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新聞記者やめます。あと62日!【「吉田調書」を報じた記者を処分したのはジャーナリズム史に残る愚行だった】

きのうにつづいて「吉田調書」について書く。きのうは「吉田調書」報道が取り消された経緯を書いた。きょうは記事を取材・執筆した現場記者が処分されたことについて書く。

結論から言えば、「記者の処分」はジャーナリズム史に残る愚行であった。

私は「吉田調書」報道を取り消す必要はなかったと思っている。記事の至らぬ部分について最初に指摘があったときに朝日新聞社が迅速に対応していれば、政府が非公開にしてきた「吉田調書」を入手して報じた記事全体の取り消しに追い込まれることはなかったと思っている。そのことはきのう書いた。

その是非はともかく、「吉田調書」報道が不適切だったとしても、仮に「取り消し」に値するものであったとしても、取材・執筆した記者二人を処分にすることは絶対に避けなければならなかった。

彼ら取材記者には「捏造」などの不正は一切なかった。

特別報道部デスクとして記事を出稿した私は、社内の事情聴取で、何度も何度も以下のように訴えた。

彼らが書いた記事を紙面に掲載したのは朝日新聞社の責任です。新聞社が組織として決定したことです。その記事がもたらした結果責任は、記事の出稿責任者である私、特別報道部の責任者である部長、紙面全体の責任者である編集局長が負うべきです。私が管理職としての結果責任を問われて処分されるのは仕方がない。でも、現場の取材記者を処分することだけは絶対に避けるべきです。そんなことをしたら、多くの新聞記者が萎縮し、ジャーナリズムはたいへんなことになります

そうした訴えは黙殺された。朝日新聞社は「吉田調書」報道の第一報から半年後、記事取り消しから2ヶ月半後の2014年11月28日、「吉田調書」問題をめぐる処分を決めた。以下はそれを報じる記事である。

朝日新聞社は28日、東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐる「吉田調書」報道で5月20日付朝刊の記事を取り消したことに伴い、6人の処分を決めました。
出稿した特別報道部の市川誠一・前部長を停職1カ月、編集部門を統括した市川速水・前ゼネラルマネジャー兼東京報道局長、渡辺勉・前ゼネラルエディター兼東京編成局長、出稿を担当した前特別報道部次長の3人を停職2週間、取材チームの前特別報道部員と前デジタル委員を減給としました。いずれも12月5日付です。
5月20日付朝刊で本社は、所員らの9割にあたる約650人が吉田昌郎所長(故人)の第一原発での待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退したと報じました。しかし、所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の発言を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現と判断し、記事を取り消しました。

この記事の中には「捏造」という文字はない。当時の西村陽一・取締役編集担当はこれに続くコメントで「社内調査の結果、取り消した記事は、意図的な捏造でなく、未公開だった吉田調書を記者が入手し、記事を出稿するまでの過程で思い込みや想像力の欠如があり、結果的に誤った記事を掲載してしまった過失があったと判断しました」としたうえ、「原稿のチェックや評価、取材指示など上司が果たすべき役割を十分に果たさず、組織として誤りを防げなかったこと、掲載後に受けた批判に適切に対応しなかったことなども大きな誤りだったと判断しています。こうした判断を踏まえ、職責が重い人間に厳しい処分を適用しました」と説明している。

後段の「職責が重い人間に厳しい処分を適用した」のは当然だ。しかし、取材記者二人を処分する理由は明確ではない。「捏造」などの不正はなかったが、「記事を出稿するまでの過程で思い込みや想像力の欠如があり、結果的に誤った記事を掲載してしまった過失があった」という部分が「取材記者の責任」に触れた部分なのであろう。取材記者の二人は「思い込みや想像力の欠如」「誤った記事」という部分に納得しないだろうが、もしそれが事実だとしても、「思い込みや想像力の欠如」が取材記者を処分する根拠になるのだろうか。

「結果的に誤った記事を掲載してしまった過失」は言わずもがな、取材記者が問われる責任ではない。「掲載してしまった」のは新聞社である。たとえ取材記者に思い込みや想像力の欠如があったとしても、それをチェックし、原稿を総合的に判断して掲載するのは、デスクより上の管理職の責務である。どう考えても取材記者を処分する根拠にはなり得ない。

