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新聞記者やめます。あと60日!【ワクチン接種は誰のため?あなたのため?家族のため?】

コロナウイルスのワクチン接種が遅々として進まない。日本はワクチン開発競争で惨敗した。ワクチン獲得競争にも大きく出遅れた。この「ワクチン敗戦」をマスコミは厳しく追及しない。

コロナ禍は技術力でも経済力でも外交力でも日本の国力が衰弱したことを浮き彫りにした。さらに深刻なのは、その国力衰退に多くの人々が気づいていないことだ。「美しい日本」「日本スゴイ」が叫ばれた安倍長期政権下で、日本のガラパゴス化は急速に進んだ。ジャーナリズムが機能せず、「世界の中における日本」の現状認識を私たちは共有できていない。

ワクチン敗戦が映し出す国力衰退については稿を改めることにして、きょうは「ワクチン」そのものについての私見を述べたい。

私はかれこれ20年は予防接種を受けていない。それ以前は受けていた。接種をやめるようになったのは、当時、公衆衛生学を専門とする厚生労働省の医官であった知人が漏らした言葉がきっかけである。彼はおおむね以下のようなことを語ったのだった。

予防接種の副作用リスクは決してゼロにはなりません。公衆衛生学は個人個人のリスクには目をつぶっているんです。この学問は一人一人の生命や健康にあまり関心がない。社会全体で感染拡大をどう防ぐかということが最大のテーマなんですよ。そのためには7割の人がワクチンを接種してくれればいい。7割の人に抗体ができれば感染症の大流行は防ぐことができる。その7割は誰でもいいんです。ワクチンは接種した人を守るために打つのではないんです。大流行を防ぐために、7割の人々に副作用リスクを引き受けてもらうのです。だからね、自分勝手なことをいうと、自分以外のすべての人がワクチンを接種し、自分だけが接種しないという状況が、いちばんよいのですよ。自分だけがリスクを引き受けず、大流行からも身を守れるのですから。予防接種を受けてくれた人から費用の一部でもいただくなんて、本来はありえない話なんです。政府が全額税金で負担したうえ、頭を下げて「社会のために接種してください」とお願いするものなんですよ。私は自腹を切って予防接種を受ける気にはなれませんね

私はこの話に衝撃を受けた。目から鱗が落ちる思いがした。そして彼の言う理屈が胸にストンと落ちたのだ。そういうことだったのか。予防接種は自らの身を守るためではないんだ!

当時はそこで思考が止まってしまった。インフルエンザの季節が迫り、周囲の人々が費用の一部を自己負担して予防接種にかけこむようになっても、私は決して接種に向かわなかった。それでもこの20年、インフルエンザにかかった自覚はない。周囲の多くが予防接種をしてくれたおかげなのかもしれない。

予防接種を受けないという習慣はすっかり身についたのだが、私はそこから何かの問題意識を深く掘り下げることなく、今回のパンデミックを迎えてしまったのである。

当初はマスクについて、最近はワクチンについて、テレビに登場する政治家や公衆衛生学の専門家たちは「あなた自身を守るため」「あなたの家族を守るため」という言葉を繰り返し唱えていた。私はそれを聞きながら、厚労省の医官の話を思い出したのだった。あの「公衆衛生学」の思想からすると、コロナ禍でテレビに登場する政治家や専門家の言葉はなんだかウソ臭く聞こえたのだった。

「あなた自身を守るため」ではない。「あなたの家族を守るため」でもない。ほんとうは「この社会を守るため」なのだ。そうした「本音」を隠して、「あなた自身を守るため」などと言うから、みんなの心に響かないのではないか。

現に若者の大半は、コロナに感染しても重症化する可能性は極めて低い。ひとり暮らしなら家族に感染させるリスクもない。みんなそれに気づいている。いったいなぜ自分が副作用リスクを背負ってまで、ワクチンを接種しなければならないのか。そうした疑問を持つのは当然だ。彼ら若者が納得する答えを、政治家や専門家が示していないのではないか。

ワクチン接種にはわずかながらリスクが伴います。あなたは接種しなくても、感染して重症化する可能性は極めて低いかもしれません。それでもひとりでも多くの方に接種していただきたいのです。なぜなら、社会に大流行することを防ぐには、7割の方が接種することが必要なのです。なかには副作用リスクが高くて接種を避けた方が良い方もおられます。だから、そうしたリスクを感じない方は、ひとりでも多く接種していただきたいのです。これは強制ではありません。この社会に感染が拡大することを防ぐために、ひとりでも多くの人の生命と健康を守るために、ひとりの市民として、社会のため、なにとぞ、接種していただきたいというお願いなのです」

この国の空気をともに吸って一緒に暮らす人々に、政治家や専門家はこのように率直に訴えるべきであると私は思う。公衆衛生学というのは、個人個人の病気を治す「医療」というよりも、社会の公益と個人の人権の双方を追求する「民主主義」のジャンルに近いのだ。ワクチン接種は「社会全体のために一人一人は何ができるのか」という発想から、自発的に社会に貢献するものなのだ。

それなのに、政治家の言葉が足りない。

日本の政治家はそのように率直に訴えることができない。この国に暮らすすべての人々に「社会への貢献」をお願いするために不可欠な「政治家に対する幅広い信頼」がないのだ。自分の支援者だけでなく、自分の政策を批判する人たちからも、それなりの信頼を得ていなければ、そうしたお願いはできないのだ。国会で虚偽答弁を繰り返し、公文書の改竄・廃棄を重ねて不正を隠蔽し、国民に外出自粛を求めながら自分たちは夜の街をはしごする。そのような政治家たちが「社会への貢献」を訴えても、誰が耳を傾けるだろうか。

政治家自身が誰よりもそれを自覚している。だから「あなた自身を守るため」などとウソっぽい言葉で誤魔化すのだ。これは民主政治への信頼、民主政治の成熟度の問題なのである。

そう思った時、ネットニュースで英国のエリザベス女王が率先してワクチンを接種したというニュースが舞い込んできた。日本では「上級国民は優先的に接種を受けることができる」と受け取る向きもあるが、そのニュースは「接種をしたことがない人にとっては抵抗感があるかもしれないが、自分のことより、まわりの人たちのことを考えるべきだ」という女王の言葉を伝えていた。

私にはその言葉の意味がよくわかった。彼女は女王だから特別優遇されてワクチンを接種したのではない。副作用リスクを恐れる人々に「社会への貢献」を求めるため、まずは自らが接種してみせたのだ。それこそ社会の指導的立場にある人々の取るべき態度であると私は思った。

我が国では、医療従事者から接種が始まった。まだ若い彼彼女らが黙々と接種を受ける映像が流れてきた。この国の人々は、社会に貢献しなければならないという潜在的な意識が極めて強い。極めて真面目なのだ。それに比べて大きく欠けているのは、社会の指導的立場にある政治家やマスコミの言葉であり、行動ではないかと思ったのである。

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