党の町村氏は左右の対極に位置する政治家であったといえるだろう(ちなみに菅氏はのちに与野党の枠を超えて与謝野氏を閣僚に引き込むのだが、菅氏は「脱原発」、与謝野氏は「原発維持」を代表する政治家である)。

私はこれらの政治家たちに自分の主義主張を隠して取材したことはない。むしろ真正面からそれをぶつけたが、いずれの政治家にも番記者のなかでは屈指のレベルで食い込んだつもりである。ひとつの主義主張に凝り固まって同じ思想の政治家ばかりを取材してきた記者ではないと断言できる。むしろ、多種多様な政治家に肉薄できたことは、自らの「客観的な視点」を磨くのに大いに役立った。

何がいいたいかというと、個人としての「主義主張」と「取材活動」は直接関係しないのである。個人の主義主張を持ちつつも取材相手と深い信頼関係を構築して正確な情報を得るのは、プロの記者としては当然の立ち振る舞いなのだ。逆に自分の意見を持たず、つねに取材相手の意見にあわせてすり寄るような記者は、取材相手に見下され情報操作に利用されるだけで、その本心を明かされることはないと私は確信している。

次に、記者個人の「主義主張」と「記事執筆」の関係を考えてみよう。

記者個人の主義主張が記事に反映されると「客観中立」報道に反するという意見はよく耳にする。新聞社も「不偏不党」「客観中立」を社是に掲げ、記者個人の主義主張が記事に反映されないように細心の注意を払ってきた。それこそ「新聞の信頼」を維持するために必要不可欠なことだと信じてきたし、実際に人々が新聞からしか情報を得ることができなかった時代にはそうした自己抑制は必要であっただろう。

しかし、時代は変わった。デジタル上に情報が溢れ、新聞だけから情報を得る人はほとんどいなくなった。人々はさまざまな情報を比較しながら自分自身で物事を判断している。新聞はそのひとつに過ぎない。報道の客観中立性は、多種多様なメディア界全体で担保されれば十分だ。

それなのに新聞社だけが「新聞が唯一の情報源」「新聞さえ読めば世界がすべてわかる」という前提で新聞発行を続けている。このため「新聞は客観中立でなければならない。すべての人に受け入れられるようにバランスをとらなければならない」と信じ込み、両論併記で無難で誰からも批判されることがなく、その代わりに誰の心にも響かない「差し障りのない」紙面を作り続けている。個性豊かな情報が溢れるデジタル時代に「埋没」するのは当然であろう。

編集局長が「きょうの一面トップはこの記事でいく」と判断するその根幹に一切の主義主張がない考えるのは無理がある。むしろ大なり小なり誰もが持つ「主義主張」を覆い隠し「客観中立」を装ってきたことが「新聞離れ」を招いているのではないか。どうしても「偏り」を避けたいのであれば、ひとつひとつの記事でバランスをとるのではなく、紙面全体に多様な記事を掲載すればよい。ひとつひとつの記事でバランスをとり「差し障りのない記事」ばかりを量産しても、誰も目を止めないだろう。

欧米では「客観中立」報道のあり方の見直しが進んでいる。むしろ記者個人の主義主張や生い立ちを含む経歴を読者に十分に公開し、政治的スタンスや関心の向きといった記者個人の志向(「偏り」といえるかもしれない)を理解してもらったうえで記事を読んでもらうという試みだ。完璧に「客観中立」な記事など存在しないこと、どんな記者にも一定の「偏り」は存在することを認めたうえで、それらをすべてオープンにし、それを踏まえて記事を読んでもらうことで信頼を獲得するという方法である。記者も自分の「偏り」を自覚しつつ、幅広い読者に納得してもらう「データ」と「論理」をしっかり整えて記事を書くのである。

こうした「客観中立」報道を乗り越える国際的な試みは、論座『「メディアは中立」の常識に挑むコレスポンデント」に詳しい。この記事では、オランダ発のメディア「コレスポンデント」の以下のような立場が紹介されている。

ジャーナリストは『中立的』だとか『偏見を持たない』などと装うべきではないと私たちは考えています。それとは反対に、コレスポンデントの記者たちは、自分たちのものの見方を透明にする方が、そんなものはないと言い張ることよりましだという信念に基づき、自分たちがどこから来たかを明らかにします。