西村取締役のコメントで最も核心をついているのは「掲載後に受けた批判に適切に対応しなかったことなども大きな誤りだった」という部分である。これは私が社内の事情聴取で繰り返し強調したことであり、「吉田調書」問題の核心だった。この一文がなければ、西村氏のコメントは極めて不誠実とのそしりを免れないであろう。いや、こうした一文をさらりと潜り込ませるところが、官僚組織のぬかりのないところかもしれない。「掲載後に受けた批判に適切に対応しなかった」責任に触れたというアリバイを残しつつ、取材記者や特別報道部の責任の背後で目立たないように配置している。

「吉田調書」のスクープを大スキャンダルに変質させてしまった最大の原因は、記事そのものよりも、記事を出した後の事後対応、会社の上層部が取り仕切った危機対応の不手際である(第一報掲載から取り消しまでは3ヶ月以上の月日があった。この間に記事の不適切さを指摘する声はあったのに、会社はこの記事を高く評価し新聞協会賞に申請した。社長の進退問題を引き起こした「池上コラム」問題が発覚するまで上層部の指示は「一歩も引くな」だった。その詳細はきのうの当欄で示したとおりである)。

当時の木村伊量社長ら経営陣は「吉田調書」報道を大スキャンダルに発展させてしまった責任を取材記者二人や特別報道部に転嫁するのではなく、自分たちの「危機対応の失敗」を率直に認め、その責任をとって総退陣すべきであったと私は思っている。自分たち指導者に全責任があることを世論に向かって表明し、すべての責任を引き受ける態度を鮮明に示し、現場の記者をバッシングから守り抜く責務が彼らにはあったはずだ。

彼らが取った言動は真反対であった。政府が隠してきた原発事故の真相を粘り強く取材し、政府が非公開にしてきた「吉田調書」を独自入手した取材記者二人を処分し、世間の関心を彼らに振り向け、さらしものにしたのだった。二人はネット上で「捏造記者」「売国奴」などというバッシングの嵐を浴びた。会社はそれを見て見ぬふりをし、彼らの記者としての名誉が毀損されるのを黙殺した。彼らが心身ともに傷つき苦しむのを放置した。

現場の取材記者がバッシングの嵐にさらされ、放置されているさまは、調査報道に取り組む他の新聞記者たちを震え上がらせたことだろう。自分の書いた記事が国家権力の反撃を受け、記者個人として異様なバッシングの嵐にさらされても、会社は守ってくれない。そんな現実が目の前で起きたのである。記者個人にとどまらない。家族もバッシングにさらされたのである。

調査報道などリスクをともなう仕事に直面していない大勢の新聞記者にとって、それは他人事であったかもしれない。しかし国家権力など強力な相手と対峙して調査報道に取り組む新聞記者にとって、それは死活問題であった。

取材記者の「自殺説」も一部で報じられた。私の「自殺説」も駆け巡った。私が当時使っていた私用スマホが一時的に壊れ不通になった。翌朝起きると、会社から貸与された携帯電話の上司から「君が自殺したという情報が流れています。これを聞いたらすぐに連絡してください」という留守電が入っていた。それほどまで彼らも私も追い込まれていた。

ある編集幹部は私に「自殺者が出れば責任をとって会社を辞めなければならないと思っていた」と漏らした。幸いなことに自殺者は出なかった。その後、取材記者二人は新聞社を去った。「危機管理」にあたった幹部たちの多くは今も会社にのこり、それなりのポストにとどまり、平穏な日々を送っている。

すべては新聞社が「組織防衛」のため、いや、上層部の「自己保身」のため、取材記者を「処分」して責任を転嫁し、「悪者」扱いしたことの帰結であった。これが調査報道に取り組む新聞記者たちをおおいに縮こまらせ、新聞ジャーナリズム全体を大きく萎縮させた。その後遺症は今もつづいている。なんという取り返しのつかない愚行を犯してしまったことか。

ふたりの取材記者はもう会社にいない。しかし、今からでも彼らに対する処分を取り消し、バッシングの嵐を放置したことを詫び、彼らの失われた名誉を回復することが、この新聞社が読者の信頼を取り戻し、権力監視の役割を再確認し、新聞ジャーナリズムの再建に向かって進む第一歩ではないのか。

私はふたりが去った後も会社に残った。できれば社内で主導権を取り戻し、彼らの処分を取り消し、会社として彼らに詫び、彼らの名誉を回復したかった。それが当時の管理職としての責務であると考えた。それも力及ばず、いまや難しい。私はそれを果たせぬまま会社を去る。まことにもうしわけない。私にできるのは、真実を書き残すことのみである。

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