「記者が政治的な立ち位置を明らかにするというよりもむしろ、例えば『どういう子ども時代を過ごしたか』とか、『自分の今の考え方を左右するような大きな事件として過去にどんなことがあったか』など、その記者が人として成長する過程で出会ったことや影響を受けたことなどを、包み隠さず、透明度を持って表現する。そしてそのことを通して、それを読んだ読者に『なるほど、そういう背景を持った人がこの記事を書いているのか』と納得してもらう。それが大事だと私たちは考えているのです」

新聞社に取り消されてしまった「吉田調書」第一報の解説記事で、私たち取材班は、原発事故の検証が不十分なまま原発再稼働に突き進むことに極めて慎重な立場をはっきり示していた。取材班の立場を鮮明にしつつ、記事の説得力を上げる試みであったことはご理解いただきたい。

吉田調書を入手した取材記者ふたりは、私以上に原発再稼働に反対していたし、東京電力に厳しい目を向けていた。それは事実である。だからこそ彼らは誰よりも東電に足しげく通い、東電が公開していた事故対応を記録した映像を繰り返し分析し、地道な取材を重ねていた。

記者クラブに座って役所が発表する資料をそのまま原稿にする記事と違って、調査報道はいつ成果につながるのか、まったく見通せない地道な取材である。一年以上の月日を要して一行にもならないことはよくある。もう一歩のところまできてウラを取りきれず出稿断念に追い込まれることは少なくない。先行き不透明で根気のいる辛い取材なのだ。一切の主義主張がなく何の思い入れもない記者が、調査報道の厳しい日々に耐えられるとは到底思えない。

会社内で「得点」を稼ぐだけなら調査報道には手を出さない方が得だ。いつ成果が出るかわからずリスクも高い調査報道に取り組む記者よりも、発表データに基づく間違いのない記事を要領よくたくさん書いた記者を評価する部長やデスクは少なくない。調査報道に一年間専念し、もう一歩のところで記事化にこぎつけられなかった記者の努力と無念など見向きもしない上司は数知れない。それを承知で地道な調査報道を延々と継続できるのは、強い主義主張と強い思い入れがあるからだ。

その意味で「吉田調書」を入手した取材記者二人は、原発再稼働や東電の不誠実な事故対応に強い憤りを抱いていた。それこそが、他の記者の誰もがなし得なかった「吉田調書の入手」をやり遂げた原動力となったのは間違いない。そうした思いが原稿執筆にあたり、原稿の隅々ににじむのは、至極当然のことであろう。

取材記者が私に提出してきた「吉田調書」報道の元原稿は、たしかに強い主義主張を感じるものであった。私はデスクとして彼らと十分に話し合い、彼らの納得を得て、原稿のトーンを抑制したうえ、記事の狙いは原発事故現場を離れた所員たちの責任を追及することではなく、原発事故がいったん発生したら現場で制御する人がいなくなる事態が十分に起こりうるという現実を直視し、原発再稼働の議論に一石を投じることにある旨を伝える解説記事を用意した。

そうして記事化された「吉田調書」報道に、なお「配慮を欠く表現」があったとするならば、デスクであった私が「棘を抜き損ねた」結果である。仮にそうだとしても、原稿を執筆した記者二人には一切の責任はない。すべては原稿をチェックし、最終的に掲載した編集局(当時の編集局長以下、担当デスクであった私を含む管理職)と、第一報後に的確な危機対応をとらなかった社長以下の経営陣の責任である。それが新聞社という組織の大原則だ。「捏造」などの不正は一切なかったのに、「吉田調書」を独自入手した取材記者二人を処分し、彼らが「捏造記者」とバッシングされるのを放置し、彼らに大きな責任を転嫁した新聞社の対応は、日本のメディア史に残る大失態であったと、私は自省を込めて言いたい。

「吉田調書」報道の取り消しと取材記者の処分は、ジャーナリズムの自殺行為であった。ジャーナリズム界に「萎縮」を蔓延させ、数々の「国家権力の暴走」を招いた歴史的愚行について、「吉田調書」報道の処理にあたった当時の会社上層部は、どう責任をとるつもりだろうか。口を閉ざしたまま過去に葬り去るつもりであろうか。

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